パリ95番バス

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ギュスターヴ・モロー美術館(Musée Gustave Moreau)

 

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 7月23日のNHK日曜美術館「魂こがして青木繁~海を越えた“海の幸”と石橋凌の対話」にギュスターヴ・モロー美術館が登場した。

オランジュリー美術館で開催中のブリヂストン美術館展で、パリの人々は、里帰りした印象派の画家たちの絵画に加え、明治の天才画家、青木繁(1882―1911)の「海の幸」「わだつみのいろこの宮」を目にすることになった。

番組はそのことを紹介しつつ、青木の28年の短い生涯を追い、青木が好きな画家として上げていたモローの美術館を歌手の石橋さんが訪れる。

世紀末の画家モロー(1826-1898)の絵に、青木がどんな形で接したのかは、勉強不足で不明だが、ロマン主義的作風、神話を題材にしたところなど、相通じるところがあったのか。

印象派とは対極にあるようなデカダンの(と言い切っていいのかどうか)画家モローを私が知ったのは半世紀近く前のこと。そのきっかけになった1冊の本を本棚の奥から引っ張り出して来る。埃を払いながら、久しぶりに函から出す。

ユイスマンスの「さかしま」。桃源社の「世界異端の文学」シリーズの1冊で、澁澤龍彦訳。ユイスマンスではなく「ユイスマン」となっている。1966年8月発行。表紙は作中にも出てくるモローの油彩「ヘロデ王の前で踊るサロメ」。

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 作品自体の出版は1884年、モロー存命中だ。デカダンを象徴する小説人物として有名な主人公デ・ゼッサントは現代生活に背を向け、手に入れたモローの絵画2点を室内で眺めていることに至上の歓びを見出す。

 

「鼻持ちならぬ下司野郎どもの唾棄すべき時代を逃れて暮らしたいという望みが切実になって行くにつれて、彼にはパリの殺風景な家々であくせく働く人間どもや、金儲けのために街々をうろつく人間どもの肖像を描いた絵画などは、もう二度と見たくないという気持ちがいよいよ強くなった」

「精神の快楽と眼の歓びのために、彼は何か暗示的な作品を求めていた。つまり、おのれをある未知の世界に投げこんでくれるような、新しい臆説の跡をあばいて見せてくれるような、また学匠的なヒステリーと、入り組んだ複雑な悪夢と、無頓着な残忍な幻影とによって、神経組織に激動を与えてくれるような、そんな作品を求めていたのである。

数ある現代画家のなかで、永いこと彼を恍惚状態に浸らせてくれる才能ある画家が一人いた。ギュスターヴ・モロオである」

 

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(モロー美術館の油彩「出現」。小説中の水彩「まぼろし」=「出現」はルーヴル美術館にある)

 

このあと、表紙絵と「まぼろし」(一般的には「出現」)の2枚のサロメの絵の描写が、なんと7ページ!にわたって続く。ユイスマンスはデ・ゼッサントの口を借り、モローは誰の系譜にもつながらないユニークな画家だとして、言葉を尽くして絶賛する。

 「彼の絶望的な、学匠的な数々の作品のなかには、ボオドレエルのある詩におけるように、腹の底までひとを感動させる一種独特の魔術、呪文のごときものがひそんでいた。絵画の限界を越えたこの芸術によって、ひとは仰天し、面くらい、夢見るような気持になる。それは文章の芸術から、その最も精緻な記憶喚起法を借り、リモージュ焼きの芸術から、その最も見事なみずみずしさを借り、宝石細工人や彫版師の芸術から、その最も精巧な技巧を借りた芸術であった」

 

モロー美術館は14年前に一度訪れたきりで、機会があればもう一度行きたい個人美術館だ。

 オペラ座サクレ・クール寺院のほぼ中間に位置する住宅街にあり、元は邸宅なので、周りに溶け込んでいて、気づかず通り過ぎそうな建物。

驚くのは、部屋の壁一面にぎっしりと並ぶ作品群。どれから見たらいいのか、とまどうほどだ。精緻な細密描写の作品も多く、これらの絵の制作にどれだけの時間が積み重なっているのか、その凝縮度に、めまいがしそうになったことを覚えている。モローの生涯かけた画業の熱が伝わってきた、とでもいおうか。

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ギュスターヴ・モロー美術館)

美術館の図録(日本人の来館が多いのか、ちゃんと日本語版がある。ありがたい)によれば、モローは生前からアトリエ兼自宅を美術館にするための準備を進め、没後、作品が展示された自宅ごと国に遺贈され、1906年に美術館として開設された。

世紀末には社交界のサロンや一部の文学者の間で人気があったモローも、開館後はアンドレ・ブルトンシュルレアリスト以外には訪れる人も少なく、美術史に埋もれていたらしい。

復活したのは1961年、アンドレ・マルロー文化相の音頭で開かれたルーヴル美術館でのモロー展だったという。「完成品」の多くは国内外に散らばり、ここにあるのは、未完の大作と、下描き、素描といったものしかない、という意見が過去にはあったそうだ。画家の探求の足跡をたどることのできる膨大な作品群、20世紀のフォーヴィズム、抽象画につながる晩年の水彩などを見ると、アカデミズムの「完成品」というものが、現代の眼からは古めかしいものに思えてくる。

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 図録には、交友のあったエドガー・ドガ作のモローの肖像が掲載され、ドガとのちょっと面白いやりとりが紹介されている(出所がよくわからず、いかにも過ぎる話だけど)。

 「ある日、モローがドガをからかって言った。

―ではあなたは踊りで美術の復興を計るつもりかね。

ドガは逆襲して答えた。

―それじゃああなたは宝石細工で美術の刷新をはかるというわけですか」

 

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 仏文学者鹿島茂さんの「ギュスターヴ・モロー 絵の具で描かれたデカダン文学」(六耀社)は多角的にモロー像を捉えた素晴らしい本で、ユイスマンスプルーストブルトンら影響を受けた文学者に言及し、同時代の文学者で一番近い美意識を持っていたのは、あの「ボヴァリー夫人」「聖アントワーヌの誘惑」(素晴らしい短編!)のフロベールだったとのではと指摘している。

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 かつて、モローの絵を「さかしま」経由で知ったとき、シュルレアリスム幻想文学にかぶれていたこともあって、神秘主義的画風に興味を持ったのだが、美術館を訪れて、一番魅かれたのは、晩年の水彩画群だった。パネルが収納された家具を開くと、水彩、パステル画を手に取るようにしてみることができる。晩年、水彩が増えていたことが、図録からもうかがえる。形体の明確さより色彩、さらには、抽象画そのもののような無定形な線の塊。晩年のモネをも思わせる。モローとは正反対のはずだった印象派と思わぬところでつながったと言えば、こじつけになるかな。

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