パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

画家たちの夢、マーグ財団美術館

南仏に点在する鷲の巣村の一つ、サン・ポール・ド・ヴァンスへは、ニースからバスで1時間がかりだった。

村はずれの森の中に、マーグ財団美術館はある。

門をくぐって前庭に入ると、オブジェが出迎える。木々に囲まれ、緑の芝に置かれたミロ、アルプ、カルダー…。

 f:id:LOUVRE:20190712115536j:plain

アルプ

f:id:LOUVRE:20190712100446j:plain

ヘップワース

f:id:LOUVRE:20190712115423j:plain

ミロ

f:id:LOUVRE:20190712100524j:plain

カルダー

f:id:LOUVRE:20190712100535j:plain

ミロ

建物の中には現代アートの展示、テラスにはジャコメッティの「歩く男」「立つ女」「大きな頭」。

f:id:LOUVRE:20190712100646j:plain

f:id:LOUVRE:20190712100700j:plain

f:id:LOUVRE:20190712100714j:plain

f:id:LOUVRE:20190712100741j:plain

f:id:LOUVRE:20190712100758j:plain

f:id:LOUVRE:20190712100631j:plain

ジャコメッティのテラス

f:id:LOUVRE:20190712100605j:plain

「歩く男」

f:id:LOUVRE:20190712112110j:plain

「立つ女」

「女は動かない、男はいつも歩く」(ジャコメッティ

天井の高い大展示室は、ガラス窓から柔らかな日が差し込み、ミロ、レジェ、シャガールカンディンスキー、サム・フランシス、ボナールの絵画が壁に掛かる。

f:id:LOUVRE:20190712103639j:plain

f:id:LOUVRE:20190712100927j:plain

レジェ「田舎の宴」

f:id:LOUVRE:20190712100900j:plain

シャガール「生」

f:id:LOUVRE:20190712100913j:plain

カンディンスキー

f:id:LOUVRE:20190712101119j:plain

サム・フランシス

f:id:LOUVRE:20190712104350j:plain

ボナール「夏」

そしてここにもジャコメッティ。パリのアトリエにあった石膏の「犬」がここではブロンズになっている。「猫」も2体の人物も。ミロの人を食ったようなオブジェ、カルダーのモビールもある。

f:id:LOUVRE:20190712101044j:plain

ジャコメッティ「犬」

「それは私だ。路上でそれを見た。私は犬だった」

f:id:LOUVRE:20190712114144j:plain

同「猫」

f:id:LOUVRE:20190712101021j:plain

同「女」

f:id:LOUVRE:20190712102443j:plain

カルダーのモビール

 美術館にしてはなんとなく不思議な空間。光にあふれているからか、作品の並び方が取りとめない感じを与えるからか。パリから遠く離れた不便ともいえるこんなところに、なぜ20世紀アートが集まっているのか…。

 美術館は1964年、パリで画廊を経営していたエメ・マーグと妻マルグリットによって開設された。以下、ここで購入した「Connessance de Arts」別冊の「La Fondation Maeght」に基づいて、経緯をたどると…。

エメ・マーグ(1906~1981)はフランス北部のノール県で生まれたが、第一次世界大戦で父親が行方不明になり、一家で南仏へ移った。カンヌでリトグラフの印刷の仕事をするうち、マルグリット(1909~1977)と知り合って結婚、1936年から家具とラジオの店を営み、美術品も扱うようになる。リトグラフの制作を通じて出会った画家ボナールとは深い友情で結ばれる。

第二次世界大戦のドイツ占領時には、印刷機を使ってレジスタンスに協力したという。

ボナールと、妻のマルグリットがモデルをしたことで知り合ったマティス、この二人の画家の勧めで、第二次大戦が終わった1945年、パリに画廊を開いた。そこは画家、詩人、作家を結びつける場となり、ブラック、レジェ、シャガール、ミロ、カルダー、ジャコメッティらと親交を結ぶ。

47年にシュルレアリスム展、48年にミロ、50年にシャガール、カルダー展、51年にパリで初めての大規模なジャコメッティ展。

f:id:LOUVRE:20190712100842j:plain

ミロ

しかし53年、夫妻の二男、ベルナールが11歳で病死し、心砕かれた夫妻は親類が土地を所有していたサン・ポール・ド・ヴァンスに引っ込んでしまう。

「そこで進むべき道を教えてくれたのは、やはり画家たちだった」(エメ・マーグ)

息子を亡くして1か月後、訪ねてきたブラックは、絶望の中にいるエメに、「ここで、なにかをするんだ」と励まし、「君が嫌いな投機や金儲け」ではないアートのために、「光と空間のすばらしい条件がそろったこの場所に、彫刻、絵画を展示しよう」と提案する。

マーグ夫妻は米国でバーンズ、フィリップス、グッゲンハイムといった大財団の美術館を巡り、国立、市立の美術館が中心のフランスでは珍しかった私設財団の美術館を作ることを決める。

夢を実現させるプロジェクトに画家たちは協力。庭にはミロやカルダーが彫刻を置き、建物には壁画、そしてボナールは「夏」、レジェは「田舎の宴」、シャガールは「生」の絵画大作をこの美術館のために制作した。ジャコメッティは35体の彫刻と30の素描を寄贈、世界有数のコレクションとなり、2017年の日本でのジャコメッティ展はマーグ財団の協力で開かれた。

f:id:LOUVRE:20190712101005j:plain

ジャコメッティ「マルグリット・マーグの肖像」

64年7月の落成式には、当時の文化相アンドレ・マルローも出席し、美術館への賛辞を述べた。サン・ポール・ド・ヴァンスで出会ったシモーヌ・シニョレとの結婚披露宴をこの村で行ったイヴ・モンタンも出席して歌を披露した。

敷地内には息子の名をとった小さな聖ベルナール礼拝堂もあり、十字架のキリスト像の上方にブラック作のステンドグラスがはめ込まれている。

f:id:LOUVRE:20190712101235j:plain

f:id:LOUVRE:20190712101315j:plain

ブラックのステンドグラス

絵画、素描、版画、彫刻、書籍を含め11000点を収蔵するが、展示されているのはその一部だ。

20世紀アートを散りばめたようなここは、美術館というよりも、夫妻と画家たちの友情でできた理想のアートの家、だったのかも知れない。

f:id:LOUVRE:20190712101103j:plain

f:id:LOUVRE:20190712101354j:plain

f:id:LOUVRE:20190712100813j:plainf:id:LOUVRE:20190712100826j:plain

ビジターは年20万人。開設以来毎年、特別展が開かれ、ルイ・ヴィトンのコレクションの発表会にも使われている。「過去ではなく、今のアーティストを大事にしたい」との考えはパリの画廊時代から続いている。

特異な展覧会としては、マルローが提唱した「空想美術館」展が1973年にあった。「空想美術館」は画像の大量複製が可能となったことで、画像を並べたイマジネーションによる美術館を構想するというもので、作品が過去の美術から受けた影響を知り、複数の作品を比較することで新たな視点が生まれる。ネットで世界の美術館のコレクションの画像が見ることができる今の時代にこそ、ぴったりかもしれない。

ただ、この時の展覧会は古今東西の本物を集めた。ティツィアーノ、ティントレット、セザンヌゴッホ、マネ、ピカソ、ブラックなどなど。日本からはマルローの要請で絵画1点、京都・神護寺に伝わる「平重盛像」(国宝)が出展された(重盛像ではない、という研究もあるようだが)。そのお返しに翌74年、マルローを大使として、ルーヴル美術館の「モナリザ」が来日したとされる。

 

ショップに寄ると、目に飛び込んできたのがニコラ・ド・スタールの絵。1991年にここで開かれた回顧展のポスターだった。アンティーブのピカソ美術館の目当てでもあったスタール。当然ポスターを買い求めた。

f:id:LOUVRE:20190712101155j:plain

f:id:LOUVRE:20190712101340j:plain

ショップ裏の壁にもシャガール

f:id:LOUVRE:20190712101214j:plain

ニースからサン・ポール・ド・ヴァンスへは、午前9時30分発のバス400番に乗った。プロムナード・デザングレに沿って海岸線を西へ走り、コート・ダジュール空港付近から山手に進路を取り、坂道をくねくねと上って行く。

リーヌ・ダジュール(紺碧ライン?)という会社が運営、バス停1つでも、20㌔離れたこの村へ1時間乗っても1.5ユーロ(200円足らず)の一律料金。南仏の山上にある鷲の巣村への公共交通機関はバスしかなくて、観光客だけでなく、地元の人になくてはならない足だから、沿線自治体が補助しているのだろうか。

村の入口の二つ手前の停留所「マーグ財団」で降りて、急な上り坂を10分ほど歩いた。

幼児を連れた若い日本人カップルに出会った。勤務先のロンドンから週末休みを利用して来たという。