二度目の倫敦③ナショナル・ギャラリー1200年~1600年
昼過ぎ、トラファルガー広場に戻り、セント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会(写真下)のランチコンサートへ。礼拝堂で平日ほぼ毎日開かれる1時間ほどの無料演奏会で、この日は韓国系の若い男性ピアニスト。音楽雑誌で成長株のピアニストとして取り上げられたと司会者が紹介、リストの「ラ・カンパネッラ」など3曲を聞かせてもらう。ほぼ満席状態。
別の日にはバッハやヘンデルもやっていたのだが、残念ながら、聞けたのはこの日だけでした。
午前中、高級食材店に高級ホテル、高級ブランド街と俗世を経めぐり(考えようでは、天上界的でもあるが)、教会クラシックに浸って身を浄め(たつもりになって)、教会向かいにあるナショナル・ギャラリーへと足を運んだのだった。
グランドフロアを進むと、レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」の巨大な部分絵が迎えてくれた。
2019年はレオナルド没後500年で、その特別展の入り口だった。ナショナル・ギャラリーは入場無料。普段なら「岩窟の聖母」はフリーなのに、£20の特別展に入場しないと観られないので、この巨大部分レプリカで良しとした。
クローズアップして気づくものがある。
天使の髪の巻き毛は、レオナルドが執心した渦巻く水流そのもの、とよくわかる。
10倍以上に引き伸ばされてなお、細部の印影がくっきりしているのに驚く。
聖母マリア、幼いキリストとヨハネ、天使を描いた全体(ナショナル・ギャラリーのHPから)
「岩窟の聖母」は2点あって、もう1点(写真下)はパリのルーヴル美術館にある。
ルーヴルで開かれたレオナルド展も予約完売の大人気だったらしく(パリに行くつもりだったが、交通ストにつき、やめた)、ルネッサンスの天才は現代人に訴えるものがあるようです。
それはともかく、このふたつの「岩窟の聖母」をめぐっては、いろいろ議論があり、フランス側は、後から描かれたナショナル・ギャラリー所蔵品に関し、ルーヴル作品にミラノの注文主がクレームをつけ、工房の弟子たちが新たに描いた、とする説を唱えてきた。「うちのがレオナルドの真作」ということですね。
これに対し、ナショナル・ギャラリーは2010年に保存処置をした際の分析で、弟子が手を入れたのはごく一部で、ほとんどをレオナルドが制作したと断定した。「うちのだって」ですね。ルーヴルがどう反応したかは、知りません。
EU離脱で英仏の軋轢が改めて取沙汰されたけれど、昔から英仏はライバルとして、何かと言えばぶつかり合っていた気がする。
後世の美術研究者を悩ませ続ける、謎多きレオナルドだが、30代でナショナル・ギャラリー館長も務めた英国の美術史家ケネス・クラークは、自国の天使をこう評していた。
「この天使は、パリの《岩窟の聖母》のもっと繊細で優雅でゴシック的な天使の魅惑を欠いている。これはレオナルドの後期の探究の成果を体現しており、理想美と古典的完成を示す明暗法が結びついている一方、みずみずしさはかなり失われてしまった。それでもこの後期の豊かな表現力は、同時代人にとってほとんど催眠術のような作用を及ぼしたのである」(ロンドン ナショナル・ギャラリーの名画から 比べて見る100のディティール」)
自国のが一番、とは、しないところが偉い。
フランドルの画家 ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」(1434)。
今年の大学センター試験、世界史Bの第1問に登場したので驚いた。
この奇妙な風体の夫妻は一見して忘れがたい。女性は妊娠中ではなく、そういう服なのだそうだ。
テンペラから油絵へ技法が変わる時代に、いち早く油絵の特質を生かし、光も描写した先駆的絵画、という評価で有名だが、もう一点、夫妻の間の鏡に、二人の背中と、画家ではないかともされる、こちら向きの人物が描かれているという面白さもある。
鏡部分の拡大
ドイツのハンス・ホルバイン「大使たち」(1533)
同じ二人の肖像でも、こちらは若き大使と古典学者の取り合わせで、問題は下方に描かれた変なもの。
絵を斜めからみると正体が見えてくる。
髑髏、どくろ、ですね。「メメントモリ(死を想え)」。絵の寓意は「人生のはかなさ、人間の功績のむなしさ」となる。二人の間にある天球儀とか地球儀とかリュートにも意味があるらしい。
しかし泰然とポーズを取るモデルの二人は、こんな不吉なものを描き足されて、どんな思いを抱いたか?
フィレンツェのメディチ家の宮廷画家、ブロンズィーノの「ヴィーナスとキューピッドのいるアレゴリー」(1545)。
裸体画にして典型的寓意画とされ、愚かな快楽、欺瞞、忘却、梅毒といった意味が神話的イメージの中に盛り込まれているらしい。絵解きゲームは宮廷生活の退屈しのぎだったとも。
こちらも寓意裸体画、ハーカス・クラナッハの「ヴィーナスに訴えるキューピッド」(1525)。
クラナッハは、ドイツの宗教改革者ルターの擁護者フリードリッヒの宮廷画家。独特のスリムな裸身は、フィレンツェのウフィツィ美術館の「アダムとイヴ」でもお目にかかった。
木の幹のくぼみからハチミツを取ったがために、ハチに刺されるキューピッド。束の間の喜びは痛みをもたらし、ヴィーナス(イヴともされる)はキューピッドに「あなたが与えた恋の痛みはもっとつらいものよ」と言い聞かせているのだとか。昔の人はそこまで読み取っていたのか。
ヴェネティア派の画家パオロ・ヴェロネーゼの「侮蔑(愛の寓意Ⅱ)」(1570-75)。天井装飾の1枚として描かれたらしいが、裸の男をキューピッドが弓で打ち付けることの寓意がわからない。ナショナル・ギャラリーのガイドブックでも意味を引き出すのが難しいというほどだから。
同じくヴェロネーゼの「アレクサンドロ大王の前のダレイオスの家族」(1565ー67)。
マケドニアのアレクサンドロ大王がイッソスの戦い(紀元前333年)で倒したペルシャ王の家族の命を助けた、という話の一場面らしい。物語はともかく、左にいる猿に目を引かれる。
ジョバンニ・ベニーニの「ヴェネツィア総督レオナルド・ロレダン」(1501)
写真のような写実性のインパクト。
これはラファエロの「教皇ユリウス2世」(1511)
得意の聖母子像とも違うタッチのような気がする。
ピエロ・デラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」(1450)
後景は風景描写のはしりという説がある。
ジョルジュ・スーラはパリの国立美術学校の礼拝堂にあるフランチェスカのフレスコ画のレプリカを研究した。 点描画に通じるものがあったのだろうか。
ミケランジェロの「キリストの埋葬」(1500-01)
教会の依頼で取り組んだ祭壇画だったが、未完に終わった。
ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴゴルドの「マグダラのマリア」(1535-45)
キリストの遺骸を埋葬した墓を訪れたという聖ヨハネ福音書のエピソードを描いたもので、こちらに向けた視線、衣の銀色の光沢が印象的。
ヤコポ・バッサーノ「神殿を清めるキリスト」(1580)
右端に描かれた、財宝を守ろうとする姿の老人は、ヴェネツィア派を代表する画家ティツィアーノらしい(写真下)。
画家仲間では金銭欲のかたまりとして評判が悪かったとか。それにしても…。
ヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ教会の「聖母被昇天」は今も目に焼き付いている。ただ、ここナショナル・ギャラリーのティツィアーノは素通りしてしまったらしく、写真もありません。
対して、ヴェネツィア派後世代のティントレットは、目の中に向こうから飛び込んでくるわかりやすさ。好みの問題かも知れないが。
以下3作はティントレット。
「弟子たちの足を洗うキリスト」(1575-80)
「天の川の起源」
ジュピターが息子のヘラクレスを不死にするため、妻の女神ジュノが眠っている間にミルクを飲ませようとし、目覚めて驚いたジュノの胸からミルクが飛び散り、上に行ったものは天の川に、下に落ちたのはユリの花を生んだという神話。
ティントレット得意の空中浮揚が駆使されている。
そしてこれは、「聖ゲオルギウスと竜」(1555ごろ)。後景の竜退治の場面より、竜から解放されて逃げてくる王女の姿が劇画的で、なんとも言えない面白さ。
聖ゲオルギウスはキリスト教の聖人の一人で、イングランドでは聖ジョージとして守護神になっている。スペインのカタルーニャ地方にはこれにあやかった「サン・ジョルディの日」(男は赤いバラを、女は本を互いに贈る)がある。
ティントレットとティツィアーノについては、以下のブログにも書いています。
http://louvre.hatenadiary.jp/entry/2018/11/03/130152
スペインの画家バルトロメ・ベルメーホの「悪魔に勝利した聖ミカエル」(1468)
竜、悪魔退治で聖ゲオルギウスと並ぶ人気の聖ミカエルは、ヨハネ黙示録に登場する大天使で、モン・サン・ミッシェルで修道院を建てるようお告げをしたことでも知られる。ゲオルギウスがジョージなら、こちらはマイケルとかミシェルとか、西欧によくある名前の起源に。
この絵も劇画的で、黄金の鎧スーツの凛々しい聖ミカエルと、宇宙人だか、たちの悪いロボットかわからないような悪魔の対比が面白い。15世紀の想像力、造形力はなかなかすごい。
ヨアヒム・パティニール「岩山の風景の中の聖ヒエロニスム」(1511)
絵画といえば、宗教画、歴史画、神話画、肖像画で、風景は主テーマにならなかった時代、パノラマ的風景画のパイオニアとされる。
誰に何を言われようと、俺はとにかく風景を描きたいんや、このギザギザの岩を描くんや、文句あっか?という強い意思を感じます。
ナショナル・ギャラリーはフロアを、1200~1500年、1500~1600年、1600~1700年、1700~1930年の4つの年代に区分して展示していて、時代による絵画の変遷が分かりやすい。1200年から1600年はルネッサンスを挟んだ時期で、イタリアが主導した時代だったようだが、他国の画家も含め、この時期の相当に個性的な=クセの強い絵画をナショナル・ギャラリーは集めている。
参照「ナショナル・ギャラリー コンパニオン・ガイド」