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二度目の倫敦⑨バッキンガム宮殿から大英博物館

 旅行5日目。エリザベス女王が住むバッキンガム宮殿は、宿泊ホテルから歩いて5分ほどなので、名物の衛兵交代式を23年ぶりに再見しようかと、午前10時ごろ、宮殿へ。しかし晴れ過ぎて寒い。

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1703年にバッキンガム公の私邸として建てられ、1837年にヴィクトリア女王が即位とともに宮殿とした。正面にヴィクトリア女王記念碑(写真の左)がある。周りを取り囲むブロンズ像はライオンを従える男女像。

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ニュージーランドのギフト」とある。
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正門にイギリスの国章。イングランドを象徴するライオンとスコットランドを象徴するユニコーン(一角獣)が盾を支え、上にもライオン。盾にはイングランド王室の紋章の3頭のライオン、スコットランドの紋章のライオン、アイルランドの紋章の竪琴がデザインされている。

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門柱にもライオン。

トラファルガー広場にもライオンがいた。ライオンだらけ。

12世紀、第3回十字軍遠征に参加し、10年ほどの在位中、戦闘に明け暮れたイングランドリチャード1世は、Richard the Lionheart(獅子心王)と呼ばれ、騎士の模範と称えられた。「ライオンハート」ースマップの歌や恩田陸さんの小説のタイトルにも使われた。英語の慣用句で「勇敢な心」。

現在のイングランド王室の紋章を作ったのもこの王で、以来、ライオンがイギリス王室のシンボルになったようです。アメリカならハクトウワシ

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衛兵さんは、冬は赤ではなくグレーのコート。

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宮殿正面。国旗が掲げられているので女王は不在らしい。

英国王室はチャールズ皇太子とダイアナ妃の離婚とか、その次男ヘンリー王子とメーガン妃の王室離脱とか、いろいろあって、エリザベス女王も大変ですね。日本の皇室も天皇の姪の婚約問題とか、いずこの王室皇室も一般家庭なみに問題を抱え、なおかつパパラッチされるので、悩みは尽きません。

1時間ほど経つと以下の写真のような状態に。

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騎馬警官とか音楽隊の行進は見たが、衛兵交代式まで待つと風邪を引きそうだったので、宮殿を後にした。

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またライオン。

で、ここはどこかというと、大英博物館の裏口。何を間違ったのか、駅から歩いて、たどり着いたのは裏口だった。

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グレイト・コート(大きな中庭?)と円形閲覧室(リーディングルーム)。

1848年に「共産党宣言」をエンゲルスとともに出版したあと、ドイツを追放され、ロンドンに亡命したカール・マルクス(1818-1883)が、困窮生活の中で30年にわたってここに通いつめ、「資本論」を書きあげた、という話は有名。

産業革命と植民地の大英帝国の首都にあって、資本家による労働者の搾取、長時間労働、過重労働、健康被害、子供の労働、階級闘争、労働者と機械との闘争、資本主義による環境破壊といったテーマを研究した。共産主義の是非はともかく、課題の多くは今なおリアルでマルクスは先進的だった!、というぐらいしか、ちゃんとマルクスを読んでいないので言えない。

この閲覧室には博物学南方熊楠(1867-1941)も通い、人種差別を受けて暴行事件を起こすなど武勇伝を残す。和歌山県田辺市にある熊楠顕彰館を訪ね、その半端ないスケールの大きさに驚いたことがあるが、この人も先進的な人物だった。

グレイト・コートのグッズ売り場で、埼玉県の高校の修学旅行生たちに遭遇した。パリ・ロンドン旅行だそうだ。若いころに海外の文化に触れ、世界に雄飛してください。

閲覧室の中は見学しそびれた。残念。

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ロゼッタ・ストーン(紀元前2世紀)

1799年、ナポレオンのエジプト遠征軍が、ナイル川河口の町ロゼッタで発見した。1801年にエジプトをめぐる戦いで勝利した英国の手に渡った。戦利品にならなかったら、いまごろはルーヴル美術館で展示されていたか。

古代エジプトヒエログリフ(神聖文字)、デモティック(民衆文字)、ギリシャ文字が刻まれ、のちにプトレマイオス5世にまつわる文書と判明した。

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王名表(紀元前1250年ごろ)エジプトの統治者のリストが書かれている。

この博物館には遺跡の発掘で見つかった数々の古代エジプトのファラオ像が置かれている。

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ラムセス2世像(紀元前1250年ごろ)

日本では縄文時代…。

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アメンテホブ3世の頭像(紀元前1370年ごろ)

年間700万人が訪れるロンドン№1観光スポットの大英博物館は、収集家の医師ハンス・スローンの個人コレクションが国に譲られ、1759年に公開されたのが始まり。博物館の建物として、売りに出されていたバッキンガム宮殿も候補に挙がったが、価格が高すぎたため、現在地にあった邸宅を購入して充てた。図書室の蔵書と自然史標本はその後、別の場所に移された。収蔵品は古今東西の800万点。

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象形文字らしい。

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猫の神像。

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羊の神像

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愛嬌のある顔をしたスーダン出身のエジプト統治者、タハルカ王のスフィンクス(紀元前680年ごろ)。

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古代メソポタミアアッシリアの人頭有翼獅子像(紀元前9世紀)

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同じアッシリアの人面有翼牡牛像。城門の両側に置かれ、悪魔よけとみられている。狛犬あるいはシーサーに類似してますが、でかい。

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アッシリアのライオン。

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トルコ・クサントスの権力者の墓廟、ネレイド・モニュメント(紀元前4世紀)。ギリシャ神話の海神ネレウスの娘たちの彫像が飾られている。しかし、墓廟ごと運んでくるとはね。

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オスマン・トルコの英国大使だったエルギン卿は1800年代の初め、ギリシャアテネパルテノン神殿から大理石彫像群をはぎ取り、イギリスに運んだ。ギリシャを統治していたオスマン・トルコの許可を得たとして。

大英博物館は買い取りにあたって、言い値の半額以下に値切ったため、エルギン卿は多額の借金を抱え込み、返済は子の代までかかったとされる。

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彫像群はエルギン・マーブルと呼ばれ、はぎ取りは、当時ギリシャ独立運動に参加していたバイロンらに非難されたが、「ギリシャに放置すれば破壊され、散逸する。文化を保護するためだ」と、そのまま大英博物館が所蔵した。

その後1980年代、軍事政権から社会主義政権に移行したギリシャの文化科学大臣になった女優のメリナ・メルクーリが、返還を求めたが、博物館側は応じていない。

以下もパルテノン神殿から切り取られたもの。

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三美神(紀元前5世紀)。右からアフロディテ、その母親のディオネ、炉の神ヘスティアとされる。豊満な肉体を包む衣文がリアル。

ルーヴル美術館のミロのヴィーナスやサモトラケのニケと同様に、欠けていることが得も言われぬ美を生む。

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ケンタウロス(半人半馬)と人間との闘い(紀元前5世紀)(下も)

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左は、神々の伝令を務めた虹の女神イリスが飛んでいる像(紀元前5世紀)とされるが、翼もなにもかももがれて胴体だけが残る。

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柱を取ってきたら、あとの建物はどうなったのか。

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この柱も。 

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饗宴の図(紀元前14世紀)

エジプト・テーベのネバムンという会計士の墓の壁画。

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モザイク画も。

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二階、エジプトの棺とミイラのコーナーはなかなかすごい。墓荒らし、死体泥棒と言われなかったのかと心配するほどの数が展示されている。

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棺の装飾は色とりどりで、素晴らしいと思う。しかし、棺の中には下のような「恐怖のミイラ男」が眠っている。夜な夜な起き上がって博物館の中をさまよいそうな。

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X線だとこうなる。

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墓穴で自然にミイラ化した人、らしい。

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モアイ像。

結局、古代エジプトアッシリア、トルコ、ギリシャ限定で鑑賞、それ以外のローマやアジアやヨーロッパやアメリカはほぼ素通りでした。

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博物館の正面。

実は博物館は苦手だった。美術館では画家、彫刻家一人ひとりの個性、物語を読む楽しみがあるけれど、博物館は作者不明のものが大半なので、感情移入ができない。

しかし古代人の独特の死生観、発想と造形の面白さは感じ取ることはできた。歴史をもう少し知れば、興味は倍増するに違いない。再挑戦してみたい。