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ペール・ラシェーズ墓地

パリ20区にあるペール・ラシェーズ墓地を訪れた。

1804年に開設され、あまたの著名人の墓があることで、観光地にもなっているが、はずれにあるので、これまで足を運ぶ機会がなかった。

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墓の数7万。近くに新しくできたアート施設に行くついでに、初めて足を踏み入れたものの、ついででは間に合わないほど、広く、探すべき墓が多すぎた。

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シャンソンの女王、エディット・ピアフ(1915~1963)はファミリーの墓に入っているようだった。女性が3人来ている。周りに飾られた花。f:id:LOUVRE:20190618174840j:plain

生後まもなく母親に捨てられ、売春宿で育ち、ストリートシンガーから国民的歌手へ。レジスタンス活動、シャルル・アズナブールイブ・モンタンジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキらを育てる一方、悲劇的な私生活、とストーリーに事欠かないピアフを、埋葬時、4万人が見送り、パリの交通がマヒしたという。

銘板は「エディット、君のシャンソンはいつだって今風だ」くらいの意味でしょうか。

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事前にネットで墓の場所を示した地図を入手し、調べてきたつもりだったが、近くにあるはずの画家モディリアーニ(1884~1920)が見つからない。
シモーヌ・シニョレ(1921~1985)とイブ・モンタン(1921~1991)が仲良く入った墓があった。名曲「枯葉」の歌手にして、映画「恐怖の報酬」「ギャルソン」などの渋い名優モンタン。若いころはピアフの愛人でもあったようです。シニョレも「嘆きのテレーズ」「悪魔のような女」などフランス名画の大女優。二人は1951年に結婚し、モンタンは共演したマリリン・モンローらと浮名を流したが、シニョレが亡くなるまで夫婦だった。その後再婚。あの世ではまた仲良くしているのでしょうか。

「映画ファンの追想」(?)と彫られた石碑と花。

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テオドール・ジェリコー(1791~1824)の墓は、パレットを手にした画家とルーヴル美術館にある「メデューズ号の筏」のレリーフ。実際の遭難事件を題材にして人間の極限状況を描いた、当時としては稀なドキュメンタリー風にしてロマン主義的大作絵画は、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」と同じ部屋に展示されている。筏にひしめき、救助を求める人たちは、「我々の姿」という解釈が当時あったそうだ。。

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フレデリック・ショパン(1810~1849)の墓を探していると、「目当ては誰?」と四辻にいたおじさんが声をかけてきた。応えると、「この下を左に曲がった先」と教えてくれた。案内ボランティアか。

ポーランド出身で、祖国への望郷の思いを抱えながらパリで亡くなったショパンの墓は横顔のレリーフ嘆きの天使。音楽家やファンが世界中から絶え間なく訪れるのだろう、何種類もの花が供えられている。

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この一角には、ヴィヴァン・ドゥノン(1747~1825)の墓もある。ナポレオンとともにエジプト遠征に行き、外交官にしてルーヴル美術館創始者とされ、「モナリザ」のあるドゥノン翼にその名が付く。いかめしい表情のブロンズの全身像の手に一輪の赤い花が。

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 ヌーヴェル・ヴァーグの映画監督クロード・シャブロル(1930~2010)もここに眠っていた。ミステリー志向の強い作家でしたね。

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墓地は1870年のパリ・コミューンの最後の戦い、大量処刑の場所としても知られる。

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作家のプルーストバルザックオスカー・ワイルド、ネルヴァル、アポリネールコレット、画家のダビッド、ドラクロア、コロー、アングル、カイユボット、スーラ、マックス・エルンスト、歌手のジム・モリソン、ジルベール・ベコーマリア・カラス、ジョルジュ・ムスタキ、パントマイムのマルセル・マルソー…。ああ、切りがない。次の目的地があるので、墓探しは時間切れ。

墓に刻まれた名前が、様々な歴史を「追想」させる。

パリの文化的厚みと死者への敬意が感じられる場所。

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 墓地の正門を出ると、城壁のような壁にアポリネールの詩があって、第一次世界大戦の犠牲者らしき人たちの名前が延々と並んでいた。

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詩には「神聖な死に涙するー」という意味が含まれているようだが、つたないフランス語力では訳しきれない。f:id:LOUVRE:20190618173615j:plain

墓地近くには花屋さんもある。

 

11年前に訪れたモンパルナス墓地のボードレールユイスマンスモーリス・ルブランサルトルボーヴォワールのお墓の写真(上から順に)も添えておきます。

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