二度目の倫敦①パディントン経由セント・ジェームズ
若い係官が私のパスポートを見ながら訊ねてきた。
「ビジネス?それともトラベル」
「トラベル」
「ロンドンのホテルは?」
「決まっていない」
ここまではいつもの質問だ。しかし、次の質問を受けたとき、不吉な予感がした。
「帰りのチケットは?」
「いや、持ってない」
私が答えると、係官はパスポートの査証欄をパラパラとめくり、そこに押されている各国のスタンプを黙って点検しはじめた。私の不安は増してきた。係官は、しばらく何かを探すように査証欄を見ていたが、やがて私に訊ねてきた。
「日本を出てからどれくらいになる?」
「約1年・・・」
「所持金は」
「五百ドル」
沢木耕太郎さんの名作「深夜特急」。旅の最終地ロンドンの入国審査で引っ掛かり、別室で取り調べを受ける。1970年代のこと。ロンドンでは前の年にIRAの爆弾テロがあり、入国審査が厳しくなったのかと思いつつ、荷物はあらいざらい調べられ、手紙まで読まれ、「怒り心頭に発する」中で入国を許可される。
時は流れ、2019年12月5日のロンドン・ヒースロー空港。
その後もテロがあり、移民問題もあるせいか、今もイギリスの入国審査は世界一厳しい、色んなことを質問してくるので、ホテル、帰りの便を答えられるようにしておいた方がいい、大混雑して通過に時間がかかる、との脅しとアドバイスがネットで散見された。
ところが…
審査の列は少ないし、機械で自動化されている!パスポートをスキャンすればおしまい、で拍子抜け。もっとも、妻はパスポートの写真と違って眼鏡をかけていたせいか、エラーになって係官面接となったが、ほとんど質問なく通過。
2019年5月から自動ゲート(上の写真)が導入されたそうで、対象国の国旗がパネルに表示してあった。EU、オーストラリア、カナダ、日本、ニュージーランド、シンガポール、韓国、米国、スイス、リヒテンシュタイン、アイスランド、ノルウェー。最後4か国はEUに属していないが、シェンゲン協定加盟国。アジアでは日本と韓国とシンガポール。対象国にしてくれてありがとう。
空港からロンドン市内のホテルへは、直行列車のヒースロー・エクスプレスとタクシーを乗り継ぐ一般的な方法を取った。空港~市内へのタクシー料金が定額のパリやニューヨークなら、楽なのでタクシーを使うけれど、伝統のロンドンタクシーはなぜか今もメーター制。夕方は大渋滞して、時間はかかるわ、料金はかさむわ、となるらしい。
エクスプレスの駅まで地下道を10分ほど歩く。
終点のパディントン駅まで、通常一人片道£27(4000円)と少々高いが、二人往復のDUOチケットだと£57になり、ネットで事前購入。改札のスキャナーが、印刷したチケットのQRコードを読み取らないトラブルもあったが、係員にゲートをあけてもらって入った。
車両はモダンで快適。スーツケース置き場もしっかりある。
20分ほどでパディントン駅へ。
映画「パディントン」の子グマがペルーからたどり着いた駅。
帰国後、映画を観たら面白かった。人気ドラマ「ダウントン・アビー」の父親役のヒュー・ボネヴィル、アカデミー賞作品賞の「シェイプ・オブ・ウォーター」の主演女優サリー・ホーキンスが夫妻役という渋いキャスティングで、夫妻の一家が駅で子グマに出合い、駅名を名前にして物語は進む。ニコール・キッドマンも出演、「パディントン2」では「ノッティングヒルの恋人」のヒュー・グラントも出演し、この映画の人気および制作側の力の入れようがわかるというもの。
タクシー乗り場はどこか、ときょろきょろしていたら、妻が床の矢印に気づいた。
乗り場は駅舎の裏手にあり、迷うツーリストが多いのだろう。ヘルプの導線。
逆がこれ。空港行きエクスプレスのホームへと誘導する表示。
親切というか、英国流合理主義というか。
駅から乗った、もっこりスタイルが特徴のロンドンタクシーは、後部座席のスペースにスーツケースが楽々置ける。これも合理的。ただ、渋滞するルートをわざと通っているのではないかと思うほど車が動かず、たいした距離でもないのに時間がかかり、ホテルまで£22(3300円)かかった。
そのホテルはバッキンガム宮殿近くのセント・ジェームズ・コート・アタージ。
インド系ホテルらしいが、クリスマスの装飾がロビーをきらびやかに彩る。
部屋で荷物をほどくと、近所の散策へ。
ホテルの斜め向かいに古色蒼然とした赤レンガの建物があった。前庭の草木は伸び放題で、ホラー映画に出てきそうな雰囲気。玄関ドアの上方に子供の像、窓から見える室内にはウエディングドレスを着たマネキンと、これも少し怖い。
プレートを見ると、一つには「1688年創立の学校」、もう一つには「イアン・スチュアート」とあった。
歴史のあるブライダルスクールか、ぐらいに思って、滞在中、毎日通り過ぎていたが、あとで調べてみると、由緒ある建物だった。
1688年に貧しい少年少女のための学校としてつくられ、1926年まで存続したらしい。17世紀はペストの流行とロンドン大火とイギリス革命、さらには植民地時代の始まりとされる。18世紀の産業革命を経て大英帝国の黄金時代へと進むが、ロンドンでは経済格差激しく、貧困層が少なからずいて、子供たちも厳しい労働条件のもと、工場で働いていた。そういう中で、一定の役割を果たしたのだろうか。
学校廃止後も建物は残され、1954年にナショナルトラストで購入され、2013年から、王室や社交界のウェディングドレスを手掛けるイアン・スチュアートというブライダルデザイナーがコレクションの場所として使っているのだとか。これで子供の像とマネキンの謎が解けた。
歴史を記憶するために建物を保存、活用することに、ヨーロッパは長けている。貧困問題は今の問題でもあるけれど。
通りに出ると、横断歩道にこんな表示が。「右を見よ」。
英国は日本と同じく車は左側通行。他国はたいてい右側通行だから、ツーリストは道路を渡る際、習慣でまず左に注意を向け、渡りかけて、おっとっと、右から車が来たやないか、危ない危ない、となるのを防ぐ注意書きのようなものでしょうか。
ここらにも、英国式親切心を感じたのだが、その後、あちこちの道路を見ると、「左を見よ」とか「両方に注意せよ」もあって、必ずしも車の左側通行に慣れないひとのため、というわけでもないのかも…。
ビルの中のクリスマスツリー
アーケードにはイリュミネーション
おお、二階建てバス
ウェストミンスター大聖堂の前にもツリー。赤白レンガの外壁でビザンチン様式のカトリック教会は、20世紀初めに完成した。ローマ教皇庁とイギリス国教会の関係が19世紀末に改善された結果、大聖堂(カテドラル)が建てられたそうだ。
英国は16世紀の宗教改革で国王を首長とする国教会が主流となり、やがて国家宗教となって、バチカンのカトリックとは一線を画してきた。歴代国王が戴冠式をする世界遺産のウエストミンスター寺院(アベイ)は国教会の教会で、少々、ややこしい。
ヴィクトリア駅方向に歩いて行くと、広場でクリスマスキャロルを合唱していた。
界隈には劇場もあって、それなりににぎやか。
ホテル方向に戻ってパブに入る。
アルバートという名のこのパブは、1862年の開業で、4階建のヴィクトリア様式の建物はオフィスビルに囲まれて異彩を放っている。19世紀末、大英帝国の黄金時代を生きたヴィクトリア女王の夫、アルバートにちなんだ名前とか。建物は第二次世界大戦のドイツの空襲にも生き延びた。
確か午後8時ごろの入店だったと思うが、一階は立ち飲み客でごった返している。
二階の席へ行く。
こちらもクリスマス仕様。そしてロンドン初日のいきなりフィッシュ&チップス、ギネス、エールビール。
なかなかおいしい。一人では食べきれないので、二人でシェア。
ウエストミンスター宮殿=国会議事堂(ロンドンのみなさんは「パーラメント」と呼んでいた)が比較的近いこともあって、二階の階段踊り場には、歴代首相のギャラリ-(むろんチャーチルもメイさんも)があった。
そういえば、12月12日には総選挙があって、EU離脱か否かの国民の最終判断が下されるのだな、と思いだし、このパブでもそんな議論が行われているのだろうか、いや、11月のラグビーW杯日本大会決勝でイングランドは南アフリカに敗れ、表彰式で準優勝メダルを首からはずしてふてくされ、ラグビー発祥の国らしからぬ振る舞いだったことを議論しているのかとか、みなさん何を話しているのかわからないので、勝手に想像していたが、選挙の結果は保守党圧勝で、予定通りブレグジットということになった。
もちろんここにもクリスマスツリー
二階から階段を下りると、「よい1日を。またお越しを」との看板があった。
実は、この旅は「クリスマスシーズンのパリ」の予定だった。ところが11月初め、パリの地下鉄その他が12月、無期限の大規模なストをやる、と知り、ロンドンに急遽変えた。20年ほど前に2泊して以来のロンドンは、行先を変えてよかったと思うほど、不思議に面白い都市だった。