パリ95番バス

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スペインの春⑤コンスエグラの風車

トレドから風車の村コンスエグラへ向かうバスの窓外に、現代の風車、風力発電の巨大プロペラが、丘陵の尾根沿いに何基も並んでいるのが見えた。

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スペイン中央部カスティーリャ地方のラ・マンチャ州。アラビア語の「乾いた土地 manxa」が名前の由来とされ、セルバンテスの「ドン・キホーテ」(原題は「才智あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」らしい)で世界に知られるようになった。「ラ・マンチャの男」としてミュージカルにもなった。

白壁の家が並ぶひっそりした村を抜け、丘を上ってゆくと、白い風車群が現れた。その数10基ほど。14世紀にヨハネ騎士団によって、粉ひきのために設けられたとされる一方、スペイン国王がネーデルランドから導入したという話もある。

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1605年に出版された「ドン・キホーテ」。かつて手に取ったこともあったが、読み進めることなく現在に至り、ここではいろんなところで紹介されている内容を借用する。

騎士道物語を読み過ぎて、自分は騎士との妄想にとらわれた主人公が、サンチョ・パンサを従者として、老馬ロシナンテにまたがり、遍歴をする物語。風車を悪魔の化身とみて突撃する、というエピソードは、コンスエグラではない近くの村の風車が舞台らしい。

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標高800mのカルデリコの丘の上でバスを降りると、とにかく風が強い。

すぐ斜面になっているので、体を持って行かれれば、ごろごろと落ちて行きかねない。写真撮影もそこそこに、風車の建物を利用した土産物店の中に避難する。階段を上がった二階は粉ひきをしていたころのまま保存されている。

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風車に並んで城塞の廃墟がある。北アフリカから来たイスラム教徒のムーア人が12世紀に建て、レコンキスタの後も増改築されたようだが、19世紀、ナポレオンとの戦争で壊されたらしい。小さな廃墟にもこの国の波乱の歴史。

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奥が城塞の廃墟

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風車から望むコンスエグラの町

 ラ・マンチャスペイン料理のパエリアに欠かせないサフランの産地でもある。

南の街道沿いにあるドライブイン「ヴェンタ・デル・キホーテ」に立ち寄る。セルバンテスも立ち寄った旅籠跡に作られたという。

店の内外にドン・キホーテ像がある。ま、どれも変な爺さんにしか見えない。物語自体、迷惑な妄想老人の話のようだが、理想と現実のずれとか、解釈様々に世界文学の傑作ということになっている。

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店の前にある教会。糸杉が2本

セルバンテス(1547~1616)の生きた時代は、エル・グレコ(1541~1614)とほぼ重なり、スペインが「日の沈まぬ帝国」になる一方で、新大陸からの富に頼って、国内産業は衰退し、1588年に無敵艦隊が英国に敗れるなど、没落がはじまった時期でもあったようだ。

堀田善衛は「ゴヤ」の中で、スペインの荒涼とした土地から、「民の飢え」を思い、「ドン・キホーテ」にも飢えを見る。

 

「スペインの世界帝国は、いかにも偉大であった。しかしスペイン国そのものは、その偉大なる“黄金の時代”を通じても、つねに貧しく陰気な暮らししか出来なかった。スペインは金銀財宝を抱え込み、宮殿と大教会堂は、光り輝かんばかりに飾られていた。しかし、下級貴族から民衆は、つねに飢えていた。僧侶たちも飢えていた」

ドン・キホーテの心を駆り立てて、決して一所にはとどまらせず、次から次へと遍歴の旅に押し出すものの、そのいわば神経的痙攣症とでも言いたくなるものの底の方にも、必ずや飢えがあると思われる。この物語のなかで主人公と従士とが食べる食物の貧しさは、読んでいる当方の方が申し訳なくなって来るくらいのものである」

ドン・キホーテにおける飢えは、パンだけについてのそれではなく、愛に対する飢え、世界制覇への飢え、生への飢えへと昇華して行くのであるが、物語の根源にあれほどにはっきりと飢えが蟠踞している文学も珍しいものであろう」

この小説をまたじっくり読んでみよう。

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空を見上げ、見果てぬ夢を

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 南下してアンダルシア地方に入る。地平線の果てまでオリーブ畑という風景が、延々と続く。スペインはオリーブ油生産量が世界でダントツ1位(2位イタリアの倍)ということが、これを見ればわかるでしょ、はい参りました、という感じ。オリーブの木は生命力があり、乾燥した土地でも育つというから、食べるための作物としてオリーブしか選択肢はなかったのかもしれない。

 

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外の風景がほとんど変わらないまま、ひた走るバス。

添乗員のKさんが、ここでスペインの歴史を話してくれる。

約4000年前、イベリア人(イベロ人)が住みつき、BC1200年にフェニキア人が来てカディスに都市を建設、香水、シルク、陶器をもたらし、ワイン、オリーブ油を買い付けた。

BC1000年にはケルト人が進入、イベリア人と混血して、今のスペイン人のルーツとされるケルト・イベロ人なるものが形成される。

地中海の覇権争いでローマ、カルタゴポエニ戦争があり、紀元前205年、イベリア半島はローマの支配下となる。それから600年、習慣、法律、宗教、劇場、道路、水道橋などを残して、ローマは滅亡。その後は、西ゴート族北アフリカから来たベルベル人ムーア人)によるイスラム支配、レコンキスタ…。

Kさんいわく「訪問者、侵略者によって作られた国」ということのようだが、Kさんはこの国が好きで私的旅行含め訪問50回。

                            

白い雪をかぶった、最高標高3400mを超すシエラ・ネバダ山脈が見えてくる。

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トレドから382キロ(ツアー案内による)、3日目の宿泊地グラナダに着く。休憩を2回挟んで5時間30分の行程だったが、疲れた感はさほどない。

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グラナダは思ったより広々した大きな街で、陽光まぶしく、街路樹の緑も鮮やか。リゾート感もあって、南仏を思わせる(1回しか行ったことないけど)。

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レストランでの昼食はタパス。小皿料理のはずが、大皿で出てきた。店内は欧米らしい高齢者の団体客でぎっしり埋まっている。昼からボトルのワイン付き。

このあと、ハイライトのアルハンブラ宮殿へ。