二度目の倫敦④ナショナルギャラリー1600年~1700年
ナショナル・ギャラリーは1824年に創立された。18世紀から19世紀にかけ、フィレンツェ、ウィーン、パリ、マドリードなど、ヨーロッパの主要都市に次々と美術館が誕生した。ロンドンには大英博物館はあったものの、絵画の美術館としては後発となる。
他館が王室コレクションをもとにしていたのに対し、ここはロシア出身の実業家ジョン・ジュリアス・アンガースタインの個人コレクション38点を購入したのを始まりに、民間のコレクターからの寄贈や購入で少しずつ増やし、現在は2300点を所蔵する。彫刻その他はなく、絵画のみ、というのも特徴だ。
今年、東京の国立西洋美術館と大阪の国立国際美術館で開かれる「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」には61点が出品され、すべて初来日だそうだ。
スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)の「台所の情景、マルタとマリアの家のキリスト」(1618)は来日の1点。
手前のリアルな魚や卵、台所仕事をする女性と指示する女性、画中画のキリストの聖書の1シーン。仕掛け満載の「ラス・メニーナス」(プラド美術館)の画家、ベラスケスは若いころから謎解き画が得意だったようです。
プラドのベラスケスは以下のブログに書きましたので、よろしければ。
http://louvre.hatenadiary.jp/entry/2018/05/08/171126
以下3点もベラスケス。
「茶と銀の装いのスペイン王フェリペ4世」(1631-32)
16世紀中盤から17世紀前半はスペイン帝国の黄金時代。絵画でも、マネに「画家の中の画家」と言わせたベラスケスを生んだ。
ベラスケスの肖像画では、ローマのドーリア・パンフィーリ美術館にある「教皇インノケンティウス10世」が知られ、20世紀の英国画家フランシス・ベーコンが本歌取りした作品を描いた。
「教皇インノケンティウス10世」の話は、以下のブログに書いています。
http://louvre.hatenadiary.jp/entry/2018/11/28/102008
「ヴィーナスの化粧」(1647-51)
ティツィアーノらヴェネティア派の裸体画を連想させるが、後ろ向きのヴィーナスは珍しいとか。後ろ姿に比べ、鏡に映る顔が老けていて、移ろい、無常観の表現、という人もいる。ヴィーナスに託したスペイン帝国の落日…。
ムリーリョ「子羊と幼少の聖ヨハネ」(1660-5)
ベラスケスと同じスペイン・セビーリャ出身の画家ムリーリョは、子供の絵を得意とし、当時、ラファエロと並び称されるほどの人気だったとか。
17世紀はスペインに代わり、オランダの世紀となる。海運、貿易で繁栄を極め、絵画の世界でも傑出した画家を生む。
その一人、レンブラント(1609-1669)の4枚。
「ペルシャザルの饗宴」(1636-38)
神殿から略奪した金銀の器で宴会に興じるバビロニア王の前に、破滅を予告する文字が現れるという旧約聖書の一場面を描いた。、映画のシーンのような臨場感。
34歳の自画像(1640)
これも来日する。
「ヤコブ・トリップの肖像」(1661)
光と影と筆触。当時の豪商らしい。レンブラントには肖像画の注文が多数あった。
63歳の自画像(1669)
80枚ほど残された自画像のうち、死の数か月前に描かれた最後の3枚のうちの1枚とされる。
ルーヴル美術館には34歳と54歳の自画像が展示されている。ルーヴルのレンブラントと自画像については以下のブログにも書いています。
http://louvre.hatenadiary.jp/entry/2019/10/01/091053
そしてヨハネス・フェルメール(1632-1675)。
ペアで語られる晩年の2作がここにはある。
「ヴァージナルの前に座る若い女性」(1670-72)
これも日本に初めて来日する。女性の背後、右上の絵は、娼婦と客。女性が手前のチェロのような楽器と二重奏を期待していると、解釈すると…。
「ヴァージナルの前に立つ若い女」(1670-72)
こちらの背後の絵は愛の神キューピッド、手前に空の椅子、ということで、女性が誰かを待っている寓意(あからさまですが)と解釈されている。
メインデルト・ホッベマ「ミッデルハルニスの並木道」(1689)
このギャラリーでも人気の絵画とか。妙に懐かしい不思議な風景。馬車の轍が残ったのか、少しでこぼこの道が遠近法を使った絵の消失点に向かう。ひょろりと伸びた並木と、もこもこした白い雲のコントラスト。鑑賞者はこの道をどんどん歩いていく。オランダ風景画の逸品。
フランツ・ハルツ「髑髏を持った若者(ヴァニタス=無常)」(1626-1628)。
ヴァニタス=無常は西洋絵画の永遠のテーマ。若者と髑髏の組み合わせで、若い盛りは今だけ、時間はあっという間に流れるという意味でしょうか。
ファン・ゴッホはこのオランダの先達を称賛したらしい。絵のテーマではなく、細部を一筆、一息で描いたその技法に対して。
これもオランダの画家、ヤン・ヤンスゾーン・トレックの「ヴァニタスの静物」(1648)。
世界を制覇した17世紀のオランダで、こうした絵が流行したらしい。繁栄のさなかの没落の予感。
冑の勇士も今は髑髏、人生砂時計、煙管の煙のようにはかない。説明されればその程度はわかるが、それ以上は意味不明…。
フランドルのルーベンス(1577-1640)の作品もいろいろある。
ルーベンス「キリスト降架」(1611)
ベルギー・アントワープ(アントウェルペン)教会にあり、「フランダースの犬」で少年ネロと犬のパトラッシュが息を引き取る前に目にした大祭壇画とほぼ同じ構図。祭壇画を描く前に、「こんな感じでよろしいか」と発注者に承認を得るために描かれたものとみられている。
「たいへん残念なことに、現代人はもはやルーベンスに共感できない」
ナショナル・ギャラリーのガイドブックには、ルーベンスファンを憤慨させそうな言葉が出てくる。肉感的に過ぎる女性、劇的だけれど大仰。17世紀の北方絵画の両雄でありながら、レンブラントの静謐、現代性とは対極にあるのは確かだが。
ただし、ルーベンスにも、子供を描いた絵とか、写真下の19世紀のコンスタブルに通じるような風景画とか、共感できる絵も数々ある。
「ステーン城の見える秋の風景、早朝」(1636)
外交官としてヨーロッパを駆け巡り、スペイン、イギリスの王室に出入りし、パトロンの注文に応じて神話、聖書、歴史物語の大作を描く。それらから解放され、晩年はなじみのアントワープの風景を描くことに喜びを感じていたそうだ。
カラヴァッジョ(1571-1610)の「エマオの饗宴」(1601)
波乱の人生を歩んだイタリアの光と影の画家。3点がここにはある。
復活したキリストが村の店に現れ、正体を知った弟子たちが驚くシーン。キリストの顔がふっくらしていて、とても復活したキリストとは見えないところに、カラヴァッジョの意図はなにかあるのでしょうか。
「トカゲにかまれた少年」(1594-5)
ナショナル・ギャラリーの年間入場者数は500万人から600万人で、ロンドンでは大英博物館に次ぐ。世界でも毎年5~10位に入る人気美術館だ。ロンドンの他の多くの美術館、博物館と同様、無料!というのも大きいのだろうと思う(フリーで入れるのに、入場者数をどうカウントしているのか、不思議ですが)
日本のガイドブックのフロア図のコピーを持参したが、いかんせん分かりにくいので、フロア案内の日本語版、£2を買おうとしたら、係の女性が「あなたの持ってるのと同じだから買わなくていいよ」と、商売っ気がない。ドネーション(寄付)&記念として結局買わせてもらいました。
あらゆる人に開かれたギャラリー、は設立当初からのポリシー。
懐にゆとりのない人、子供たちもウェルカム。仕事が忙しくて1日は無理だけれど、30分、1時間でも絵に触れたいという、時間にゆとりのない人にも開かれている。トラファルガー広場という繁華で便利な場所にこだわり続けるのもそのためだとか。
1987年から15年間館長を務めたニール・マグレガーはナショナル・ギャラリーの役割を次のように書く。
「絵画は想像された世界であり、私たちを探検に誘っている。私たちもやがてその中で居心地よく感じ、自信をもって動き回れるようになるだろう。絵画に親しむこと、つね日ごろながめていること、絵画という想像の世界に遊ぶ自由を手に入れるには、これが肝心である。想像の世界で遊ぶことは、精神が味わう最大の喜びに数えられる。そしてナショナル・ギャラリーは、何よりもまずそのために存在するといってよいだろう」
(ケネス・クラーク「ロンドン ナショナル・ギャラリーの名画から 比べて見る100のディテイル」から)
クロード・ロラン「海港、シバの女王の船出」(1648)
フランス・ロレーヌ地方出身の画家は、ローマに出て風景画の第一人者となる。代表作がこの作品とされる。テーマは聖書の物語だが、朝日の淡い日差しと波打つ海面の反射、古代の建物と人々を取り巻く空気こそが絵の主役。
ロランの絵はイギリスでも大人気となり、庭園趣味や18世紀以降の風景画に強い影響を与えていく。
参照「ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド」