パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

イタリア旅行⑤水の都からルネッサンスの街へ

ティントレットで頭が少々くらくらとなって、サン・ロッコ大信徒会を後にする。近くにレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館がある。レオナルドは1499年から1500年にかけ、短い期間だが、ヴェネツィアに滞在し、海軍の研究をしたとも、ヴェネツィア派絵画に影響を与えたともいわれる。いずれにせよ作品を残していないはずのこの地でも博物館ができるほどで、レオナルド人気がわかるというものだ。

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博物館近くにはレオナルドの発明にあやかったような科学玩具店も。中で少年が母親となにか買っていた。レオナルドに倣って、しっかり勉強してね

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土産物店のショーウインドウにはヴェネツィアグッズ

 

ヴェネツィア派の宝庫・アカデミア美術館

水上バスでアカデミア橋まで行く。橋のたもとの小広場に面して、アカデミア美術館がある。ここもティントレットの生誕500年の展覧会をしていた。

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アカデミア橋

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アカデミア橋からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会を望む

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アカデミア美術館

「奴隷を解放する聖マルコ」が目を引く。いずこからか空を飛んできた聖マルコが地面に倒れた奴隷を救出する場面。空中浮揚はティントレットの得意テーマだったようで、サン・ロッコ大信徒会の絵の数々にも、ダイナミックに空を飛びまわる姿があった。絵画で奇蹟を表現する場合、最もわかりやすいのが空中浮揚か。当時の人びとは天使の存在を信じていたそうだから、こうした奇蹟も現代人のように絵空事で片づけるようなことはなかったかもしれない(キリストの物語そのものが奇蹟の連続だし)。

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「奴隷を解放する聖マルコ」

ティツィアーノの色彩とミケランジェロの素描を手にした画家と呼ばれたティントレット。ほかにも、ややおとなし目の「最後の晩餐」や、大きな本が目に飛び込んでくる「博士に囲まれたキリスト」など多数が展示されていた。

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「最後の晩餐」

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「博士たちに囲まれたキリスト」

アカデミア美術館は、ヴェネツィア派の最大の美術館とされる。海運で栄えたヴェネツィア共和国で、ルネッサンス後期の15世紀後半から16世紀にかけて活躍した画家たち。

描かれた女性と男性、背景の嵐が何を意味するのか、今も研究者を悩ませる謎の絵画、ジョルジョーネの「嵐」や、ティツィアーノの遺作とされる「ピエタ」、聖母の眼の表情がなんとも言えないジョヴァンニ・ベッリーニの「双樹の聖母」、今と変わらないゴンドラが描かれたカルパッチョの「リアルト橋の十字架遺物の奇蹟」などなど、個性的な作品の数々。

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ジョルジョーネの「嵐」

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ティツィアーノの「The presentation of the Virgin in the Temple」

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ベッリーニの「双樹の聖母」

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カルパッチョの「Miracle of the relic of the Cross at the Rialto bridge」

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この美術館には、サン・マルコ広場のこの絵のように、当時のヴェネツィアの風景、出来事を描いた作品が多数ある

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マンテーニャの「聖ゲオルギウス」

ネーデルランドの幻想と奇想の画家、ヒエロニムス・ボス(1450ごろー1516)の「来世の幻想」4点のパネルも展示されていた。ドゥカーレ宮殿の所蔵品らしい。「悦楽の園」や「最後の審判」などで、奇怪かつユーモラスかつ微細に終末世界を描いたボスの作品にしては、かなりシンプルだが、こんなところで、ボス(昔はボッシュと呼んでたが)にお会いできるとは、幸運だった。

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「地上の楽園」

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「祝福されたものの上昇」

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「地獄」

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「呪われた者の墜落」

迷い道ふらふら

美術館から橋を渡り、サン・マルコ広場に徒歩で向かう。

 途中、迷子になった。入り組んだ路地、小さな運河が迷路のようで、Google経路案内もうまく機能しない。観光客らしい年配の女性3人が地図を手に前を行くので、サン・マルコを目指しているのかなと、後について行くと、女性たちが「あっちゃー」という感じで手を広げ、引き返してくる。

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迷って、出くわす広場

マルセル・プルーストは「失われた時を求めて」の「逃げ去る女」で、ヴェネツィアの迷宮の魅惑を綴っている。

「夕方になると、私は魔法にかけられたようなこの町のなかに、ひとりで出かけてゆく。知らない区域に入り込むと、自分がまるで『千夜一夜物語』の登場人物になったような気がする。行き当たりばったりに歩いてゆくうちに、どんなガイドブックも旅行者もふれていなかった未知の広々とした広場を見つけないようなことは、ごく稀だった」

(鈴木道彦訳)

以下、夢とも現実ともしれぬ文章が続く。

時間の制約と目的地のある旅なので、プルーストのように迷宮を楽しむわけにはいかないけれど…。

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突き当りは画廊のような。だが、そこからどこに通じているのか、角を曲ると何があるのか

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ヴァポレット(水上バス)の乗り場の案内はあるものの…

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プルーストはゴンドラに乗って、様々なイメージを紡ぐ。同じ「逃げ去る女」から。

「私の乗ったゴンドラは、小さな運河に沿って進んでゆく。まるでかの東方の曲がりくねった道を先導する魔神の不思議な手のように、進むにつれて小さな運河はある地区の真ん中に道を穿って私に通路をつけてくれるように思われたが、運河がかき分けてゆくその界隈のムーアふうの小窓のついた背の高い家々は、勝手につけられた細い一本の溝で辛うじて隔てられているばかりだった。まるで魔法使いの案内人が手に燭台を持って私の通り道を照らし出すように、運河は前方に陽の光をきらめかせ、その光に向かって道を切り開いてゆく」

 

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ゴンドラは16世紀に、黒い塗装に統一された。外は黒、内装は派手なので、仏壇を連想させる。あの世とこの世をつなぐもの。18、19世紀には2、3000隻あったが、今は400隻ほど、漕ぎ手のゴンドリエの免許を取るのは大変らしい

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 そうこうしているうちに、やっと、建物のすき間から寺院の屋根らしきものが見えてきた。ブランド街を通って広場にたどり着く。

サン・マルコ寺院の前は入場の大行列ができ、周辺は国旗やひらひらする布を付けた案内棒を持ったガイドが引率する20人、30人単位のツーリストグループであふれている。

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寺院への入場は無料だが、1人3ユーロでスキップライン=並ばすに入れるネット予約を1時30分にしていたので、簡単にランチを済ませ、1時ごろ試しに予約のプリントを見せたら、時間お構いなしで入れてくれた。ええ加減と言えばええ加減。

テラスと博物館にはさらに5ユーロ必要で、階段を上がると、屋外テラスに出て、広場やドゥカーレ宮殿側の小広場を見下ろす眺望になる。有名な4頭の馬もある。

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「4頭の馬」、上はレプリカで、下の黄金像(少しピンぼけですが)が本物。もとはローマの凱旋門にあったのを、330年、コンスタンチヌス大帝がコンスタンチノープルに持っていき、それを1204年、第4次十字軍でヴェネツィア軍がコンスタンチノープルを占領した際の戦利品として奪い、サン・マルコ寺院に納めた。ところが、ナポレオンがイタリア遠征(1796-1797)でヴェネツィア共和国を消滅させた際、この「4頭の馬」を略奪、パリのルーヴル美術館そばのカルーゼル凱旋門に飾った。その後、ヴェネツィアオーストリア支配下になって、サンマルコ寺院へ戻り(カルーゼル門には複製がある)、第一次、第二次世界大戦時には別の場所に疎開するという、波乱のヨーロッパ史を駆け抜けた馬らしい。

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時計塔

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かつては海からの玄関口となっていた小広場。2本の円柱には、守護聖人の聖テオドール(右)と翼を持つ獅子の像が立つ

広場にはところどころ水たまりができている。敷石のすき間から水が出てきて渦をまき、白いハトが水浴びをしている。旅行後の10月下旬、高潮で水位が1・5㍍も上がり、この広場が水没しているニュース映像が流れた。地盤沈下で年に何回か、水没するのは、水の都だからやむを得ないにせよ、今年の水位上昇は過去4番目だそうだ。膝まで水に浸かりながらも、レストランは営業し、観光客がパスタを食べ、という光景は、ヴェネツィアならではか。

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映画「ゴッドファーザー」のTシャツも売られていた

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f:id:LOUVRE:20181108111853j:plainサン・ジョルジョ・マッジョーレ島

水上バスでホテルに戻り、またスーツケースを押してサンタ・ルチア駅へ。

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現在は美術館になっているゴシック様式の宮殿カ・ドーロ

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見納めのゴンドラ

フィレンツェ

午後4時、サンタ・ルチア駅発、フィレンツェへ向かうイタロの2等車は1人2500円。これが満席状態(終着ナポリなものだから)、スーツケースの置き場もなく、1つは座席上の荷物棚に、1つは前の座席との間になんとか押し込み、2時間窮屈な姿勢での旅となった。これまで、ヨーロッパの個人旅行での列車利用は2泊までの小旅行に限られ、ボストンバッグ程度の荷物だったから、2等でも1等でも不便を感じたことはなかったが、スーツケースがある場合は、少々料金は高くても1等にした方がいい、というのが教訓。

フィレンツェサンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅には約2時間で着き、タクシーでホテルへ。タクシーを降りると、目の前にドゥオーモの愛称で呼ばれるサンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖マリア)大聖堂がドーンと現れた。31年前より大きな印象だ。

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夕食がてら周辺を散策する。ヴェッキオ宮のあるシニョリーア広場まで歩いて5分。道も広場も祭のように人が多い。広場にはダビデ像のレプリカはじめ、様々な彫像が並んでいる。

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食事はそばのレストランで、グリーンサラダとポルチーニ茸のパスタ、マルガリータのピッツア、プロセッコを注文する。年配のウェイターは、途中で日本人と気付いたのか、日本語を連発してくる。サラダの量はたっぷり、ポルチーニも香り豊かでボリュームがある、生地が薄いピッツアもさすが本場の味やなあと、ベタな感想が出るほどで、こちらも負けじとブオーノ、ブオーノ、グラーツィエ、グラッツィエとイタリア語を連発し、至極満足の夕食。フィレンツェの好感度が上昇した。

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 レストラン前で