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二度目の倫敦⑤ナショナル・ギャラリー1700年以降

ナショナル・ギャラリーで18世紀絵画は印象に乏しい。超おおざっぱな美術史知識で考えても、15世紀から17世紀はルネッサンスバロック、オランダ絵画があるけれど、そのあと19世紀のロマン主義印象派に飛んでしまう。

ただし、イギリス美術界では、18世紀は重要な世紀だったらしい。ロイヤル・アカデミーができ、グランドツアーが流行して風景画が注目され、肖像画も含め、ヨーロッパの他国に後れを取っていた自国の美術がようやく確立されていく時期だった。その辺の作品はテート・ブリテンにあるようですが、今回は行けませんでした。

なので、ナショナル・ギャラリーの最後は、実質1800年代の絵画ということになります。20世紀美術はテート・モダンにあり、これは最終日に訪問しました。

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フリードリッヒ「冬景色」(1811)

ゴシック・ホラー映画の1シーンのような荒涼とした風景を描き続けた ドイツ・ロマン派の画家。よく見ると、松葉杖を雪の上に投げ出して、岩にもたれかかる人物がいる。美術館ではあまりお目にかからないが、タッシェン出版の画集で、「氷の海」ほか意識の深層を揺さぶるような神秘的作品の数々を見ることができる。

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ジェリコー「光におびえる馬」(1813-14)

ルーヴル美術館にあるドキュメンタリー絵画「メデューズ号の筏」で知られるフランスの画家は、馬も好きだった。

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若い人たちが絵の前で足を止める。

ポール・ドラロシュの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(1833)

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この絵を120年前、一人の日本人が見て、作品に登場させた。

「女は白き手巾(ハンケチ)で目隠しをして両の手で首を載せる台を探すような風情に見える。首を載せる台は日本の薪割台ぐらいの大きさで前に鉄の環が着いている。台の前部に藁が散らかしてあるのは流れる血を防ぐ要慎(ようじん)と見えた。背後の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れている、侍女ででもあろうか。…」

1900年から2年間、ロンドンに留学した夏目漱石が書いた「倫敦塔」(1905)。血塗られた歴史を持つロンドン塔を訪れた漱石は、そこで処刑の幻を見たと書き綴る。ドラロシュの絵を参考にした作り話であることは、後書きで本人が明かしている。

絶対王政下の16世紀イングランド、死去したエドワード6世の遺言でプロテスタントのジェーン・グレイが16歳で女王に即位するが、ヘンリー8世の娘でカトリックのメアリー・テューダーに王位を奪われ、ロンドン塔内で死刑にされた。在位わずか9日間。

漱石は「その薄命と無残の最後に同情の涙をそそがぬ者はあるまい/踏み躙(にじ)られたる薔薇の蕊(しべ)より消えがたき香の遠く立ちて、今に至るまで史を繙(ひもと)く者をゆかしがらせる」と書く。

 中野京子さんのシリーズ本「怖い絵」でも紹介されたこの絵を描いたのはフランスの画家。英国史の絵画化はフランスのサロンで人気を呼び、ヴィクトリア朝期のイギリス絵画に影響を与えた。逆輸入、のような話。

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イリアムターナー(1775-1851)の「解体のため最後の停泊地に曳かれていく戦艦テメレール号、1838年」(1839)

やっとイギリスが誇る画家が登場した。長いタイトルのこの絵は、トラファルガー海戦で戦った老帆船と落日を重ね合わせ、時代の移り変わりを描いたとされる。

次第に大気と水だけのような世界を描くことになる画家は、印象派にも影響を与えた。

23年前の初めてのロンドンは滞在2日の間に、なぜかナショナル・ギャラリーや大英博物館には行かず、テート・ギャラリー(その後テート・モダンとテート・ブリテンに分解)を訪れ、ターナーの絵に感銘を受けた。現在は一部がここに、多くがテート・ブリテンに展示されている。

以下2点もターナー

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「ヘーローとレアンドロス」(1837)ギリシャ神話のテーマはそっちのけで、大気を描く。

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「カレー桟橋」(1803)

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コンスタブル(1776-1837)の「ソールズベリー大聖堂とエイボン川からのリーデンホール」(1820)

ターナーと同時代を生きたイギリスの画家は、イングランドの理想的な自然、田園の風景を描き続けた。クロード・ロランの風景画に刺激を受け、ドラクロアらフランスの画家に影響を与えた。

そして19世紀はフランスの時代となる。フランス絵画となると、ルーヴル、オルセーなど、パリの美術館に勝てるはずはないけれど、ここのコレクションも素晴らしい。

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 ドラクロア「十字架のキリスト」(1853)

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 コロー「1日の4つの時間」(1858)

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マネ「カフェ・コンセールの片隅」(1878-80)

落ち着かない構図は、この絵が全体の右半分のせいとか。

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マネ「エヴァ・ゴンザレス」(1870)

モデルはマネの弟子だとか。こんなドレスで絵を描くはずはないのだけれど。

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 ピサロ「夜のモンマルトル大通り」(1897)

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 スーラ「アニエールの水浴」(1884)

点描画の代表作として教科書にも登場する「グラン・ジャッド島の日曜日の午後」(シカゴ美術館)の前年に制作された。色と形の配置が抽象画のような不思議な雰囲気を醸す。点描画寸前。

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モネ「サン・ラザール駅」(1877)

モネは同じ年にパリのサン・ラザール駅内外の連作を描いた。新しい時代を象徴する、煙を吐く蒸気機関車と駅舎が相当に好きだった。オルセー美術館の同じタイトル画の方が完成度は高いような気がします。

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同じくモネの「ラ・グルヌイエールの水浴」(1869)

避暑地のひとコマ。これも近代の生活を象徴するシーン。ニューヨークのメトロポリタン美術館にもここを描いた絵がある。一筆で描く水面のきらめき。

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ウエストミンスター下流テムズ川」(1871)

普仏戦争から逃れてロンドンに来たモネは、濃霧を気に入り、国会議事堂の遠景を描いた。「印象・日の出」の世界に通じる風景。30年後に再訪して、また国会議事堂の連作を描く。

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3Dのようなモネの「睡蓮の池」(1907)

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ルノワール「傘」(1881-6)

右半分と左半分のタッチ、色彩、女性のファッションが違う。描いた時期が数年空いているとされる。

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ドガの「バレーダンサー」(1888)

パステルの色彩と奇妙なポーズが目に焼き付く。

以下3枚もドガ

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パステル画「浴後、身体を拭う女」(1890-95)

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「髪結い」(1896)

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斬新な構図の「フェルナンドサーカスのミス・ララ」(1879)

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ロートレック「二人の友達」(1894)

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セザンヌ・コレクションには驚いた。

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エスタックの海」(1876)

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自画像「1880‐1)

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「ポプラのある風景」(1885‐7)

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シャンティイイの並木道」(1888)

セザンヌ・タッチ!

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プロヴァンスの丘」(1890-2)

立方体で構成された風景。

3月からの日本でのナショナル・ギャラリー展に出展される。

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「水差しのある静物」(1892-3)

セザンヌの水彩画の過剰なほどの余白に魅かれる。

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「水浴する人々」(1894-1905)

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「シャトーノワールの地所」(1990-4)

 ここに至ると、もうキュビスムの世界。ブラックの絵だと言われてもわからない。

f:id:LOUVRE:20200212154843j:plainとりわけ人が多いのが、ゴッホのコーナー。

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ゴッホ「ひまわり」(1888)

日本の浮世絵の明るさ、南仏の陽光を求めて行ったアルルで、ゴッホは7枚の「ひまわり」を描いた。日本の東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館にある「ひまわり」は、このナショナル・ギャラリー作品を自ら模写したものとされる。

花の変化を描いて生命の循環を表したとの解釈がある。ゴッホの黄色嗜好の極みですね。この絵も、来日する。

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「糸杉のある小麦畑」(1889)

「ひまわり」より伸びやかなこちらが好み。情念を投影したようなうねうねの糸杉を好んで描いた画家は、ゴッホ以外にいない。

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これもゴッホの「オーヴェール近くの農場」(1890)

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ゴーギャン「「ファア・イヘイヘ」(1898)

タヒチで自殺未遂をする前に描いたとされる。この後に制作した有名な「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」(ボストン美術館所蔵)に似ている。

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ギュスターヴ・モロー「聖ゲオギリウスと竜」(1889-90)

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ルドン「花の間のオフィーリア」(1905-8)。

イギリスの画家ミレイの水に漂うオフィーリアにヒントを得て、独特の夢の中のような絵に。

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ハンマースホイ「室内」(1899)

デンマーク人画家はコペンハーゲンの自宅の室内画を60以上描いたとされる。モノクロームに近い静かな画面にたたずむ後ろ姿の人物が、想像をかきたてる。オランダのフェルメールの影響を受けているとされる。

近年、人気が高まり、現在も東京で「ハマスホイとデンマーク絵画」展が開かれている。

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外に出ると、日が暮れていた。ナショナル・ギャラリー前のトラファルガー広場にクリスマスマーケットの店が並んでいる。

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広場にあるツリーはイリュミネーションがやや地味だが、ノルウェーから届いた高さ20mほどの大きなモミの木でできている。第二次世界大戦ヒトラーのドイツがノルウェーに侵攻した際、イギリスとフランスがノルウェーを援護、結局は占領され、ノルウェー王室はイギリスに亡命したが、この時のお礼として毎年モミの木が贈られているーという歴史的ツリー。Xmasが近づくと、夜ごとツリーの下で、市民がクリスマスキャロルを合唱する。


参照「ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド」、ナショナル・ギャラリーHP