パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

イタリア旅行⑦フラ・アンジェリコの「受胎告知」

 

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 ウフィツィ美術館前の人波はシニョリーア広場に続いている。

ロッジア・ディ・ランツィと名付けられた回廊は、アーチと柱に囲まれた彫像展示場になっている。本物とレプリカと混じっているので、少々ややこしいが、彫像の場合、レプリカでも気にならない。ロダンの「考える人」などは、各地にたくさんあっても本物、偽物を気にする人もない。

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チェッリーニのペルセウス像(本物)

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昼食用に食材店「イータリー」でパニーニを買い、ホテルに戻る。ドゥオーモを目の前にしたB&Bラ・テラッツィア・スル・ドゥオーモは、5階建て石造りの建物の2階を改装してできたホテル。PRADAとJIMMY CHOOの店に挟まれた木の扉から入る。

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ホテルの建物

普通のホテルと違うのは、看板もロビーもなく、ヨーロッパの都市のアパートメントのような建物入口からカードキーを使って入る点。チェックインカウンターはあるけれど常駐ではなく、比較的低料金でもある。立地で選んだが、部屋は十分な広さで清潔、学生のような若いスタッフは気持ちのいい応対、手動で開け閉めする古風なエレベーターも気に入った。

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骨董品のようなエレベーター

屋上テラスからの眺めがすばらしい。椅子とテーブルが置いてあって、ここで昼食。滞在中、朝も夜もテラスに出て、ドゥオーモや赤屋根の街並みを楽しんだ。この日、朝食会場で会った浦和の母娘お二人は、娘さんの友人がシエナのワイナリーで結婚式を挙げる機会にヴェネツィアフィレンツェ旅となったそうで、このホテルを選んだのはやはり、立地と屋上からの景観だったとか。

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テラスから見るサン・ジョヴァンニ洗礼堂(左手前)、ドゥオーモ、ジョットの鐘塔

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コンパクトシティ

サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会=ドゥオーモを列が取り巻いている。1296年に着工し、ブルネレスキ設計の赤いクーポラ(ドーム)を載せて完成したのは、140年後だった。白と緑とピンクの大理石による幾何学模様的な外壁がエレガントにして圧倒的、というか、広場が狭く、近くで見上げるしかないので余計大きく見える。

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人の多いところでは、テロ警戒

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同じような色彩のジョットの鐘楼とサン・ジョヴァンニ洗礼堂が隣設されている。八角形のロマネスク様式の洗礼堂は三つの中で最も古い建設で、トム・ハンクス主演の映画「インフェルノ」にも登場した。東の扉は旧約聖書、北扉は新約聖書の物語が青銅に金箔で施された。ともにロレンツォ・ギベルティ作で、東扉はミケランジェロが「天国の門」と呼んで絶賛したとの話がある。本物はともにドゥオーモ付属博物館にあり、洗礼堂にあるのはレプリカとか。ギベルティは、ドームを設計したブルネレスキとはいろいろ確執があったようだ。

富と権力が集まったフィレンツェでは、メディチ家を中心に政治家、宗教家、芸術家入り乱れて陰謀と争いが繰り広げられていたわけで、本のタイトルではないけれど、ルネッサンスには光と影がある。

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 ジョットの鐘塔

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八角のサン・ジョヴァンニ洗礼堂

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新約聖書が描かれた洗礼堂の北扉

 

 ぶらり街歩きへ。

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レプブリカ広場には、カフェにメリーゴーラウンドに絵描きさん

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建物の角にある奇妙なオブジェ。紋章だろうか

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映画館「オデオン」。パリにオデオン座という劇場があったけれど

ブランド街のトルナブォーニ通りを進んでアルノ川のサンタ・トリニタ橋へ向かう。

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サルヴァトーレ・フェラガモ本店。地下に博物館があるらしいが素通り。手前の円柱は「正義の柱」。コジモ1世が反メディチ家勢力を破ったモンテムルノの戦い(1537)を記念したものとされ、てっぺんの彫像は剣と天秤を持った女神テミス像

f:id:LOUVRE:20181121113752j:plainウフィツィ美術館とは反対側から見るポンテ・ヴェッキオ

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サンタ・トリニタ橋にある彫像

サンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅、その前にあるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へ。ここにも広場があってサイクリング観光らしい一団がいた。教会の写真を撮っていると、「麻薬撲滅の署名を」と若い女性が寄ってきた。署名すると寄付を求められるから要注意、とネットに書かれていたのを思い出し、「ノー、ノー」と拒否。

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さらに歩いて行くとメディチ家礼拝堂とそれに続くサン・ロレンツォ教会に出くわした。近くにバッグ、財布、ベルトなど革製品を売る露店が並ぶバザール風の一角がある。教会前の広場の周りにも安価な土産物の店が多数あり、メディチ家の歴代君主が眠る霊廟の場所にしてはあまりに世俗的な環境という印象だ。銀行で財をなし、芸術、文芸の振興に貢献し、つまりはフィレンツェルネッサンスも、このメディチ家抜きには語れないのだけれど…。

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メディ家礼拝堂

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革製品の店がぎっしり

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サン・ロレンツォ教会のファサードは未完のままだったらしい

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メディ家の紋章。金色の地に赤い玉5つと百合で装飾された青い玉1つ。赤い玉は、メディチ家が昔、医業または薬屋だったので丸薬を表すとの説があるが、確たるところはわからない

「屋根のない美術館」と形容される世界遺産フィレンツェ歴史地区は、主な観光スポットがほぼ2キロ四方内にあり、歩いて回れるのが魅力だ。アカデミア美術館、アルノ川向こうのピッティ宮殿、パラティーナ美術館はパスしてしまったけれど。

そんなコンパクトシティルネッサンスの天才たちがひしめいていたのだから、なんと濃密な空間だったのか。広場も歩行者天国の通りも、観光客で朝から夜までにぎわい、ヴェネツィア、パリ同様の「毎日が祝祭日」だが、歴史的建造物の距離が近接し、独特の景観、雰囲気を醸している。おどろおどろしさも含めて、あの時代が今も続いているような街。映画「ハンニバル」でレクター博士が潜伏したのも納得の場所です。

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日も暮れて、夕食は予約していた熟成肉の店に。フィレンツェ名物ビステッカ(ステーキ)も考えたが、量が多そうなので、タリアータにして、グリーンサラダとトマトソースパスタ、飲み物はプロセッコ、キャンティルフィーノをグラスで計62ユーロ。レプブリック広場のカフェ「ジッリ」へ行き、エスプレッソ、カプチーノ、ティラミスで、2日目の夜を締めくくる。

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 歴史的街にも現代的な広告

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ホテルに帰ってきた

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 ホテルテラスからの夜景

 

サン・マルコ修道院

 翌朝、ホテルから歩いて10分ほどのサン・マルコ修道院へ行く。目当ては、フラ・アンジェリコ(1390/1395―1455)の「受胎告知」。

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朝のサン・マルコ修道院

中庭に面した回廊から2階の僧房への階段を上がった正面に、その絵はあった。柔らかいパステル画のような色彩、両腕を重ねて静かに向き合う聖母マリアと大天使ガブリエル、大天使の虹のような翼。花畑と、遠近法を取り入れたアーチと柱だけのシンプルな空間。

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新設されたドミニコ会修道院に修道士として滞在した9年の間に、この「受胎告知」のほか祭壇画、そして僧房の各部屋にイエス・キリストの生涯を描き、全体がフラ・アンジェリコ美術館になっている。一室ずつ覗いた部屋は、一人が祈って寝るのがやっとの広さだった。

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部屋に描かれた「受胎告知」

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この修道院は15世紀末、かのジロラモ・サヴォナローラ(ジロラモとかカルボナーラとか、イタリアンな名前)が院長をした。激烈な説教でフィレンツェの腐敗、メディチ家の独裁を批判し、芸術品や贅沢品の「虚栄の焼却」をして、政治にも首を突っ込み、ボッティチェッリにも影響を与え、最後は火刑に処せられたサヴォナローラについては、前回のウフィツィ美術館でも少し触れましたが、この素朴な修道院からそんな過激な人物が出てくるとは想像しがたい。逆に、繁栄の奢侈におぼれた世界とは対極にあった清貧の世界だからこそ、そういう人物が生まれたのか。ドストエフスキー的世界。

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ホテルに戻り、タクシーでサンタ・マリア・ノヴェッラ中央駅へ。午前10時30分発のイタロで最後の都市ローマに向かう。予約した1等コンフォートは出発まで駅のラウンジが使える。車両も、スーツケースを置けないほど窮屈だったヴェネツィアからの2等車に比べ、座席周りのスペースがゆったりで、快適な1時間30分の旅だった。

気分よく着いたローマ・テルミニ駅だったが、思わぬことに遭遇する。