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イタリア旅行⑩バロックのローマ、ベルニーニのローマ

ローマ2日目の朝、ホテル前のコルソ通りを部屋のベランダから眺める。古代ローマの入口とされたポポロ広場から、フォロ・ロマーノ北のヴェネツィア広場まで1.5㎞、まっすぐに伸びたストリート。

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ベランダからは4頭立ての馬車を飾ったヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂も見える

朝食後、市内観光に出る。トレビの泉まで歩いて3分。団体ツアー含め、人が集まり始めている。ずっーと抱き合っているカップルもいれば、何通りものポーズで写真を撮り続けるお友達同士もいる。

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 トレビの泉

聖テレジアの法悦」

ベルニーニの彫像のあるサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会へ歩いて向かう。

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グッズにも「メメント・モリ(死を思え)」


クイリナーレ宮殿を迂回して行こうとしたのだが、道がくねくねして、思わぬ遠回りに。何気なく入った途中の教会は調べるとサンタンドレア・アル・クイリナーレ教会で、聖アンドレアと天使の彫像のあるドームはベルニーニ作だった。事前チェックの漏れていることのなんと多いことか。

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サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会のドーム

迷いつつ歩いて、いつの時代のものとも知れない街なかの装飾、彫像を見つけるのも楽しい。というほど時間の余裕はないのだけれど。

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ようやく、目的の教会に着く。

ベルニーニ(1598 – 1680)の彫像「聖テレジアの法悦」。

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マルキ・ド・サドは「イタリア紀行」で感想をこう書く。

「この礼拝所には天使から傷つけられんばかりになっている有名な恍惚の聖女テレサの彫像があります。これはベルニーニの傑作です。この作品は、それを特徴づけている迫真的雰囲気からしても至高なものです。けれども、これを眺める際に、聖女が描かれているのだということだけは肝に銘じておかねばなりません。なにしろ顔を炎に包まれたテレサの恍惚状態の様子から、これを勘違いし易いであろうと思われるからです」(谷口勇訳)

そして「この彫像は賞賛に値します」としながら、「聖女の衣紋表現に少々行き過ぎが目につき、また天使が矢を番えている様子にはあまりに気取りすぎた点があるように見えます。ですが、過度の凝り方がベルニーニに持ち前の欠点であることは周知のところなのです」と少々ケチをつけている。

過剰と逸脱こそがバロックと、サドもわかったうえで書いているのでしょうが。

「イタリア紀行」は、サドが少女たちとの事件を起こしてイタリアへ逃避行した1775年から1776年の記録で、架空の女性にあてた手紙形式で書かれ、サドへの先入観を軽く裏切る真面目なイタリア美術、建築案内です。

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高階秀爾さんは「バロックの光と闇」で、この「聖テレジアの法悦」について、「身振りと表情の強調は、当然のことながらドラマティックな効果を生み出す。バロック芸術は、ある歴史家がハリウッド映画に譬えたように、きわめて演劇的な性格を持っている。芸術家は画家であり彫刻家であると同時に、またさまざまなドラマの演出家ともなるのである」として、「バロック芸術の最高峰を形成するもの」と書いている。

聖女テレジア(テレサ)は16世紀のスペインの修道女で、修道院改革を進める一方、幻視、神秘体験を書き残した。空中浮揚して心臓に神の愛の矢を射こまれるというテレジアのビジョンを彫像にしたのが、この作品。

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「ゆるやかに浮遊する雲の上に身を横たえた聖女は、キューピッドのように若々しい天使が手にする愛の矢を受けて大きく身体をのけぞらし、目を閉じ、唇を半ば開いたまま、法悦にひたされて忘我の状態にある。柔らかい雲や大きく波打つ衣装の飛騨を大理石によって再現するその卓越した技巧も驚嘆すべきものだが、何よりも強烈な印象を与えるのは、ほとんど死と隣り合わせと言っていいほどの法悦の表情である。そこでは、極度の苦痛と快楽がないまぜになったような極限の状態のなかで、神と一体になった聖者の神秘的体験が見事に表現されている」(「バロックの光と闇」)

宗教的恍惚か、性的エクスタシーか、論争もあるようですが、どちらに受け取ってもいい、とベルニーニはひそかに思っていたのではないでしょうか。

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教会を出て、たちまち世俗的世界に戻り、土産物の算段。ガイドブックにテルミニ駅近くのレプブリック広場にあると書かれていた食材店「イータリー」の支店に向かう。しかし探しても見つからない。妻がそばのホテルの従業員に聞くと、「違う店に替わった」。ああ。

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途中、古本の露店が並んでいた。寄りたい気持ちを抑えて…

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レプブリック広場。ここにも、知られた教会があったが…

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広場に面したホテル。このあたりにイターリーがあったのだが…


やむなく地下鉄に乗って街の中心部から少しはずれたピラミデ駅の本店へ。食のデパートといわれるだけあって、イタリア食材はなんでもありで、最初からここに来ればよかったと。

 

スペイン広場へ

バスでホテルに戻り、夕方再出発し、スペイン広場に向かう。

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ホテル近くのコロンナ広場に紀元2世紀のマルクス・アウレリウスの記念柱。古代ローマが街にごろごろ。

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広場向かいにはアールヌーボー様式のショッピング・モール、ガッレリア・アルベルト・ソルディ

途中、サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に立ち寄る。ここにもベルニーニの天使像が2体。サンタンジェロ橋の欄干に置かれていたのを移設したとか。

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サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会

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ベルニーニの天使像(下も)

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ローマにはとにかく教会が多い。ほとんど無料で入ることができて、絵画、彫像のお宝も見学できる。時間が許せば訪れたい教会は多数あったが、次回のお楽しみにせざるを得ない。

スペイン広場、スペイン階段は、ここでジェラートを食べた「ローマの休日」のアン王女・オードリー・ヘップバーンもびっくりの人であふれていた。21年前に来たときは、それほど混雑していた記憶はない。土曜ということもあったのか、新たなグランドツアー時代のせいなのか。

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バルカッチア(舟)の噴水。ベルニーニの父の設計とも、父子合作とも

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コンドッティ通り

 

ナヴォナ広場へ

広場から伸びるブランド街のコンドッティ通りからナヴォナ広場へ向かう。途中にはアンティークの店も並び、ぶらぶら歩きが楽しい。

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街路樹アート

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アンティーク時計の店

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古美術の店

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とはいえ、ローマの独特な石畳は足が疲れる。一辺10数センチの四角い黒っぽい石が敷き詰められているのだが、すき間もあるので、でこぼこ感がぬぐえない。坂では波打つ感じで、車もバイクもガタガタと走る。16世紀、巡礼者、馬がぬかるみに足をとられないよう、サン・ピエトロ広場で取り入れたのが広がったので、サンピエトリーニと呼ばれる。埋め込まれたキューブの玄武岩を定期的に入れ替え、今もしぶとく残しているのは、観光都市ローマの街並みに欠かせないかららしい。

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燃料税引き上げへの抗議がきっかけのパリのデモ、暴動のニュースを観ると、50年前の1968年、パリ5月革命でカルティエ・ラタンの敷石がはがされ、治安部隊への投石に使われたことをなんとなく思い出してしまうが、ローマのサンピエトリーニは投石に使われたことはないのだろうか。

 夕暮れのナヴォナ広場。長方形の大きな広場で、ここもにぎやかだ。

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「長い歴史を持つローマの町は、古代、中世、ルネッサンスの各時代のさまざまの遺跡や記念建造物を持つ。もちろん近代の代表的建物も少なくない。しかし現在われわれが訪れるこの永遠の都の相貌を最もよく特徴づける時代は、バロックと言うべきであろう。(…)かつては多くの巡礼者たちが、そして現在では無数の観光客たちが散策する巡礼の道、その要所要所に配された広場と噴水の主要なものは、いずれもバロックのものである」(「バロックの光と闇」)

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ナヴォナ広場は古代は競技場、その後市場、祝祭会場へと用途が変化した。今も続く広場の祝祭的性格が、バロックを現代につなぐ。

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「四大河の噴水」

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広場中央にある「四大河の噴水」の四隅の人物像は、ナイル、ドナウ、ガンジス、ラプラタの世界4河川=4大陸を表し、17世紀、ベルニーニにこれを作らせたインノケンティウス10世(あのドーリア・パンフィーリ美術館のベラスケスの肖像画、ベルニーニの彫像の人)の教皇権が、世界中に広がっていることを示しているという。

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「4大河の噴水」の前バロックの建築家ボッロミーニ設計の教会がある

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 ラプラタ川を擬人化した像が大仰に手を挙げているのは、ベルニーニのライバルだったボッロミーニの教会が倒れてくるのを防ごうとしている、という逸話がある。教会の方が後にできたので、ローマっ子のジョークらしいf:id:LOUVRE:20181211134740j:plain

ネプチューンの噴水」もベルニーニ作

ロダンからマイヨール、ハンス・アルプジャコメッティと、19~20世紀の彫刻を知っている現代の人間にとっては、ベルニーニは、あまりに芝居がかっていると、サドに同調してしまうけれど、よくも悪くも、それがローマのバロック

旅行最後の夕食は、広場に面したレストラン「ベルニーニ」で、ボンゴレパスタ、リゾット、マルゲリータピザのイタリアン3点を食べた。なんともベルニーニ尽くしの1日でした。

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レストラン「ベルニーニ」(下も)

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夜も更け、ホテルに帰る道すがら、パンテオンに遭遇した。写真ではわかりにくいが、夜のパンテオンは、街なかに2世紀の古代ローマが黒々と沈み込んで存在している、と感じさせる代物だった。

 

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夜のトレビの泉にも行く。朝より人が多かった。

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ホテルそばのチョコレート店「ヴェンキ」で最後のジェラートを買い、部屋で食べる。

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 帰国の朝のパンテオン

翌朝、部屋のベランダに出ると、前のコルソ通りを無数の自転車がヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に向かって疾走していた。日曜の市内ど真ん中のレース。そういえばイタリアにはビアンキという有名な自転車メーカーがあり、この旅行でも、ビアンキのサイクリング用バッグを使っていたのだった。後で調べると、10月14日のこのレースはGranfondo Campagnolo Romaという指折りのアマチュアレースで、ローマ市内の名所を巡りながら、郊外へと向かう全長120kmのコース。ハーフの60kmコースも一緒に開催されているとか。イタリアは自転車競技王国で、レースは自転車文化の豊かさを示すもののようだが、石畳は走りにくくないですか?

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帰国の日。空港へ行く前、少し時間があったので、パンテオンを再訪、内部を見学する。ラファエロの墓と、19世紀、イタリア統一後の最初の国王、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓がある。

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天井中央のドームから光が降り注ぐ

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ラファエロの墓

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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓

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朝のナヴォナ広場にも足を延ばす。

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壁が落ちても直さないのがローマ流?

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帰り道、何気なく入った教会は、サンティニッツィオ・ディ・ロヨラ教会。17世紀末に描かれた天井絵は、アンドレア・ポッツォ作のバロックを代表するだまし絵と知ったのはあとからで、事前準備不足は最後まで。4大陸のカトリック教布教に努めたイエズス会を讃え、宣教師や天使を3Dのように、建設が中止されたドームを存在するかのように描いていて、大変有名な教会だったのです。ガイドブックには載ってなかった。ローマの奥は深い。

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天井のドームに見える黒い部分は平面の絵

フィウミチーノ空港へは、ホテルに呼んでもらったタクシーを使った。ローマでは最初で最後のタクシー。市内から空港まで一律48ユーロで、こればかりはぼったくりできまいと思ってのことだった。途中、舗装されていない脇道に入り込んだ時はドキリとし、それを察知したのか、運転手は「Don’t worry、don’t worry」。高速道路に乗る近道だったようだ。「観光客が多すぎないか」と運転手に問いかけた。返ってきた言葉からは、ツーリストが世界各地から集まるローマを世界の中心と思っていることがうかがえた。この都市への愛情、誇りが好ましかった。