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スペインの春②プラド美術館の一時間 下

プラド美術館フランシス・デ・ゴヤ(1746―1828)の絵画150点、素描、版画500点を所蔵し、ベラスケスとともに、世界最大のコレクションを誇る。

ピレネー山脈でフランスと隔てられたスペイン北東部、アラゴン地方の寒村で生まれ育ったゴヤは、若くして職業画家を目指し、ローマを経てマドリードに出て修業、義兄の力でアカデミー会員になり、首席宮廷画家に上り詰めた末、騒乱の中でフランス・ボルドーに亡命して生涯を終える。

お隣のフランス革命で自由思想が広がる一方、スペインでは近代化を遅らせる要因になったとされる異端審問と、自由主義への弾圧があり、ナポレオンの侵攻など対仏戦争が続き、植民地も次々に失うという激動の時代。「成り上がり」とか「上昇志向が強かった」といわれるゴヤも46歳で聴覚を失い、子供20人のうち19人を亡くすという不幸に見舞われる中で、多彩多様、幻想的、シニカルな、20世紀・現代にも通じる作品を残す。

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ゴヤ69歳の自画像。ふてぶてしいけれど、どこか放心したような表情。「きのう、酒飲みすぎた」、それとも「もうこんな世の中、やんなったよ」でもおかしくない。署名には「アラゴン人」「画家」とあるらしい。

(画像は

https://www.museodelprado.es/coleccion から引用。以下も)

 

まず案内された「カルロス4世の家族」は宮廷依頼の絵画で、中央に王妃が王子と立ち、脇に国王や一族がいる構図。華麗な衣装をまといながら、その表情はといえば、王妃は意地が悪い仕切りたがりおばさんのような、国王は威厳に欠けるのんきな父さんのような。実際、そうだったらしく、意図的にか、それともリアルな筆が図らずも素顔を描いてしまったのか。ガイドのKさんは「年を取れば、本性が顔に現れますね」。

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続いて「裸のマハ」と「着衣のマハ」。この二つは海外の美術館への貸し出しが多いとか。「マハ」は固有名詞ではなく、魅力的な女性一般の呼称だそうで、モデルの諸説は置くとして、宰相ゴドイの注文で描いた2作は、「着衣」は「裸」に比べ、枕やシーツなどの描き方がはるかに雑で、明らかに「裸」が主で、「着衣」はあとからこれを隠すための絵だった、とKさんが解説してくれて、並べてまじまじと見ればなるほどと納得できる。ゴヤが異端審問所に訴えられる原因になった絵は、近代ヌード絵画のはしりともされる。

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次は、「1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘」と「1808年5月3日の銃撃」。

前者はナポレオン・フランス軍マドリード占領に対する市民蜂起での白兵戦を、後者はマドリードでのフランス軍による反乱者の銃殺の凄惨な光景を描いている。動乱の時代のドキュメンタリー。大きな絵で、「5月3日」の銃を構えた兵士に両手で立ちふさがろうとしている白シャツの男は磔刑のキリストをイメージしたとされる。画集ではわかりにくかった右手のひらの赤い聖痕が、はっきり見えた。

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「1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘」

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「1808年5月3日の銃撃」

「5月3日」はマネの「皇帝マクシミリアンの処刑」(1868)の構図と似ていて、マネは、スペイン旅行でベラスケスからと同様、ゴヤからもインスピレーションを得たようだ。プラドにはないけれど、ゴヤの「バルコンのマハたち」(NYメトロポリタン美術館)は、マネの有名な「バルコニー」と、人物の構図も白と黒の使い方もそっくりなのを、ツアー後に知った。マネは、真似が上手だったという駄洒落オチ。

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ゴヤの「バルコンのマハたち」

https://www.metmuseum.org/art/collection

 

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マネの「バルコニー」

http://www.musee-orsay.fr/fr/collections/catalogue-des-oeuvres/

ゴヤは宮廷画家を勤める陰で、人間風刺の版画集「ロス・カプリチョス(気まぐれ)」を出し、その後、版画シリーズ「戦争の惨禍」を制作し、人間の不条理を描き続けていく。

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「ロス・カプリチョス」の「理性の眠りは怪物を生む」

 

そして晩年の「黒い絵」シリーズ。「わが子を食うサトゥルヌス」は、息子が成長して自分を滅ぼすのを恐れ、生まれくる息子を次々食い殺すというギリシャローマ神話の神を描いた「怖い絵」だが、革命政権を倒し、近代化をつぶす反動政権を表したものとの解釈がある。

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邪悪、恐怖、無知、死がテーマともいわれるシリーズ14作は、ゴヤの別荘「聾者の家」の室内の壁に描かれていたのを、後世に漆喰ごとカンバスに移したものとか。どんな意図が込められていたのか、自由主義者ゴヤの絶望画だろうか。奇妙な絵が多い。とりわけ、「砂に埋まる犬」にいたっては。

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 画家については作家堀田善衛の「ゴヤ」4部作が圧巻だ。

第1部冒頭で「スペインは、語るに難い国である」と言いながら、文庫本にして4冊2000ページ近い分量を、スペインとゴヤについて語り続けてしまうという、人を食ったような伝記だが、知識と取材の広さ、考察の深さと柔軟さは、日本のかつての知識人の凄味すら感じさせる。戦乱の時代を生きたゴヤに、戦中戦後を生きた作家を強く引き付けるものがあったようだ。スペインに一時移住までしてしまうほどだから。

まだ読み通せないでいる「ゴヤ」だが、この先も、引用させてもらうつもり。ここでは、4巻「運命・黒い絵」の終り近く、「砂に埋もれる犬」について触れた個所を少しだけ。

 

「彼が何を見ているのか。

それは神のみのしることであって、ゴヤにもわかったことではない。それは生あるものには見ることを禁じられている世界でもあるのである」

 

プラドの1時間は、ゴヤまでで終わった。

それにしても、現地ガイドのKさんの解説は簡にして要を得て、なおかつマネへの言及など、細部まで行き届き、感心した。ツアーの他のメンバーからも称賛の声しきりでした。

時間切れで次の目的地、国立ソフィア王妃芸術センターへ。

他の画家で、通りすがりに見た絵画もあれば、行くことさえできなかった部屋もあるが、そうした作品をプラド美術館のデジタルhttps://www.museodelprado.es/coleccion

で紹介します。

再訪時は実物、じっくり見たい。

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スルバラン(1598~1664)の「静物」 見たかった1枚だが、見れず。スペインでは17世紀、ボデゴンという超細密な静物画が流行し、リアリズム絵画はその後もスペインのお家芸となる。

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 15~16世紀のオランダ画家、ヒエロニムス・ボッシュの代表作「快楽の園」。ボッシュの約30点の作品のうち10点もがプラドにあるという。16世紀、「世界帝国」となったスペインはフランドル地方も統治していたことから、ルーベンスブリューゲルを含めこの地方の絵画が多数、王室ープラドのコレクションとなった。

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イタリア画家ティッツアーノ(1490~1576)の「カール5世騎馬像」 16世紀、神聖ローマ皇帝でスペイン国王だったカール5世とティッツアーノの出会いから、プラドのヴェネチア絵画の世界有数のコレクションが作られていった。ちら見だけだったが、甲冑の質感がすごい。

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ティッツアーノの「ヴィーナスとオルガン奏者」 無骨な王を描く一方で、注文に応じてこんなポルノまがいの絵も。なんでも描ける才能の持ち主だったようだ。

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ルーベンスの特別展が開催されていた

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プラド美術館外観