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スペインの春⑥アルハンブラ宮殿とフラメンコの夜

世界遺産アルハンブラ宮殿へは、グラナダ市街からくねくねと丘陵を上っていく。途中の道沿いには洞窟住居跡も残る。

イスラム最後の砦だったグラナダアルハンブラ宮殿は、1492年にカトリック教徒によって陥落、レコンキスタは完成する。この年にはコロンブスアメリカ大陸を見つけ、以後、スペインは世界帝国へとのしあがっていく。1492年は世界のグローバル化が始まった年、ともいわれている。

 現地ガイドの案内で、離宮のヘネラリフェから宮殿本体へたどるルートをゆく。

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入口。スペイン語では「H」を発音せず、「ラ・アランブラ」となる。

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ヘネラリフェでは、ナスル朝の王たちが夏を過ごした。庭園の噴水が涼しげ

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テラスから宮殿や街が見える

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庭園越しの宮殿

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アセキアの中庭

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糸杉の中庭

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へネラリフェという言葉はアラビア語の庭園・畑・楽園を表すdjennatと建築家のarifを合わせた言葉とか

 

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その名も「糸杉の散歩道」。糸杉はスペインのあちこちに植えられている。根が水を求めて地下深くまっすぐ下に伸び、墓に根が絡まないため墓地の樹に用いられるそうだ。花言葉も絶望とか死とかあまり縁起がよくないようで、ゴッホの絵でも不吉なイメージを醸しているが、神聖な木ともされる不思議な木。花粉症のツアー仲間は鼻をぐすぐすさせていたようで

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橋を渡って次のエリアへ

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ヘネラリフェ離宮全景

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オレンジがいっぱいなっていた。苦くて食べられないと聞いたような

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カルロス5世宮殿。レコンキスタ終結したあと、アルハンブラ宮殿を新婚旅行の途中に訪れたスペイン国王カルロス5世が、新たに建てたルネッサンス様式の宮廷。イスラムの繊細な造りと比べようもない。ひとことで言えば、ぶち壊し、ですね。現地で買ったガイド本「アンダルシア散策」では「この宮殿のおかげでアルハンブラは、敗者の文化の遺産になり下がったかわりに、スペイン王家の宮殿財産の一部ということになった」と皮肉まじりに書いている

 

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開口部直径30㍍の円形の中庭。柱以外なにもないシンプルな造り 

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メーンであるナスル宮殿に入る前にラブラドル・リトリーバー君による持ち物検査。全員のバッグを並べ、においをかいでゆく。空港の大麻犬でもあるまいし、とは思ったが。

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14世紀につくられたナスル宮殿には、「メスアール」「コマレス」「ライオン」の三つの宮殿がある。ここは王宮に来た人の控えの間として使われた「メスアールの間」の小さな入口

 

宮殿は、1832年に米国人作家ワシントン・アーヴィングが出版した「アルハンブラ物語」によって、欧米に広く知られることになった。

公使館員としてスペインに赴いたアーヴィングは1829年の5月から7月にかけ、アルハンブラ宮殿内に滞在し、流れるような筆致で宮殿の魅力とアラビアン・ナイトのような伝説の数々を綴った。

 

「ありあまるほど豊富に、水はシエラ・ネバダから、モーロ人が築いた導水渠を通って、ここに流れてくる。宮殿のいたるところをめぐりにめぐり、浴場に、池にあふれ、中庭や広間の噴泉できらめき戯れ、大理石の敷石沿いの溝をサラサラ流れ、王宮に敬意を表し、庭園や花壇を訪問し終えると、今度はグラナダ市街へと通じる長い並木道を流れ下って、小川に澄んだ水音をひびかせ、そこかしこの噴泉で舞踏し、森の木々の根をうるおす。アルハンブラの森は、いつの日も青緑だ。いたるところに樹陰をつくり、この丘陵全体を、美しく飾っている」 (「アルハンブラ物語」平沼孝之訳、岩波文庫

 

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メスアールの間

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アラベスク模様の壁のタイル

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ラピスラズリのブルーが残る柱頭

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メスアールのパテオ(中庭)にある噴水

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コマレス宮のファサード(入口)。二つの入口はタイルで囲まれ、壁は下から上まで精緻な浮き彫り装飾で埋め尽くされている。そこには「我ある場所は王の座…」云々の長文が書かれているそうだ。

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王が謁見するコマレス宮「大使の間」の窓はかつてステンドグラスだった

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どこを見てもアラベスク

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この文字は「アッラーのみが勝利者なり」だったか。いたる所、祈祷の言葉、詩歌が刻まれている。

 

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「アラヤネスの中庭」。宮殿で最も有名な撮影スポット。塔も含む建物すべてが水に浮かぶ水鏡の手法は、3世紀後、インドのタージマハールにも用いられた

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猫が金魚を狙っていた

 コマレス宮に続くライオン宮は王たちの居住空間。女性たちの部屋(ハーレム?)もあった。

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 「この古い夢を見ているような宮殿には、ことあるごとに人を過去の夢想へと誘い、失われた世界を幻のように現在によみがえらせ、むき出しの現実を数かずの幻想で包み込んでしまう、不思議な力が潜んでいる。私は『無いものが有るもののように見える世界』を歩き回るのが好きだ。それで、アルハンブラ宮殿の中でも、そんな幻想がわいてくるような場所を求めては、思いのまま歩き回る。そして、わたしが何かにつけて最も足しげく通う場所となったのが、『ライオンの中庭』と、この中庭に面した各広間である」 (「アルハンブラ物語」)

 

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アーヴィングが好んだ「ライオンのパテオ」。周囲をオアシスの椰子を連想させる列柱の森が取り囲む。水を吹くライオンは太陽を表すシンボルとされる。シンガポールマーライオンほど噴水の勢いはないけれど。

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「二姉妹の間」のハチの巣のような天井装飾は、鍾乳洞をイメージしたものとか。天井に開いた窓から熱気が逃げ、地下に流れる噴水の水が部屋の空気を冷却する、工夫を凝らした空調設備。

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偶像崇拝しないイスラムはステンドグラスも幾何学模様。

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「リンダラハのパテオ」も幾何学的デザイン

アルハンブラ宮殿は暑いグラナダの地に、イスラムの灌漑と農業の技術を駆使し、風と水と植物という自然を生かしたオアシスを作り出したということのようだ。

ナスル朝が宮殿を造った14世紀から現在に至る歳月の中で、崩壊と破壊と修復があり、往時とは姿を変えているのは間違いない。ガイドブック「アンダルシア散策」には、こう書かれている。

「二姉妹の間のある刻印はこう疑問を投げかける。

”こんなにも麗しい庭園をあなたはかつて見たことがおありでしょうか?”

”私たちはこれほどの花咲く庭を見たことがない、実りきわめて甘く、香り芳しく…”

しかし今日ではその花々は地面を飾ることも、柱と同化するかように大理石を這いのぼることもない。私たちが見ているものは、そこにかつて植物が命と感覚とを吹き込んだ、りっぱな骨格と包装の枠のみにすぎない」

 

またアーヴィングは「アルハンブラ物語」の中で書く。 

「しかし、これほどの長きにわたる統治にもかかわらず、スペインにおけるイスラム教帝国は、輝かしい異国でしかなかった。あれほど見事な花を咲き誇らせながら、スペインの地に根付くことは叶わなかった」

 

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下手な写真で読み取りにくいが、アービングが滞在した部屋に名前を刻んだ銘版が掲げられている

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 宮殿から望むグラナダの街。右上方の丘にフラメンコのタブラオ(酒場)があるアルバイシン地区とサクロモンテの丘が見える。細い筋は、かつて作られた、ロマ族が市街地にはいるのを防ぐための壁とか。「分断」は、いつの時代も、どこの世界でも。

 

実はこのアルハンブラ宮殿観光、ツアーに組み込まれたハイライトの一つにもかかわらず、旅行社から「チケットが取れません」と、出発前日まで聞かされていた。最後はOKだったのだが、入場困難な状況は、アジアからの観光客増が理由らしい。世界的な観光ブームの余波。

 ホテルでの夕食のあとは、日本でネット予約したフラメンコショー。午後9時、ホテルにマイクロバスが迎えに来る。乗った時はわれら夫婦だけだったが、次に停まったホテルでどやどやと欧米系の比較的若い男女10数人が乗り込んできた。

バスは夜のグラナダを流してサクロモンテの丘へぐいぐい登っていく。細い道が入り組み、迷い込んだら帰れそうにないアラビアン・ナイトの世界。谷の向こうにライトアップされたアルハンブラ宮殿が見える。

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 通りすがりのサクロモンテのレストラン 

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到着したのはロマが住んでいた洞窟を利用したタブラオ「サンブラ・マリア・ラ・カナステーラ」。入り口をくぐると、岩窟の天井にロマの人たちの生活の糧だった鍋やフライパンがいっぱいつるされ、観客が三方を囲んで座る。

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始まれば、眠気も覚める女性のカンテ(歌)の振り絞るような声、エイドリアン・ブロディ(映画「戦場のピアニスト」)似の男性がかき鳴らすトーケ(ギター)のリズムとメロディ。手が届くほどの距離で繰り広げられる、激しくしなやかなバイレ(踊り)。バイラオーラ(女性の踊り手)3人とバイラオール(男性の踊り手)1人がソロやペアで舞い、指やカスタネットでリズムを刻み、靴で床を踏み鳴らす。

 

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情熱的だが、暗い情熱。

歌の詩の内容はさっぱりわからないが、愛というより悲恋、喜びより哀しみ、怒りを感じてしまうのは、「虐げられたロマ」という先入観のせいだけでもないだろう。

ほぼ1時間のショーの最後は、観客を一人ずつ引き込んでのディスコ大会状態。

フラメンコの夜を堪能した。