パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

半世紀後の「男と女」とボリス・ヴィアン

クロード・ルルーシュ監督の映画「男と女 人生最良の日々」を見ました。
あれから53年、アヌーク・エーメはやや太りながらも美貌を留めていましたが、ジャン・ルイ・トランティニャンは特殊メークかと思う老け方、映画館の周りの鑑賞者も平均年齢70歳前後(つまり、私と同年配)ではないかと推定され、スクリーンの向こうもこちらも、なかなかすごい世界でした。

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旧作の美しい映像と心地よい音楽をたっぷり使いながら、記憶と現実と夢を行き来する洒落た映画になっていました。というと少し誉めすぎかな。

フランス語は耳に心地好いと、しみじみ思ったのは、映画館ならではですね。

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(写真はいずれも、かつての「男と女」から)

トランティニャンが口ずさむ詩が気になりました。ヴェルレーヌもありましたが、えっという詩があったのです。
「ぼくは死にたくない。……するまでは」というフレーズが繰り返され、なんか記憶にあるなあ、と思っていたら、「色刷りの新聞ができるまでは」という一節が出て来て、ファンだった早世の作家ボリス・ヴィアンの詩に違いないと確信。
「ぼくはくたばりたくない」と題された詩を、その後調べると、ほかの部分も映画と一致するようでした。
「色刷りの新聞」なんて、いまでは当たり前だけど、ヴィアンが詩を書いた戦後間もないころは、夢のような話。かつてこの詩を読んだとき、新聞記者をしていたので、この一節が、心に残ったのです。「ヴィアンさん、もう少し長生きしたら色刷りの新聞を読めたのにね」と。哀切。

そんな別の記憶も呼び覚ましてくれた映画でした。

詩の抜粋です。

 

「ぼくは死にたくない

 永遠の薔薇を 作ってくれるまでは

 二時間の一日

 山にある海

 海にある山

 苦痛の終り

 色刷りの新聞

 満足気な子供たち

 頭の中で眠っている

 もっといろんなこと」

 (村上香住子訳)

 

全文は、ボリス・ヴィアン全集(早川書房、絶版かもしれません)の9巻「ぼくはくたばりたくない」に掲載されています。