二度目の倫敦⑩ノッティング・ヒル、アビーロード、テート・モダン
ロンドン最終日、夜の出発までの時間をフルに使う。
まず行ったのは、映画「ノッティングヒルの恋人」の舞台になったノッティングヒルのポートベロー。ジュリア・ロバーツ、ヒュー・グラントが主演し1999年に製作されたこのイギリス映画で、界隈は一躍人気スポットになったらしい。
地下鉄駅を上がると教会のある普通の街並みのようにみえる。それが、少し歩くと、突然カラフルになる。
可愛い感じの住宅街。
お店の並ぶメーンストリート。 平日の午前中から老若男女がやってくる。
「ローマの休日」の王女をハリウッド女優に変えたような映画とすると、言い過ぎな気もするが、シンデレラ譚の男女逆バージョンのラブ・ストーリーは20年経っても、ロケ地に人を呼び寄せる。映画の影響力恐るべし。脚本は「Mr.ビーン」や「ブリジット・ジョーンズの日記」の脚本家リチャード・カーティス。ヒュー・グラントは「パディントン2」にも悪役で出演してましたね。
懐かしいミシンをディスプレイに使ったブティック。
脇道にはパステルカラーの家が並ぶ。
「不思議の国のアリス」から取ったらしい「アリスズ」という名のアンティークの店。訪れた時は知らなかったので、入りそびれたが、映画「パディントン」にグルーバーズの名で登場していた(写真下)。
故郷ペルーに来た探検家を探すクマのパディントンに店主が協力する、という設定。
その探検家の娘で自然史博物館のはく製部長を演じるのがニコール・キッドマン。パディントンをはく製にしようと追い掛け回す悪役で、イギリスの収集癖を皮肉ってもいる。
「ジョーカー」と並んだ「ノッティングヒルの恋人」。
古い人間なので、イギリス映画というと思い浮かべるのが、「長距離ランナーの孤独」(トム・コートネイ主演、アラン・シリトー原作、1962年)、「蜜の味」(リタ・トゥシンハム主演、1961)。いずれもトニー・リチャードソン監督のモノクロ作品で、体制への反抗、マイノリティの悲しみを正面から描き、胸に突き刺さる「怒れる若者たち」の映画。
ケン・ローチ監督が引退を撤回して作った「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2016年)は、貧困への貧困な政策に怒りをぶつけた映画だが、怒れる主人公は若者ではなく老人であるところが、時代の違いなのか。
007映画は置いといて、アルフレッド・ヒッチコック、デヴィット・リーン、キャロル・リードらの巨匠に加え、チャールズ・チャップリンもイギリス人。ハリウッドに渡って数々の傑作を作ったが、イギリス国籍を捨てなかった。1952年、「ライム・ライト」のロンドンでのプレミアム上映で帰国した際、赤狩りでアメリカに再入国できなくなり、再びアメリカの土を踏んだのは追放から20年後、アカデミー賞名誉賞の授賞式に出席するためだった。
話は飛ぶが、スティングも出ていた傑作「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」や「コードネームU.N.C.L.E」のガイ・リッチー監督(見ていないけど最近の「アラジン」も)のユーモアセンスは、イギリスっぽくて好きです。
土産店にあったおもちゃのマスク。エリザベス女王、ヘンリー王子、メーガン妃、ジョンソン首相、トランプ大統領に、Mr.ビーン、007のダニエル・クレイグ。人気者に時の人、ということでしょうか。Mr.ビーンが入っているところがすごい。
ストリートアーティスト、バンクシーの作品のプリントも売られていた。
次に向かったのは、ビートルズの「アビー・ロード」のレコード・ジャケットで有名な横断歩道。
最寄りの地下鉄セント・ジョンズ・ウッド駅を地上に出ると、小さなカフェにビートルズグッズがあった。ジャケットの写真をイラストにしたTシャツも売っていた。
雨模様だったが、横断歩道を渡って記念撮影するファンは引きも切らず。
家族で立ち止まってポーズ。
二階建てバスも停止する。
レンガのあちこちに名前が。「ここにも、そこにも、どこにも書かないでね」とのお願いはあるけれど。
塀のへりにも落書きがあった。
続いて、最後の訪問場所、テート・モダンへ。
この美術館はテムズ川に面した発電所を改築して2000年にオープンした。
かつてのテート・ギャラリー収蔵品のうち20世紀美術はここへ、ターナーの多く、ミレイの「オフィーリア」、コンスタブル、ホックニー、フランシス・ベーコンらイギリス美術は「テート・ブリテン」へ、一部はナショナル・ギャラリーに収められた。「テート・ブリテン」は今回、行けかなったので、次回の宿題に。
フランシス・スターク「見よ男!」(2013)
フェミニズムアート。
ウィルヘルム・サズナル「カダフィ3」(2011)
殺害されたカダフィは、マンティーニャの「死せるキリストへの哀悼」を思わせる。
リキテンシュタイン「ワァァム!」(1963)
シルド・メイレレス「バベル」(2001)
何百もの中古のラジオが円柱状に積み重なり、それぞれから音が流れ出して不協和音を奏でる。
テート・モダンは現代アートにかなりのスペースを割いている。
いろんなテーマでの展示、ワーク・ショップ。
現代アートは、意表を付く視点で今を切り取り、潜在意識を刺激し、未知の世界を見せてくれることもあり、時に面白い。
その一方で、意味を読み取らないといけないと思うからか、時にしんどい。
時間をかけて観るべきだが、時間がない。
見慣れた画家の作品をつい探してしまい、見つけるとほっとする。
パブロ・ピカソ「女性の胸像」(1944)
同じくピカソ「三人の踊り子」(1925)
亡くなる前年の切り絵。
ピエト・モンドリアン「コンポジションB 赤とともに」(1935)
ジョルジオ・モランディ「静物」(1946)
イヴ・クライン「IKB79」(1959)
マリア・エレナ・ヴィエイラ・ダ・シルヴァ「パリ」(1951)
ジャン・デュビュッフェ「プリュームという男(アンリ・ミショーの肖像)」
ニコラ・ド・スタール
マックス・エルンストのシュルレアリスム絵画から出てきたような鳥人が階段を上り下りしていた。
これもアート?
この界隈はシュルレアリスムの世界。
サルバドール・ダリ「ロブスター電話」(1936)
イブ・タンギー「1000回」(1933)
シュルレアリスムのようで、そうではない。
アントニー・ゴームリー「無題」(1985)
部屋の中ほどに、ボッチョーニの「宇宙における連続形態」(1913)。
この美術館には大勢の学生が来ていた。
クロード・モネ「睡蓮」
「睡蓮」のそばに、ロシア系ユダヤ人のアメリカ抽象表現主義の画家、マーク・ロスコ(1903-70)の部屋がある。
ニューヨーク・シーグラムビルのレストランの壁画として制作された約40点の絵画は、本人が納入を断り、うち9点がロンドンにやって来た。作品が到着した日、ロスコが自ら命を絶っているのが見つかった。
マローン(えび茶色)を基調にした絵が並ぶ部屋で、絵を見つめながら静かに座り続ける人たち。
その色彩、シンプルな造形が瞑想を誘う。
美術館をテムズ川側に出ると、ストリート・ミュージシャンがいた。
ミレニアム・ブリッジから見たシティ方面の風景。夜のクルーズでも見たビル群。
タワー・ブリッジを遠望する。
橋の向こう岸には、イギリス国教会のセント・ポール大聖堂。1666年のロンドン大火で前身の木造大聖堂は消失し、その後イタリア・ルネッサンス様式の現在の建物となった。
過去と現在が混在する都市ロンドンの魅惑の風景を後にして、ヒースロー空港に向かった。