パリ95番バス

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スペインの春④トレドの夢

マドリードから世界遺産古都トレドへはバスで1時間ほど。この程度のバス移動なら楽ちんだが、翌日からは3時間、4時間がかりの行程が待っている

街の三方を堀のように囲むタホ川の対岸から、旧市街の全景を見る。河岸にごつごつした岩が露出し、王城の四角い建物とカテドラルの尖塔が遠望できる。川に面していない北側には城壁があり、街全体が自然を利用した要塞だったことがわかる。エル・グレコが描いた全景画はNYのメトロポリタン美術館にある。

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エル・グレコの「トレド全景」

https://www.metmuseum.org/art/collection

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ホテルから歩いて旧市街の観光へ。ソコドベル広場に出て、石畳のくねくねした狭い坂道を行く。 

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 こんな道を車が通る

サント・トメ教会に着く。エル・グレコの代表作とされる「オルガス伯の埋葬」がある。建物は小ぶりだが、イスラムの建築、装飾を取り入れたムデハル様式の塔がすっと伸びている。オルガス伯爵は14世紀、私財を投じて教会を修復したとされる人物。

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グレコがトレドに来て10年ほどして教会の依頼で描いた「オルガス伯の埋葬」は、レンブラントの「夜警」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」とともに世界三大絵画というらしいが、一体だれが決めたのか。

これはネットで調べても起源がよくわからない。ただ、2点がスペインにあり、もう1点も一時スペインの統治下にあったオランダにあるので、スペインがある時期に勝手に決めたのではないか、との説を書いている人がいて、なんとなく納得。

で、この「オルガス伯の埋葬」は、絵の上下で天上界と地上界に分かれ、グレコのほかの絵に比べると、下から上への動きのダイナミズムに少し欠ける。というような素人の感想を書いてみても仕方ないのだが、この絵には画家本人(埋葬を見守る黒服の男たちの左から6人目、こちらを見ている人物らしい)と息子(左下)が描かれているのが面白い。教会の正面で、絵から抜け出した息子が「ここが入口」と指し示していて、教会にしてはお茶目だ。

グレコはこの街に40年住んで、家は復元されて美術館となった。トレドはグレコ抜きでは語られないようだ。

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カテドラル(大聖堂)に行く。ここはスペイン・カトリックの本山で、13世紀から15世紀にかけ、270年ほどかけて建設された。パリのノートルダム寺院にも似たゴシック様式を中心に、もろもろの様式が加わっているらしい。教会内にはグレコの祭壇画「聖衣剥奪」やカラヴァッジョの絵が飾られている。本山というからには、異端審問の元締めでもあったわけで、はるか後世の異国から来た異教徒、というか無教徒が、カテドラルに美術的感興、宗教的荘厳を覚えたとしても、理解不能なものがそこにはある、と考えておいた方がいいのかもしれない。

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周辺の道沿いには土産物屋が軒を並べ、その雰囲気から思い出したのがフランスの世界遺産モン・サン・ミッシェル。あそこは海に囲まれた岩の島で、8世紀初めを起源として10~13世紀に修道院が建てられ、その後の英仏100年戦争や宗教戦争時代には城塞になった。トレドの方が歴史は古く、規模も大きいけれど。

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騎士の置物が並んでいる

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焼き物の街でもある

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修道女も名物の菓子チュロスの宣伝に一役

「トレド その歴史と芸術」というカテドラル前の広場で5€で買った本によると、石器時代の遺物が出ているらしいが、歴史に登場するのは紀元前190年ごろで、イベリア半島に進出したローマに征服されたことから。600年にわたるローマ支配、キリスト教浸透の後、様々な種族が入り乱れ、6世紀に西ゴート族がトレドを王国の首都に定める。

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衣料品店のガラス張りの床の下に、ローマ時代の遺構があった

7世紀前半にアラビアで興ったイスラム教は、あっという間に勢力を広げ、北アフリカからジブラルタル海峡を越えてイベリア半島内部にまで入り込み、712年にトレドを制服する。

中東での現代の宗教戦争、全世界的テロ行為などを目の当たりにしていると、なかなか信じがたいのだが、当時、イスラム教徒は、ユダヤ教キリスト教には比較的寛大で、税金を払えば改宗を強制されることはなかったらしい。

イスラム教徒支配下で三宗教共存の時代。

堀田善衛は著書「ゴヤ」の中で次のように書く。

 

イスラム・アラブ、キリスト教徒、ユダヤ教徒三者の、この平和な協力共存は、今日から考えてみても、何か夢のようなものとして見えてくるのである」

 

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キリスト教徒のレコンキスタ(国土再征服)は722年から始まるが、トレドの再征服は1085年、グラナダが陥落してレコンキスタが完成するのは1492年で、800年近くにわたってイスラム時代が続いたことになる。

キリスト教徒の軍事力、イスラム教徒の農耕、灌漑、建築、工芸の技術、ユダヤ教徒の科学、医学、金融感覚が一体となった高い文化水準はヨーロッパの他の国の追随を許さなかったという。

その後、16世紀にかけスペインが領土を広げ、世界帝国となる中で、1561年、首都はトレドからマドリードに移る。

 

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街の映画館

夕食(少々残念な内容)の後、ツアーで旅トモとなった東京の愉快なWさん(65)夫妻、スマートなSさん(58)夫妻と三カップルで、カテドラルの夜のライトアップを見に行くことになった。これも個人旅行にはないツアーの醍醐味。

ヨーロッパの春夏は日の暮れるのが遅い。午後9時でもまだ明るくて、9時30分ごろになって徐々にライトアップが始まる。

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夕闇のカテドラル

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 最後の晩餐の彫刻にも照明

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カテドラル前の市庁舎

昼は暑いくらいだったのに、途端に冷え込んでくる。

ホテルへの帰り、夜の旧市街の狭い道をゆくと、アラビアンナイトの世界に迷いこんだような気になる。

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三日月が出ている。

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一夜の夢のような。

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夜の広場

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 夜の王城