スペインの春⑦ミハスの白い街とコルドバのメスキータ
グラナダのホテルの朝食には、リボン型のドーナッツをチョコレートとともに食べるチュロスまであって、上げてはいけない血糖値をついつい上げて、4日目の旅程へ。
バスはアンダルシア地方をさらに南下して、地中海に面したコスタ・デル・ソル(太陽海岸)沿いを西へ走る。
マラガの海と白い家が見えてくる。マラガはピカソを生んだ街で、人口50万人を超す大都市らしい。ピカソのルーツをたどるのもいいなあと思いながら、残念ながら今回は素通りして、目的地のミハスへ。
丘陵の中腹にあるこの村は、白い家が軒を連ねる日本人好みの街並み。真っ白い壁を保つために、年に何回だったか、ペンキ塗りが欠かせない。観光客のための景観維持は涙ぐましいものがあるのですね。
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。
上の写真を見ていて、西脇順三郎の「天気」という3行の詩を思い出しました。訪れたのはもう昼近くだったけれど。
高台からレストラン越しに地中海を望むが、ガスがかかっていて見えなかった。
海は間近ではないけれど、映画スターも避暑に訪れるリゾートらしい。
いい街です。何も考えずに、写真さえ撮っていればいいのだから。
以下はあちこちのショット。
展望台からの風景。外国人カップル2組が写真を撮っていたので、それぞれツーショットを撮ってあげた
これは闘牛場
小さな村に二つある教会のひとつ
昼食をとったレストランの中庭
高架橋を走る鉄道の向こうに奇妙な形をした岩山が見えた。縦にして見ると女性の顔。
そうこうしているうちに、コルドバに到着し、目的のメスキータへ。メスキータはスペイン語でイスラム教寺院のモスクのことだが、スペインでメスキータというと、ここコルドバの大聖堂のことを指すらしい。
メスキータに通じるローマ橋。ローマ時代の基礎が使われているという
アラブの水車跡
コルドバは紀元前にローマ帝国によって建設され、皇帝ネロの家庭教師だったストア派哲学者セネカも生んだ。711年からイスラムが支配、アル・アンダルス(アラビア語でイベリア半島を指し、アンダルシア地方の名前の由来)の都となり、数百のイスラム寺院があって、学問が栄えたとされる。
プエンテ(橋)の門をくぐって中へ
「聖ラファエルの勝利のモニュメント」聖ラファエルは街の守護天使で、17世紀、ペストの惨禍が収まったのを記念して建てたとされる(「アンダルシア散策」から)
アルミナールの塔。元はメスキータ付属のミナレット(塔)で、カトリックの手が入って、鐘楼が設けられた
オレンジの中庭
コルドバのメスキータは、8世紀のアブデルラーマン1世時代から200年かけて建設された。元はイスラム教徒とキリスト教徒が共有する教会で、信者人口が増えたため、別の地区にキリスト教会を建てることを許可し、立ち退き料を払って、モスクを拡張したとか(「アンダルシア散策」)。教会が共有されていた時代があったというのが、今からすればあり得ないような麗しい話。
コルドバがレコンキスタでカトリックに制圧されるのは、グラナダより早い1236年。メスキータはカトリック教会に転用され、16世紀には、建物を生かしながら内部に大聖堂(カテドラル)が作られる。ここもスペイン国王カルロス5世がかかわっているが、アルハンブラ宮殿同様、壊すにはしのびない美しい建築だったということのようだ。
こうして世にも珍しい二つの宗教の混合施設として、今に残ることになった。
礼拝所は、赤レンガと白い石を組み合わせたアーチが特徴の円柱の森。柱の数は850本、180m×130mの広さで2万5000人が礼拝できたとされる。
永遠、無限のイメージがこの礼拝所にはある
ひざまずく場所という意味のメスキータ(モスク)は、金曜日の礼拝のために信者が集まった預言者ムハンマドの家が原点だったという。ヤシの木が何本か生えただけの中庭だった。アーチの形はヤシを思わせるが、ローマの水道橋を参考にしたそうだ。
メスキータを建てたとき、ローマ時代の柱も再利用した
壁を鍵穴のような形にくりぬいたミフラブは、メッカの方角を示すものだが、ここでは、土台となった元の教会の向きのせいで、少し方角がずれているといわれている。アーチ部分はウマイヤ家の大理石装飾やビザンチンのモザイクなどで飾られ、コーランも刻まれているそうだ
実は やみくもに写真を撮りながら、ガイドさんの説明は上の空だったので、あとから見ても、なにを撮影したのかわからんものが多く、ガイド本片手の写真説明です
ミフラブを強調するための採光部分がある八角形のドーム型空間マクスラ
イスラムの五弁の花弁アーチに囲まれたキリスト磔刑像。二つの宗教の融合
ここからカトリックのエリア。レコンキスタで、スペイン・カトリック軍に降伏のしるしとしてイスラム側が鍵を渡す場面を描いた絵画。コルドバの大聖堂に限らず、あちこちで、この場面の絵はお目にかかった。
宗教画も飾られている
マヨール礼拝堂
聖歌隊の109ある椅子席(手前右)は、西インド諸島から運ばれたマホガニー製で黒光りしている。奥にあるのは司教座で、聖ラファエルや聖テレサ、マグダラのマリアの彫刻で飾られている。モスクのエリアにくらべると、ごてごて感がぬぐえない
楕円形のドーム
再び円柱の森を見て出口へ
メスキータを出て、ユダヤ人街の花の小路へ。
当時のイスラムはユダヤ教にも寛容で、キリスト教を含め三つの宗教の王を自認した王もいた。メスキータにほど近い、白壁の家と路地が続くこのエリアには、ユダヤ人が多く住んでいたが、カトリックによって追放された。
コルドバの建物はパテオ(中庭)が特徴で、なんともいい感じ。ギリシャ、ローマにあった家の空間を、アラブ流に住宅を連結するための空間とし、コルドバでは社会生活の中心となっていったらしい。今は、レストランなどにも活用されている。
ショーウインドウに「ゲルニカ」の牛がいた
バスで一路、4泊目のセビーリャに向かう。
途中、ここにも牛。これはワインメーカーの広告用らしい。そういえば、トーレスのワインボトルには牛のフィギュアがついている
太陽光発電パネルも
セビーリャの少し市街地から外れたホテルに着く。霧雨模様。セビーリャの春祭は今日が最終日で、ホテルでの夕食後、タクシーで行ってみようかとも思ったが、遅くなったので諦めた。部屋の窓から糸杉のシルエット越しに街の観覧車、にぎやかなイルミネーションと夜景が見えた。
ライトアップされたカテドラルのヒラルダの塔
見ているうちに花火が上がった。春祭の最後を締めくくる打ち上げ花火のようだ
ハートマークの花火もありました
ということで、この日は暮れたが、ツアーの母娘二人連れが春祭に行っていたことを、翌朝に知った。フラメンコを習っている母さんの還暦祝いに孝行娘がスペインツアーをプレゼント。母さんは、フラメンコ発祥の地・セビーリャの春祭の日が日程に入っているこのツアーをわざわざ選んだらしい。持参の衣装を着て出陣し、地元のあでやかなダンサーたちと記念撮影もばっちり。その前夜にはグラナダでフラメンコショー見物も怠りなく、目的の鮮明な素晴らしい旅、と感心しました。