パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

佐藤正午「月の満ち欠け」

 佐藤正午さんは、いつごろからか、新作の小説が出ると必ず読むという稀な作家になった。

  前作「鳩の撃退法」は上下巻を読み終えるのが惜しいほどで、いつまでも作品世界に浸っていたいと思わせた。贋札か真券か曖昧模糊とした札束3000万円の詰まった鞄を預かってしまった元作家の話は、細部の描写、会話がリアルかつアクロバティックで、絵空事をあり得る話と思わせてしまうところがすごい。世界児童文学全集のサービス精神あふれる物語を現代の大人版にしたような。

 最新作のテーマは「輪廻転生」。

 「そう、月の満ち欠けのように、生と死を繰り返す。そして未練のあるアキヒコくんの前に現れる」

 「瑠璃も玻璃も照らせば光る」という格言から付けられた、瑠璃という名前の女性をめぐって人々が織りなす30年にわたる物語。前世の記憶を持つ女の子に周囲は翻弄され、叙述の時間は行きつ戻りつし、サスペンスに満ちた読書体験が味わえる。つまり1行もないがしろにできない。

  普通の人たちがひょんなことから異界に入り込んでしまう話でもある。よく考えれば、ホラーなのだけれど、当然、スティーヴン・キングのように世界の終りに突っ走ってしまうようなことはなく、ラストに胸を熱くしてしまう。

 朝日新聞で、文芸評論家の斎藤美奈子さんが書評をぴたりと締めくくっていた。

 「ファンタジーはちょっとという人をもねじ伏せる説得力。瑠璃(たち)の思いはどこへ向かうのか。虚実の皮膜を行く佐藤正午の本領発揮。本を閉じた後、世界がちがってみえるかも!」

  タイムスリップを切なく生かした「Y」では、フランソワ・トリュフォーが引用され、作家の映画好きがよくわかるのだが、今作も「アンナ・カレーニナ」「天国から来たチャンピオン」、岩井俊二監督の「四月物語」、ゴダールアンナ・カリーナといった映画の物語、イメージが散りばめられている。

  間もなく発表の直木賞の候補。他候補の小説は知らないが、文句なしでこれを押したい。