アンティーブのニコラ・ド・スタール
南仏の古くからの港町アンティーブにあるピカソ美術館。ピカソには申し訳ないが、ニコラ・ド・スタールが一番の目当てだった。
スタールの絵画を知ったのは、アマゾン・プライムでジャン・リュック・ゴダールのストーリー不明映画「さらば、愛の言葉よ」(2015年)を何気なく見ていて、哲学者らしき登場人物が持っていたスタールの画集に目が留まったからだ。
気になって調べると、1993年に日本でも巡回展が開かれている。古書店から図録を取り寄せ、その世界に、はまった。ゆかりの地でその絵を見たいと思った。
屋根(1952) (以下5枚は「ニコラ・ド・スタール展」図録から)
楽士たちーシドニー・ベシェの思い出(1953)
青い花瓶の花(1953)
白い片手鍋のある静物(1955)
瓶のある静物(1955)
スタールは1914年、サンクトペテルブルグ生まれのロシア人。父は名門貴族出身で、1917年のロシア革命で一家はポーランドに亡命。間もなく父、母を相次いで亡くし、孤児となったスタールは二人の姉妹とともにブリュッセルの知人に引き取られ、王立美術学校で絵画を学んだ。スペイン、モロッコ、アルジェリア、イタリアなどを旅し、24歳の時、パリに居住した。
戦後、徐々に評価を得て、ロンドンやニューヨークでも個展を開き、1953年11月に南仏プロバンスのメネルブに古い家を買って住む。54年9月にはアンティーブのアパートに移り、パリでの個展に向けた作品を制作していた55年3月16日、アトリエのテラスから身を投げ、41歳で亡くなった。
ピカソ美術館では、二つの部屋がスタールに充てられている。
大きな部屋には、絶筆となった未完の大作「コンサート」(1955年)と、サッカーを描いた「パルク・ド・プランス」(1952年)が向かい合せに、そして「横たわる裸」(1953年)とヌードのデッサンがある。
「コンサート」はピアノ、コントラバスのあるステージの風景。自殺の11日前、パリで現代音楽のシェーンベルクなどのコンサートを聞き、帰ってすぐ制作に着手していた。背景の赤が部屋の白い壁に映える。
「パルク・ド・プランス」は、1952年3月、パリ・サンジェルマンの本拠地になっているパリのサッカー競技場(今年の女子W杯フランス大会で、なでしこジャパンが初戦のアルゼンチン戦を行った会場だ)で試合を見て感銘を受け、連作のように描いたうちの1枚。ユニホームの黒と青と赤と白に芝の緑、パレットナイフの跡をくっきり残し、抽象と具象のあわいにある作品だ。
「横たわる裸」のモデルの女性には夫も子供もいたが、恋仲になった。なぜ青なのかは不明だが、単純化された形、色彩は、南仏の海や山も連想させる。背景はやはり赤。
もう一つの部屋には、多様なグレーを使ったアンティーブの「城塞」。1955年の作で、春夏は風光明媚なこの土地の少し陰鬱な冬の景色だろうか。
そして、深い青が強い印象を与える「青を背景にした静物」(1949年)。
自殺の動機は何だったのか。
個展のための制作に追われ、行き詰っていたという説。最期の日に友人に宛てた手紙には「私には絵を完成させる力がなかった」という言葉があった。
その一方、自殺前日、「横たわる青い裸身」のモデルの女性の夫に、女性からの手紙をまとめて返しに行ったことから、失恋が背景という説もあるようだ。
幼時に祖国を追われ、旅を続けながら、具象から抽象、再び具象へと変化させ、絵画の究極の姿を追い求めたスタール。
カンディンスキーやブラックと交流し、ドラクロア、マネ、セザンヌ、ゴッホ、マティス、ブラック、ベラスケス、ゴヤ、レンブラント、フェルメールが好きだったという。そういえば、スタールの絵にはそれぞれの画家の色彩、形態、筆致が少しずつ反映されている気がする。
パリに戻ってからスタールの画集を書店で買った。
1953年に南仏に移住してから描いた絵がやはり素晴らしい。
(以下の絵の写真は「NICOLAS DE STAEL EN PROVENCE」から)
風景(1953)(左右とも)
ボークリューズの空(1953)(左右とも)
コンポジションー風景(1953)(左) 黒い舟(1953-1954)(右)
シチリア(1954) (部分)
風景(1953)
アグリジェント(1953-1954)
再びゴダールについて。この映画作家はヌーヴェル・ヴァーグの記念碑的作品「勝手にしやがれ」(1960年)からピカソやルノワールの絵画を画面に登場させてきた。
「気狂いピエロ」(1965年)には、ベラスケス、ルノワール、ピカソ、モディリアーニ、マティス、ゴッホと登場するが、映画そのものの色の使い方がニコラ・ド・スタールの絵画に影響を受けているといわれる。
南仏に逃避行したジャン・ポール・ベルモンド演ずる主人公は、赤シャツを着て、顔に青い絵の具を塗り、黄色いダイナマイトを頭に巻いて自殺する。確かにスタール色だ。
「気狂いピエロ」から
映画のラスト、青い地中海にランボーの詩「地獄の季節」の一節。
見つかった
何が?
永遠が
海に溶け込む太陽が
太陽(1953)
半世紀ほど昔、この映画を観て、詩はしっかり頭に刻んだが、スタールのことは全く知らなかった。スタールを介してこの映画に戻ってくるとは思いもよらなかった。
パリから南仏へ、そして自殺。映画の主人公にスタールと重なる部分がある。ランボーの詩も。
ピカソ美術館の海岸に面した城壁には、ジェルメーヌ・リシエ(1904~1959)という南仏の女性彫刻家のオブジェが置かれている。青い海と空を背景に立つ姿は、なぜか、この地で亡くなった長身のスタールを思わせる。