イタリア旅行⑨夜のヴァチカン美術館
コロッセオ再び
フォロ・ロマーノからコロッセオへ。古代ローマ遺跡中、最も有名な円形闘技場。
パリのエッフェル塔はフランス革命から100年の年に開かれた万博で建設され、古いものと新しいものが同居する芸術の都を象徴する存在、ニューヨークの自由の女神はアメリカ建国100年にフランスから贈られ、自由と民主主義、移民の新天地の象徴(今昔、いろいろある国だけど)であり、ローマにとっては、1世紀に建設されたコロッセオは街中に古代がそのまま残る永遠の都のこれ以上ないシンボルということになる。 都市の歴史とキャラクターが一発でわかるランドマーク。日本の都市でそれに類したものがあるとすれば…。
チケットを買う長蛇の列ができている。
21年前の家族旅行では、コロッセオに魅せられ、ツアーでの見学に加え、フリータイムにも一家で再び見に来たほどだった。
その時の驚嘆と感激のようなことはなくて、懐かしさの方が勝っている感じだが、色あせることなく(できて2000年近い年月、と考えると21年など短くて変わりようもない…)、青空の下に威風堂々とたたずんでいた。
中に入り、二階に上がって一回りする。ガイドブックによると、周囲527m、高さ50m、収容人数5万人。ローマ時代を舞台にした映画にも登場し、奴隷と猛獣、あるいは剣闘士同士の戦いという見世物の舞台、つまりは、施政者が大衆を手なずける「パンとサーカス」の重要な装置ということだったようだ。フランスのアルルほか、ローマ帝国が支配した土地には多くの小型コロッセオが残る。かのブリューゲルの絵画「バベルの塔」にインスピレーションを与えたともされる。現代の様々な競技場の原型なので、甲子園球場などに行くとなんとなくコロッセオが思い起こされる。
ここからヴェネツィア広場に歩いて引き返し、バスでヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に向かう。ローマの初バスだが、Googleマップの経路検索機能がバス停の場所、何番バスに乗ればいいか教えてくれる。テルミニ駅のタクシー問題でタクシーは使わないと決めたが、バスは乗客で混み、渋滞で時間がかかるのが困りものだ。
大観光都市のくせにローマは地下鉄網が整備されていない、バスもダイヤが不安定と、東京はむろんパリ、ニューヨークと比較しても、公共交通がさっぱりだ。市民の公共交通機関の利用率は世界の都市に比べ相当低いらしく、車利用が多いので渋滞を招くという悪循環に陥っている。
ローマを歩くと、信号が少ないことに気づく。歩行者は連なって来る車の間をすり抜けるように横断する、という羽目になる。地下を掘れば、古代ローマの遺跡がごろごろ出てきそうだから、地下鉄を街中に張り巡らすことは困難、というのはわかるけれど、それなら渋滞緩和策を考えて、バス利用をもう少し快適にし、ぼったくりタクシーも撲滅することを考えてはどうでしょうか。
教皇の美術館
ヴァチカン市国に着く。参道のような広い石畳の道の向こうにカトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂が見えてくる。
17世紀にベルニーニの設計で完成したサン・ピエトロ広場は、大聖堂から延びた柱廊が、教皇の元に集まった信者を両腕で包み込むように囲んでいる。上には140体の聖人像。信者ならずともスケールに圧倒される。
法王の説教を聞く信者のため、広場に置かれた椅子
セキュリティチェックの列に並んで、大聖堂へ入場する。
世界最大の大聖堂だけあって、広くて奥行きがあり、天井も高い。そして豪奢?豪華な祭壇、装飾、彫刻、絵画。
ベルニーニ設計のバルダッキーノ(天蓋)。ねじれた黒い柱が目を引く
歴代ローマ皇帝に迫害されてきたキリスト教は、コンスタンチヌス帝によって313年に公認され、320年代、殉教した12使徒の一人・聖ペテロの墓所に教会堂が建てられたのがヴァチカンの始まりとされる。その後、16世紀のルネッサンス期にラファエロやミケランジェロの設計によって改築され、17世紀のバロック期に完成した。
中にある礼拝堂のひとつには、ミケランジェロ25才の作とされる「ピエタ」、死せるキリストを抱いた聖母マリア像がある。ヴァチカン美術館に本物があるラファエロの「キリストの変容」のレプリカもある。聖ペテロの墓所の位置にあるとされるバルダッキーノ(天蓋)は、バロックを代表する彫刻家ベルニーニの作だ。
ラファエロの「キリストの変容」のレプリカ
このあと、午後7時からのヴァチカン美術館のナイトツアーに行かなければならないので、ここの見学はほどほどに、夕暮れの大聖堂を後にする。
ヴァチカン美術館のナイトツアー入場を待つ人たち
美術館には、てくてく歩いて10分ほどかかる。入口に列ができ、夜の帳が下りる。7時ジャストの開場。夜の見学では、残念ながらラファエロの「キリストの変容」、レオナルド、カラヴァッジョなどがあるピナコテーカ(絵画館)は入れない。
目的はラフアエロの「アテネの学堂」とシスティーナ礼拝堂のミケランジェロなので、少々急ぎ足でタピストリーの間、地図の間を通り過ぎる。ほとんど人影がない。静まりかえったナイトミュージアム。
地図の間
不気味な仮面のような異教風の像だが、 これも聖母マリア
「署名の間」のラファエロにたどり着く。「署名の間」は16世紀初めのローマ教皇・ユリウス2世の書斎兼図書室だった部屋で、部屋を飾る「アテネの学堂」には古代ギリシャの哲学者や科学者たちが集い、議論する様子が描かれている。
署名の間の「アテネの学堂」
アリストテレスとプラトン(レオナルド・ダ・ヴィンチがモデル)を中心に、ヘラクレイトス(ミケランジェロがモデル)、ピュタゴラス、エウクレイディス、プトレマイオス、ゾロアスター、ソクラテス、ディオゲネス…。ミケランジェロについては、ラファエロがこの絵の完成後、システィーナ礼拝堂を制作中のミケランジェロを見て、後から描き加えた説に加え、実はミケランジェロがラフアエロの死後、自分で描いたという説もあるそうだ。右端にラフェエロ自身の横顔が描かれているのが、お茶目。
左のプラトンの顔はレオナルド、人指し指を天に向けた仕草もレオナルドの絵画によく出てくる
ヘラクレイトスのミケランジェロは、当時の流行・メランコリアのポーズとされる。ロダンの「考える人」に似たポーズ
この部屋には「アテネの学堂」を含め、ラファエロと一派によるフレスコ画が多数ある。
「ボルゴの火災」。教皇が十字だけで大火を鎮めた奇蹟を描いているらしい
この先で出くわしたのが、コンテンポラリー・アート、現代美術のギャラリーだった。前回のブログでも触れたフランシス・ベーコンのベラスケス作品に基づく奇妙な教皇画のほか、ゴッホ、ゴーギャン、ルドン、マティス、ロダン、ダリ、シャガール、ルオー、ムンクなどのキリスト教にちなんだ作品が次々に現れて、正直、コレクションの幅広さに驚く。反キリスト教、異教的と思える作品もあるのは、度量の大きさか。キリコとモランディはキリスト教と関係なさそうな作品だったが、これはイタリアが誇る20世紀画家としてヴァチカンも持っておきたかったと解釈しておこう。
ヴァチカンの美術収集の目的はただ一つ、伝道だ。読み書きができない人々のために、キリストや聖母の像があり、聖書をひもといた宗教画、教会のステンドグラスがあったので、カトリックと美術は切っても切れない関係にあることは理解できる。
ファン・ゴッホの「ピエタ」。自殺する数か月前の作品とされる。ゴッホ自身はほとんど宗教がらみの絵は描かなかったが…。ピンぼけのた写真のため、ヴァチカン美術館のHPから鮮明な下の画像を借用
ポール・ゴーギャンの木彫りのキリスト。タヒチに渡った直後の作品らしい
アンリ・マティスが晩年、フランス・ニースのヴァンス村のロザリオ礼拝堂に制作したステンドグラスのデザイン画
77歳から81歳にかけて礼拝堂制作にかかわったマティスは、棒の先に筆をつけ、座ったままで描いたという
これもマティス。いろんな聖母子像があるけれど、究極シンプルの美しさ。巨匠も子供に還る
オーギュスト・ロダンのご存じ「考える人」。哲学的瞑想にふける人のように見えるが、元はダンテの「神曲」に想を得て制作した「地獄の門」の一部なので、キリスト教と深いつながりがあるのですね
ダリ
ダリの「受胎告知」
マルク・シャガール
ジョルジョ・モランディの静物画
モランディ
フェルナンド・ボテロ。太った教皇がユーモラス
時間の都合もあって、エジプトの美術、ミイラからギリシャ、ローマの彫像、ルネッサンスを中心としたキリスト教絵画という膨大なコレクションの多くをスルーしたが、このコンテンポラリーのギャラリーを見られただけでもよかった。ほかに人がいないので、妻と二人占め状態というのも不思議な体験だった。
ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂へ。一緒に入場した人たちはどこへ行ったのか、と思っていたら、みんなここにいたのですね、という感じで、大勢が集い、天井の「天地創造」、祭壇の「最後の審判」をじっくりと鑑賞している。
礼拝堂を埋め尽くす壮大な物語群の迫力は相当なものだし、描きにくい場所によくもこれだけ、と思うけれど、「天地創造」にせよ「最後の審判」にせよ、キリスト教徒でないと、感情移入しにくい世界ではある。しかも、天井が高くて、細部まで見るのは無理。図録やテレビの高画質番組で改めて体験させてもらおう。
写真撮影禁止なので、以下はヴァチカン美術館HPから。
「最後の審判」(部分)
「天地創造」の「アダムの創造」は、神が指先からアダムに生命を吹き込むシーンを描き、映画「E.T.」などでも変奏された誰もが知るイメージ。
壁の絵画はボッティチェリも参加していて、ボッティチェリ風の顔があちこちにあるので、ウフィツィ美術館を経由してくると、懐かしささえ覚える。
有名な螺旋状の階段を下りて、美術館を後にした。
ホテルへ帰るバスを停留所でGoogle経路検索して待っていたが、予定時刻になってもバスが来ない。そのうち、Googleに運行休止の表示が出て、「これは困った、ローマの窮日」と思っていたら、20分ほど遅れてバスが来た。乗ったはいいが、経路が違う。運行休止というのは、ルートの途中で事故か何かがあって通行止めになり、迂回しているためと気づいた。停留所ごとにGoogleマップを確認していると、後ろの席の女性が「どこに行くの」「では次の次で降りなさい」と親切に教えてくれた。昼間通ったヴェネツィア広場に出て、ホテル最寄りの停留所に無事到着した。やれやれ。少々忙しいローマの1日が終わった。