パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

藤原新也さんの眼

自然免疫の代替でしかない新型コロナのワクチン接種は受けない、と「外道」の藤原さんは言う。

「小市民」の当方はすでに2回の接種を終え、小安心している。

写真家・作家藤原新也さんへの聞き書き記事「風景を人を 変えてしまう五輪」が朝日新聞朝刊(6月22日付)文化面に掲載されていた。

f:id:LOUVRE:20210622195540j:plain

紙面を開いたとき、添えられた農村風景のカラー写真がまず目に飛び込んできた。

どこかで見たような。

記憶から浮かび上がったのが、2年前、パリのオルセー美術館で遭遇したジャン=フランソワ・ミレーの油絵「春」(下の写真)。見慣れた「晩鐘」「落穂拾い」より、バルビゾンの農村を幻想的に描いたこの作品になぜか強く魅かれた。

f:id:LOUVRE:20190904120012j:plain

改めて絵の写真を見ると、構図や光の具合が似ている。

朝日の記事の写真は、この写真家が1976年に韓国で列車の車窓から撮り、「こんなところで死にたいと思わせる風景が、一瞬、目の前を過ることがある」との一文をつけ、著書「メメント・モリ」に収めたものだった。

その本は30数年前に読んでいたが、写真のことは覚えていない。しかし脳内に焼き付いていたことで、よく似たミレーの絵に心が動き、そして今回……。風景の輪廻転生か。

写真家は撮影したその村にその後何度も足を運び、村人とも交わるが、90年の訪問時、一変した風景を前に立ち尽くす。2年前のソウル五輪で高速道路が開通し、見渡す限り更地になっていたのだった。

そして東京五輪

「欧州の貴族文化に端を発した近代五輪が、華やかな祭りの影で世界の土着文化を破壊していった『裏の歴史』。それは今も、厳然と積み重ねられ続けている」

「東京漂流」以来の肉体的かつ哲学的な批評精神衰えず、コロナ下の日本に露出した1964年来の五輪信仰への「後進国的心性」に、大いなる「?」を突き付ける。

 

 海外では農村より都会の風景に魅かれ、五輪も時差なしにTV観戦できればうれしいと思う私にも、しびれるお話でした。

(余談ですが、ジュールズ・ボイコフの「オリンピック秘史 128年の覇権と利権」=早川書房=を読むと、うさんくさいIOCという組織が、国家、政治、人種、差別、金といかに不適切にからんできたか、改めて理解できます)