パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

夜のセーヌ川クルーズは何度でも楽しい

ポンピドゥー・センターで20世紀のフォーブ、抽象、シュルレアリスム絵画を見て回ったあと、パリ市庁舎を一瞥し、メトロに30分ほど乗ってサッカー女子W杯フランス大会のアルゼンチンー日本戦の観戦に向かった。

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パリ市庁舎

メトロは超満員で、フランス人らしい男の子が日の丸の小旗を持っていたので、母親に聞くと、日本のサッカーアニメの大ファンで日本の応援に行くという。

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 スタジアムのパルク・ド・プランスはエムバペやネイマールが所属するパリ・サンジェルマンFCのホームグラウンド。試合前はがらがらだった観客席は、午後6時のキック・オフ時には8割ほど埋まった。日本で直前に予約して一人1200円。

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隣り合わせたフランス人男性(右)も日本を応援。帰りのメトロの駅では、ほっぺに日の丸をペイントした女の子もいて、日本ファンが目に付いた。ゲームは0-0のドローで、消化不良でしたが。

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 また超満員のメトロで、セーヌ川クルーズのバトー・ムーシュの乗り場のあるアルマ・マルソーへ。午後9時なのに昼のよう。 夜が長い。

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午後9時20分からのクルーズに乗る。一人14€。4回か5回目かになるけれど、飽きない。バトー・ムーシュ(ハエの船?ではなくてリヨンのムーシュ地区で船が建造されたため、とされる)はここから上流のサン・ルイ島で折り返す1時間10分のコース。戻ってくるころにエッフェル塔のイルミネーションが夜空に映えるクルーズ時間を選ぶことにしている。
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出発。乗客の8割は韓国の人たちの団体のようだ。流れる音声ガイドも韓国語、中国語、スペイン語はあっても日本語はない。そういえば、デパートのギャラリー・ラファイエットもプランタンもついこの前まで日本人用の免税カウンターがあったのに、今はない。

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アレクサンドル三世橋。ひときわ豪華絢爛というか、ゴテゴテ感の強いこの橋は、1900年のパリ万博時にロシア皇帝からプレゼントされた。ナポレオンの眠る左岸のアンヴァリッドと右岸のグラン・パレ、プティ・パレを結ぶ。映画「ミッドナイト・イン・パリ」のラストシーンにも出てきました。f:id:LOUVRE:20190901165303j:plain

アンヴァリッド

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レオポール・セダール・サンゴール橋。元セネガル大統領の名のついたこの橋はソルフェリーノ橋とも呼ばれ、オルセー美術館(右)とチュイルリー公園を結ぶ二重橋。下の写真は反対側から。

座席は帰りにエッフェル塔がよく見えるように左舷を選ぶが、乗客は写真撮影のために大概、あちへこっちへと席を移動する。

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ルーヴル宮とカルーゼル橋

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フランス学士院とポン・デ・ザール(芸術橋)。その名の通り、左岸のエコール・デ・ボザール(国立美術学校)と右岸のルーヴル美術館を結ぶ。

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ポン・デ・ザールの欄干を埋めていた「愛の南京錠」は撤去されて透明な板に変わった

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川べりにはカップル。京都の鴨川しかり。

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ポン・ヌフ。「新しい橋」の意味だが、1607年にできた現存するパリ最古の橋。橋の途中のふくらみは憩いの場所。映画「ポンヌフの恋人たち」はここに住む人たちの話でした。

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サン・ミシェル橋。ノートルダム大聖堂やサント・シャペルがあるシテ島と左岸を結ぶ。レリーフの「N」はナポレオンの頭文字。現在の橋は19世紀半ば、ナポレオン3世の命を受けたオスマンのパリ大改造で完成した。なのでマークは3世を表すとか。

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階段にも座る

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橋をくぐる。西洋人グループだと、決まって「ワァーー」と歓声を上げるが、アジア系は静か。

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プチ・ポン(小橋)に来ると、ノートルダム大聖堂正面の双塔が見えてくる。遠目には火事があったと見えない。

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ドゥブル橋。通行料が硬貨2枚だったからとか、他の橋の二倍(ダブル)だったからとか、名の由来はいろいろ。 

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アルシュヴェシェ橋

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ノートルダム大聖堂を後方から見ると、4月の火災で尖塔と屋根が失われたことがわかる。

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トゥルネル橋。右に見える塔はパリの守護聖人、聖ジュヌヴィエーヴ像をいただく。

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シュリー橋をくぐってサン・ルイ島をぐるりと回る。

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ノートルダム橋。パリ市庁舎とノートルダム大聖堂を結ぶ。

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ポン・オ・シャンジュ(両替橋)。その昔、両替屋があったかららしい。とんがり屋根は、コンシェルジュリー(下も)。今は最高裁判所のある司法宮の一部だが、フランス革命時は死刑囚の牢獄となり、マリー・アントワネットも投獄された。

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 再びポン・ヌフ。橋げたの魔除けのような彫刻。

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再びポン・デ・ザール。橋の上から手を振る人も多い。

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オルセー美術館

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ブルボン宮の向こうに見えるエッフェル塔に照明が入り始めた。右はコンコルド広場に通じるコンコルド橋。

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再びアレクサンドル三世橋とエッフェル塔

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 少しずつイリュミネーションの輝きが増す。

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これが見たくて、クルーズに乗る。この世のものとは思えない幻想的な姿。

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ドゥビイ橋

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空に半月

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