パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

ウエルベックの「滅ぼす」


これまで、観光とセックス産業とイスラムテロ(「プラットフォーム」)、現代美術とマネーと殺人(「地図と領土」)、フランスでのイスラム政権誕生(「服従」)など、現代社会の底流と病理をテーマにしたリアルな予言的小説で物議を醸してきたミシェル・ウエルベックの新作は、大統領選とテロ集団の話から始まり、予測を裏切るように展開する。社会で派生する出来事から、夫婦、親、きょうだい、個人の病と終末の物語へ。

不穏で混沌とした世界に生きる主人公のシニカルで哲学的な視線は、過去作同様だけど、今作では、日本でいう「末期の眼」を感じさせ、心が共振する。

たとえば、実家のボージョレ地方のブドウ畑で。

「ブドウの木はねじまがった黒っぽい、どちらかといえば醜い代物である。こんな見栄えのしないものからのちにワインが生み出されるとは、まったく想像もできない。世界は何とも奇妙に作られている」

脳梗塞で倒れ、意志疎通も困難になった父を見守りながら、「父がまだ勃起できて、本を読めて、風にそよぐ木の葉を眺められるなら、その人生に欠けているものは何一つとしてない」と主人公は思う。

そして、自然観照のこんな一節。

ブルゴーニュ地方に入ってから、美しい景色が広がっていたが、マコンを通り過ぎて、本来の意味でのボージョレに着くとまばゆいばかりの美しさに変わった。ブドウ畑は深紅と黄金色に輝き、その美しさはいまだかつてないほどだったが、それは単に彼がもうすぐ死ぬから、子供のころから好きだったこの景色をもう二度と見られなくなるからかもしれなかった」

主人公を取り巻く人々はそれぞれ苦しみを抱え、ときに辛辣に、ときに親密な愛情を持って描かれ、物語の陰影を深くする。

近未来2027年のほぼ1年間の物語だが、なぜ2027年なのかは謎。そしてシャーロック・ホームズの登場という意外性。

深刻で絶望的だけれど、救いの物語。読者を楽しませることに長けた作家、だとつくづく思う。