パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

ニューヨークの秋(2日目)9・11メモリアルからブルックリン

f:id:LOUVRE:20171125184855j:plain


街を巡り、昼と夜の摩天楼群を展望し、ブックリン橋を渡ると、ここは人種だけでなく近現代建築物の坩堝だとわかる。

ダウンタウンツアー バス 

ナイトツアーの興奮が尾を引いたのか、寝付けないまま朝を迎え、ぼんやりした頭で、ホテル向かいのスターバックスで朝食。日本のスタバでは見かけたことのないベーコンエッグサンドとクロワッサンを夫婦で分け合う。おいしい。コーヒー2杯を含め$12・5。

少し覚醒したところで、NY全体を上から見たいと、エンパイア・ステート・ビルにするかワン・ワールド・トレード・センターにするか迷った末、9・11メモリアルを優先することにした。

早く行くならメトロの選択肢もあったが、なんとなく乗り放題二階建てバスからの昼の景色も見たい気になって、七番街でダウンタウンツアーのバスに乗った。20分置きに出て一周2時間半ほど、21か所の停留所のどこでも乗り降りできる。

f:id:LOUVRE:20171125093933j:plain

タイムズ・スクエアは朝から広告映像ギンギンで、人通りも多く、前夜となんの変わりもないところがおかしい。毎日24時間お祭り騒ぎのスポット。

 

f:id:LOUVRE:20171125094054j:plain

シンボルのタワービルには「TOSHIBA」の広告があった。タイムズ・スクエアに燦然と輝く日本企業、のはずだったが、広告撤退を決めたと帰国後に報道があった。

 

f:id:LOUVRE:20171125182647j:plain

 

バスケットボール、ボクシング、有名ミュージシャンのコンサートなどで名前を耳にしたことのあるマジソン・スクエア・ガーデンヤンキースタジアム同様、現代のコロッセオ、闘技場。地下にペンシルバニア駅があるらしい。

 

f:id:LOUVRE:20171125094207j:plain

マジソン・スクエア・ガーデン

f:id:LOUVRE:20171125094235j:plain

 (ペンステーションとあるのだが、何かよくわからない建物)

エンパイア・ステート・ビルの真横を通り、チェルシーへ。

 

f:id:LOUVRE:20171125094338j:plain1

f:id:LOUVRE:20171125094428j:plain

(いずれもエンパイア・ステート・ビル

昨夜も見たフラット・アイアン・ビル(1902年)はその鉄さび色と三角柱そのものの奇妙な形が昼間一層目を引く。

f:id:LOUVRE:20171125094453j:plain

 本日のガイドは黒人男性で、喋りだすと止まらない。このビルにはこんな歴史があって、あの映画、この映画がここで撮影されたと念入りなガイドが延々と続く。今日も中身は半分もわからなかったけど。

f:id:LOUVRE:20171125094617j:plain

 ユニオン・スクエア、ソーホーを通って市庁舎前へ。市の機関が多数入るマンハッタン・ミュニシパル・ビル(1914年)は、鷲がウイングを広げたようにも見える。

f:id:LOUVRE:20171125094645j:plain

 ここで降車。ウールワース・ビル(1913年)をはじめロウアー・マンハッタンの多種多様な高層ビル群が目の前に林立する。

f:id:LOUVRE:20171125094724j:plain

(右から2番目がウールワース・ビル。1913年に完成したネオ・ゴシック様式の241mの建物で、クライスラー・ビルに抜かれる1930年まで、世界一高い建物だった)

 グラウンド・ゼロ

歩いて9・11メモリアルへ向かう。突出して高いワン・ワールド・トレード・センターの尖塔が目印。滑らかなガラスに青空を映してきらめくビルの全体が通りの正面に見えた。磨き抜かれた水晶塔のようなビル。てっぺんの尖塔はなぜか一角獣の角を想起させた。

f:id:LOUVRE:20171125094806j:plain

 2001年9月11日朝、米同時多発テロ世界貿易センターのツインタワーが、ハイジャックされた航空機に突入されて炎上、崩壊、これに伴って他の棟も崩壊した。死者は2749人とされる。グラウンド・ゼロと呼ばれる跡地はワールド・トレード・センターとして再開発され、9・11メモリアルの施設がつくられた。テレビでリアルタイムで見ていた航空機突入とビル崩壊のシーンは今も記憶に鮮明だ。NYの人びとのトラウマは、と軽々に言っても仕方ないけれど、あれから16年、テロおよびテロとの闘いは世界中に広がっている。

地上400mからのNY 

現センターの1号棟、ワン・ワールド・トレード・センターは2014年10月にオープンした。高さ1776フィート(541m)は全米一。アメリカ独立宣言が公布された1776年にちなんだとか。東京スカイツリーが武蔵の国なので634mの高さになったのと似てますね。

f:id:LOUVRE:20171125095923j:plain

入口に切符を買う長蛇の列。ニューヨーク・フリースタイル・パスは別の窓口で、列に並ぶことなく入る。セキュリティ・チェックを受けて60秒の高速エレベーターで地上400mの102階展望台、ワン・ワールド・オブザーバトリーに到着する。その眺めは以下に。

f:id:LOUVRE:20171125094902j:plain

(中央がエンパイア・ステート・ビル

f:id:LOUVRE:20171125094938j:plain

(右からブルックリン橋、マンハッタン橋)

f:id:LOUVRE:20171125095016j:plain

f:id:LOUVRE:20171125095044j:plain

自由の女神とエリス島も)

f:id:LOUVRE:20171125095641j:plain

(積み木を重ねたようなビル。崩れないのか心配) 

f:id:LOUVRE:20171125095716j:plain

NYのように個性的なビルが競い合う摩天楼の街は、上からよりも下から見た方が面白い。上からだと、個性が消され、スケールは違うけれど、あべのハルカスの地上60階、300mからの眺めと印象が似てしまうのだ。

地上に降りる。このビルの隣に2つのメモリアルプールがある。四方から絶え間なく水が流れ落ち、周りのブロンズ板にはテロ犠牲者の名前が刻まれている。

f:id:LOUVRE:20171125095804j:plain

 ハドソン川

フェリーで自由の女神を見て、ブルックリンへ行くため、歩いてすぐのハドソン川のふ頭へ。旅行2日前の10月31日、ふ頭に近い川沿いの自転車専用道でピックアップトラックが暴走するテロがあり、アルゼンチン人の観光客5人を含む8人が死亡した。テロよりキャンセル料が怖い夫婦に対し、息子、娘は「ニューヨーク大丈夫か」と心配した。ISを名乗り、ハロウィンの日を狙ったと容疑者の男は供述。目に映る川沿いの光景は平和そのものだが、いつどこでテロに遭遇するかわからない。

f:id:LOUVRE:20171125100222j:plain

川べりに立って思い出したのが、「ハドソン川の奇跡」。2009年1月、USエアウェイズ1549便はラガーディア空港を離陸した直後にバードストライクで両エンジンが停止し、機長の判断でハドソン川に着水する。離陸からわずか5分。乗員、乗客155人のうちけが人5人ですんだ。着水現場はこのふ頭から少し上流だ。

クリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス主演の原題「Sully」(機長の愛称)の映画(2016年)は、淡々と顛末を描き、事実のゆえかドラマ作りの職人芸ゆえか、じんわり感動してしまうが、空港へ引き返したら飛行機1機損せずに済んだじゃないか、という航空会社の損得勘定が機長の追及につながったという印象だった。シミュレーションではない1分1秒を争うとっさの判断と、無事着水させた機長の技量にイーストウッドは同じプロフェッショナルとして共感したのではないか。1時間36分という切り詰められた映画は、帰りの飛行機で再見した「グラントリノ」(なんとかっこいいアメリカンなクソじじいだろう)に比べれば、物足りない感じもするけれど、シンプルもいい。

ブルックリン橋 

f:id:LOUVRE:20171125100307j:plain

 

乗船したフェリーは南下してブルックリンに向かう。途中、自由の女神に近づいて写真が撮れるとばかり思っていたら、一向に近づく気配がなく、ガイドもロウアー・マンハッタンのビル群やら、バッテリー・パークをブンブン飛ぶ観光ヘリやらの説明に熱心で、自由の女神はほったらかし。仕方なくその遠景をカメラに収め、近づいてきたブルックリン橋の眺めに専心する。

f:id:LOUVRE:20171125100333j:plain

接岸して昼食時間。ふらふらと歩いて、イタリアンの店に飛び込み、パスタとフルーツサラダ、そしてつい地ビールのブルックリンラガーを頼んでしまう。

 ヘンリー・ミラーが育ち、ポール・オースターが居住するブルックリンをゆっくり散策するつもりでいたが、睡眠不足と昼のビールで眠くなり、ブルックリン橋を渡ることを優先した。スマホを手に橋の入口を探していると、住人らしい中年の白人男性が「あそこに見える公園の次の道を左だよ」と教えてくれた。異国での親切は身にしみる。歩いていくと、今度は制服の黒人女性が「ハーイ、橋はあっちよ」と教えてくれる。この辺、道に迷う観光客が多いのだろう。日本でも外国人に道案内をしてあげましょう。

 

f:id:LOUVRE:20171125102352j:plain

ブルックリン橋はイーストリバーをまたぎ、マンハッタンとブルックリンを結ぶ。14年かけて1883年に完成した世界初の鋼鉄ワイヤーを使った吊橋で、ワイヤーの幾何学模様とネオ・ゴシック様式の石のアーチが美しく、スティール・ハープと称される。全長2065m、下を車道、上を木製の歩道、自転車道が通り、歩いて30分ほどで渡ることができる。

ブルックリン側から進むと、左手に自由の女神、ロウアー・マンハッタンの摩天楼が近づいてくる。3日前のテロのせいか、以前からかは不明だが、橋の途中にニューヨーク市警のパトカーが止まっていた。

f:id:LOUVRE:20171125102230j:plain

f:id:LOUVRE:20171125100431j:plain

 ロックフェラーセンター  

 

少しくたびれてホテルへはまた二階建てバスに揺られて戻った。ダウンタウンツアーの続きのようなもので、降車した停留所からウォール街を経由し、1番街を北上するコース。

f:id:LOUVRE:20171125103213j:plain

(何のビルかわからない)

f:id:LOUVRE:20171125102443j:plain

(セント・ポール教会。1764年に建設されたマンハッタン最古の教会) 

f:id:LOUVRE:20171125103248j:plain

(NYの冬の名物、地下から噴き上げる蒸気)

f:id:LOUVRE:20171125103324j:plain

ウォール街はずれにある牛の銅像、チャージング・ブル)

f:id:LOUVRE:20171125103404j:plain

(牛の近くにある国立アメリカンインディアン博物館)

f:id:LOUVRE:20171125103448j:plain

(一番街を北上する)

ホテルの部屋で少し休んで、ロックフェラーセンターの展望台トップ・オブ・ザ・ロックでNYの夜景を見に行くことにした。

ホテルからは歩いて5分ほど。東西は5番街から7番街、南北は西48丁目から51丁目の広い範囲がロックフェラー村だ。石油や金融で財をなした米国三大財閥の一つの巨大センターに、国連加盟国の国旗に囲まれて黄金のプロメテウス像とスケートリンクがあった(下)。12月になると、特大ツリーが飾られることで有名ですね。20近い高層ビルで働く人は6万人以上らしい。このセンターを日本のバブルピークの1989年、三菱地所が一時買収して、NY市民の反発を買った、という話も、今では夢まぼろしのような。

f:id:LOUVRE:20171125103522j:plain

 f:id:LOUVRE:20171125181453j:plain

(ラジオ・シティ・ミュージックホールもロックフェラーセンターの一部)

f:id:LOUVRE:20171125105055j:plain

ロックフェラーセンターと向かい合うように五番街に面して建つセント・パトリック大聖堂。全米最大規模のネオゴシック様式カトリック教会で、南北戦争をはさみ1858年から1880年にかけて建設された。高層ビルとゴシック教会というヨーロッパではなかなかお目にかからない光景。

摩天楼夜景展望 

展望台は予約が必要で、午後8時過ぎに窓口に行くと、「8時50分?55分?9時?」と聞かれる。50分を選択して、時間まで地下街や地上のビル内のショップを回る。時間が来て高速エレベーターに乗り、67階の展望台へ。さらに69階、そしてさえぎるもののない70階へ。

f:id:LOUVRE:20171125103719j:plain

 

 

f:id:LOUVRE:20171125104109j:plain

 マンハッタンの摩天楼の夜景が広がる。一際目立つ尖塔がエンパイア・ステート・ビル、少し左にウロコ模様(実は車のラジエーターグリルをデザインしたもの)の尖塔があるクライスラービルクライスラービルは77階建、320mで、1930年の完成時、エッフェル塔もしのぐ世界一の高さの建物だった。しかし翌年1931年にエンパイア・ステート・ビルが102階建て、443mであっさり抜き去り、しばらくはエンパイアの世界一が続いた。

NYの摩天楼の歴史は19世紀末から始まり、1910年代から1930年代が建築ラッシュだったという。第一次世界大戦で疲弊したヨーロッパと対比的に大繁栄の時期を迎え、驚異的な高層建築ブームが生じたらしい。1925年のパリ万博でのアール・デコ・スタイルの装飾が当時の流行。1929年の株大暴落でバブル経済は崩壊、大恐慌時代へと向かう。(小林克弘著「ニューヨーク 摩天楼都市を辿る」参照)

エンパイアといえばキングコング。それも最初の1933年版の映画だ。エンパイアができて2年後に公開され大ヒットした。大恐慌時代を背景に、キングコングが何を象徴しているのかという論議、解釈はあまたあるようで、これは、戦後のゴジラ第一作でゴジラが象徴するものについて種々語られているのと同じか。キングコングは、小学生の時にテレビで見た。モノクロの夢魔のような映画の中で、コングがよじ登り絶命するエンパイア、NYの摩天楼は、高い建物といえば通天閣しか知らなかった極東の子供にとって、コングが生息していた南海の孤島と等しく現実離れした存在だった。

 

f:id:LOUVRE:20171125103801j:plain

f:id:LOUVRE:20171125105256j:plain

NYの摩天楼には100年にわたる歴史の厚みがある。建築の知識に乏しいので、詳しくはわからないが、とにかくいろんな様式のビル、建物が意匠を競う面白さ。

もちろん夜景もすごい。半端ではないビルの灯の集積。ただ、東京タワーからの(スカイツリーは上ったことがないので)夜景を上回るとは思っても、見たことのない夜景とまでは思わない。見たことがないのは、昼も夜も地上から見上げる光景だ(個人の感想です)。