パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

教会を巡ってシェイクスピア・アンド・カンパニー書店へ

 


宿泊するホテルの部屋から、サン・ジェルマン・デ・プレ教会が見える。パリで現存する最古の教会、とされる。6世紀に建てられ、9世紀に焼失したあと再建されたらしい。

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下は教会の中。ブルーが鮮やかで、思いのほか新しい感じ。

向かいにはルイ・ヴィトンの店やカフェのドゥ・マゴなどがあり、サン・ジェルマン・デ・プレのまさに中心に位置する。コンサートもたびたび開かれる。

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ホテルから歩いて10分ほどの距離に、サン・シュルピス教会。トム・ハンクス主演で映画化されたダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台にもなった教会。子午線の書かれたオベリスクがある。

 

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1646年から1870年にかけ建設された。人を入れて撮ると、ずいぶん大きい教会とわかる。それもそのはず、パリでは、火事のあったノートルダム大聖堂に次ぐ大きさらしい。礼拝堂にはウジェーヌ・ドラクロワの絵画もある。

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これは「天使とヤコブの闘い」。ドラクロワが亡くなる2年前、1861年の作。

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同部分

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「神殿を追われるヘリオドロス

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同部分

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「竜を打つ大天使ミカエル」

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パリで最大規模の2000脚の椅子が並ぶ

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セーヌ川に行く途中、サン・ミッシェルの噴水(1860)を通る。

橋を渡り、パリ発祥の地とされるシテ島へ。紀元前、パリシイ人が住み。パリの語源となった。

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シテ島にあるサント・シャペル教会。クレーン車で修復?ガラス拭き?

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2階へ上がる。四方を囲むステンドグラスには聖書の場面が描かれている。

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 1242年から48年にかけ、ルイ9世の命で建てられた。ほかの教会と何が違うかといえば、壁=ステンドグラス。石造りは最小限にとどめ、支柱を鉄の骨組みで補強した結果、中に入った者を圧倒するガラスの教会が出来上がった。

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教会の尖塔。

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隣の司法宮。フランス革命後の恐怖政治では多数の人を裁き、断頭台に送った。正面に、フランス国家の精神、「リベルテ、エガリテ、フラテルニテ(自由、平等、友愛)」の言葉が刻まれている。

東へ進むと、4月の火災で尖塔と屋根が焼け落ちたノートルダム大聖堂(1163-1340)の正面に出る。右回りに一周する。

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ノートルダム大聖堂の対岸にシェイクスピア・アンド・カンパニー書店がある。

行きそびれていた場所のひとつだった。

旅行者らしい人たちが次々と出入りしている。大きな看板をかけた店の前に椅子があり、そばの本棚から本を持ってきて座り、本を開いて写真を撮る。

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書店は映画「ミッドナイト・イン・パリ」のラスト近くにちらりと登場し、「ビフォア・サンセット」では冒頭、朗読会のシーンにでてくる。

今の「シェイクスピア・アンド・カンパニー」は二代目だ。

初代は1919年、アメリカから移住してきたシルビア・ビーチが開き、21年から第二次世界大戦中の41年まで、6区のオデオン通りにあった。

当時のことはビーチの書いた「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」に詳しい。大戦間にパリにやってきた英米の作家たちが出入りした出版社であり、英語の貸本の店でもあった。フィッツジェラルドヘミングウェイジョイスエズラ・パウンドヘンリー・ミラーらが、本に登場する。

何より、英国と米国で発禁になっていたジョイスの「ユリシーズ」を1922年に出版したことで知られる。そのせいか、本のかなりの部分がジョイスの話。

41年の閉店のいきさつも書かれている。

ナチスのパリ占領下、訪れたドイツ将校がショーウインドウにあったジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」を買いたいと申し出たのを、ビーチは断る。怒った将校は本を全部没収すると告げて帰り、ビーチは本をすべて隠し、看板の文字もペンキで塗り消して店を閉じる。ビーチは連行され、6か月間捕虜収容所に入れられた。パリ解放後も再開することはなかった。

ヘミングウェイのパリ思い出集「移動祝祭日」に「シェイクスピア書店」と題した一編がある。

「ここは、あたたかくて、陽気な場所であった。冬には大きなストーヴがあり、また本を置いたテーブルや棚があり、ウインドウには新しい本が置かれ、壁には現存の、あるいは故人となった有名な作家の写真が掛けてあった。写真はすべてスナップのようで、もう死んでしまった作家でも、まるで現実に生きているように見えた」

「私は、はじめてその本屋へ入っていったとき、とてもはずかしかった。貸本文庫に加入するだけのお金をもちあわせていなかったのだ。いつでも、お金の入ったときに、保証金を払えばいいと彼女は言って、カードを作ってくれ、好きなだけ本をもっていらっしゃいと言った」

ノーベル賞作家が金欠だったころの話。

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二代目の店は、20年ほど放浪生活をしたアメリカ人のジョージ・ホイットマンが1951年、今の場所に英語書籍の店として「ル・ミストラル」の名で開いた。シルビア・ビーチと知り合い、62年にビーチが亡くなると、蔵書を買い取り、シェイクスピア生誕400年の64年に店名を由緒ある「シェイクスピア・アンド・カンパニー」に変えた。

元祖同様、ヘンリー・ミラーやアレン・ギンズバークら作家が出入りする店となったが、何より、パリに来た貧しい物書きや旅の若者らを無料で宿泊させる奇妙な書店として有名になった。モットーは「見知らぬ人に冷たくするな、変装した天使かもしれないから」。

カナダの元新聞記者が2000年に数か月、この書店に滞在した経験をもとに書いた「シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々」(河出書房新社)は、80歳を超えた個性的な店主と無料宿泊者たちと本をめぐる面白い本だった。

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店内は撮影不可で写真はない。広いとはいえない店の中はすき間なく本が置かれている印象だ。一階には販売用の新本、古本。階段で二階に上がると、シルビア・ビーチの蔵書らしい古い書籍がびっしり並ぶ棚がある。今も宿泊に使われているのか、粗末なベッドが本棚に囲まれて置かれている。壁にはヘミングウェイが見たものかも知れないセピア色の人物写真の数々。テーブルで男性が熱心に本を読んでいる。開いた窓の外に目をやると、ノートルダム大聖堂が見えた。

「…の優しき日々」の一節。

「この店はノートルダムの別館だというジョージの言葉を思い出し、まさにその通りだと思う。確かに有名な書店だし、文学的にも大きな価値をもつ店ではあるが、何よりもシェイクスピア・アンド・カンパニーは、川向こうの大聖堂のような一種の避難所なのだ。だれもが必要なものを取り、与えられるものを与えることのできる場所、店主がそれを許している場所なのである」

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 カフェが併設されていた