二人の写真家の「読む時間」
昼寝するゾウに寄り添うようにして本を読む上半身裸の男。場所はタイのチェンマイ。
スティーヴ・マッカリーの写真集「読む時間」は表紙から目をくぎ付けにする。
アフガニスタンのカブールでは、古着が並ぶ露店のオヤジが地べたに座って本を読む。
ローマ。バイクに腰を掛けたおしゃれな男女。コンパクトカメラを手にした男が読むのは、なにかのガイド本か。
バルセロナ。全身タトゥーの女性が階段で分厚い本を開いている。
年老いた女性が立ったまま背中を丸めて読むのは聖書だろうか。フランスの聖地ルルド。
世界各地で撮影された「読む人間」。手にするのは小説か教典か教科書か新聞か冊子か、いずれにせよ紙でできたものだ。
場所そのものにインパクトがあり、そこに単に人物を配しただけでも十分絵になるのだが、何かを読んでいることで、読む人=考える人の静謐な時間、そして本がもたらす別の世界までもが写し撮られていることに気づく。
そこにいて、そこにいない人々。
やや青みがかった色調は、クリント・イーストウッドの映画を思い起こさせる。
写真から物語を読むことも可能だ。
アフガニスタンのバーミヤンの少女が、だれにも渡さないという表情で、2冊の本を胸にしっかり抱えている。タリバンによる大仏の爆破映像の記憶につながり、文化の破壊を拒むイメージを写真に見てしまう。
パキスタンのペシャワルの写真は、両足とも義足の少年が車イスの男性が開いた本を横から覗きこんで、笑顔を見せている。写真には都市の名前以上の説明はないが、学校襲撃のテロ事件もあった地域なので、自ずと戦争、紛争、テロに結びつく。
マッカリーは写真家集団マグナムのメンバーで、この写真集は1971年に出版されたアンドレ・ケルテスの「読む時間」(ON READING)へのオマージュだという。
パリとニューヨークを活動拠点としたケルテスのその写真集は1915年から70年にかけて撮影した写真をまとめたもので、こちらはモノクロだ。窓辺でベンチで仕事場の椅子で、公園で路上でベッドの上で、「読むことに心奪われる人々の姿」。そして「写真家のイメージはこの孤独な行為の力と喜びを称える」(新版へのまえがきから)。
(アンドレ・ケルテスの「読む時間」)
本で埋まった書棚の前で脚立に乗って本を読む構図の写真が、ケルテスにもマッカリーにもあり、オマージュという言葉が納得いく。ケルテスは拠点とした二つの都市での写真が多く、モノクロの陰影の中で人間が際立つ。マッカリーはアジアなどの紛争地域を活動拠点にしている分、射程がよりグローバルで、カラーならではの情報量の多さ、奥行ある背景も魅力だ。
マッカリーの写真集には、作家ポール・セローが長文の「序―読書について」を書いている。アメリカにもかつて禁止図書があり、少年時代にそうした図書に憧れたことから始まって、読書論、好きな作家論を展開する。「読むことに我を忘れている人の表情には、常に何か光り輝くものがあるような気がしてならない」
二つの写真集(いずれも創元社)に見入っているうち、子供のころ、部屋の片隅で、漫画や少年少女世界文学全集、江戸川乱歩、シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパンなどに没頭した至福の時間を思い出した。
私の本棚の写真。脳内を見せるみたいで、若干の羞恥…。