イタリア旅行⑥ウフィツィ美術館
旅行4日目の10月11日。フィレンツェは2連泊なので、どたばたとチェックアウトして荷物を預ける、ということなしに観光できるのがいい。
21年ぶりのウフィツィ美術館。ネットで午前9時半入場の予約をした。ホテルから歩いて5分、予約のプリントをチケットと引き換え、セキュリティチェックには少し並んだが、予約時間前に入場できた。
ウフィツィは、メディチ家の古代ローマ彫刻のコレクションが母体となっている
彫像の並ぶ回廊を通り、小部屋に入って行く。以前の訪問の記憶が少しずつ蘇ってくる。
「聖母子と二天使」
ビザンチン風のモザイク画を過ぎて、チケットにも使われているフィリッポ・リッピ(1406-1504)の「聖母子と二天使」へ。この絵の人気の秘密は、聖母のモデルがリッポの愛人で男女の子供を産んだ修道女だったから、というスキャンダルのゆえらしい。子供と天使の表情もなんともいえませんね。
「春(プリマヴェーラ)」
ボッティチェッリ(1445―1510)の部屋に行く。「春(プリマヴェーラ)」と「ヴィーナスの誕生」がとりわけ人気、というか、せわしないツアーであっても、「必見画」なので、いろんな国のグループが入れ替わり立ち代わりやってきて、ガイドの説明を聞いている。
「ヴィーナスの誕生」
日本ではTVCMにも使われ、なじみのあるこの2点は、21年前に初めて見た時、「きれいすぎる乙女チックかつキッチュな絵」という先入観が消えて、素直に美しいと思った。その後、古代神話をもとにした様々な寓意が込められていることを知った。
「春(プリマヴェーラ)」部分
「春」については、高階秀爾さんの「ルネッサンスの光と闇」に、貞節・愛・美の三美神からキューピッド、西風とフローラ、ヴィーナスまで、登場者それぞれの意味合い、新プラトン主義の影響などについて解説がなされている。図録には、実在の200種の植物が描かれているとある。色彩も線も動きも軽やかで、知識なしでも目を楽しませるけれど、もろもろ知れば一層面白い絵画の典型でもある。図録いわく「ロレンツォ豪華王時代のフィレンツェの黄金期の理想を見事に表現した最高傑作のひとつ」。
また「ルネッサンスの光と闇」では、「ヴィーナスの誕生」の構図が当時よく描かれた「キリストの洗礼」の構図と同じであり、神話と聖書の物語の両義性を持っていた、と指摘している。
「ヴィーナスの誕生」部分
「ヴィーナスの誕生」は、中野京子さんが「怖い絵3」で取り上げ、なぜこの絵が怖いのか、ヴィーナスの出自、神話の世界をひもときながら解説していて面白い。「怖い絵」シリーズは、見た目怖い絵もあるけれど、秘められた怖さの謎解きとともに絵の歴史的背景が書き込まれ、勉強になるので人気なのだろう。このブログのイタリア旅行④で触れたティントレットの「受胎告知」も最初の「怖い絵」で取り上げられ、中野さんの表現をブログで無意識になぞっていたほどだから、意表を突いて頭に残りやすい文章、ということかもしれない。
ボッティチェッリの「カルンニア(誹謗)」
ボッティチェッリはほかにも多数あり、ウフィツィの一番のお宝のようだ。メディチ家をパトロンにして、異教の要素も取り込んだ人気画家だったが、15世紀末に現れたドミニコ会修道僧サヴォナローラの影響を受けて作風が変わったとされる。サヴォナローラは終末思想に乗じてメディチ家を糾弾、キリスト教信仰の基本に立ち返れと裸体画などの「頽廃芸術」を焼却、政治の実権を握ったが、バチカン批判までして、最後は「偽預言者」として、シニョリーア広場で火刑に処せられた。ボッティチェッリはさぞかし戸惑ったと思われるが、かの名作2品のような作品には立ち戻れなかったようです。
美術館回廊から望むアルノ川とポンテ・ヴェッキオ
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452―1519)の部屋では、「受胎告知」に目を吸い寄せられる。繊細極まる筆遣いと深みのある色彩。大自然を遠景に、ピンと張りつめた空気の中で対面する聖母マリアと大天使ガブルエル。1472年、レオナルド20歳のころのデビュー作ともされる。
21年前のウフィツィ訪問で、最も強く印象に残ったのが、この絵だった。受胎告知という、キリスト教絵画で人気の高いテーマの絵をあまり見たことがなかった、ということもあったかも知れない。2000年に修復作業が行われたので、前回は修復前ということになるが、同じツアーでそのあとにお目にかかったルーヴル美術館の「モナリザ」より、「受胎告知」のインパクトの方が強かった。今から思えば、画面の類まれな緊張感に打たれた、としか言いようがない。
「受胎告知」
2007年に東京国立博物館にこの絵がやってきた際、「芸術新潮」(6月号)で特集が組まれ、詳細な解説が掲載されている。忘れていたが、本棚から見つけ、今回、読み直した。
「受胎告知」聖母マリアの部分
「受胎告知」大天使ガブリエルの部分
レオナルドの絵を見ていると、ルネッサンスの意味がおぼろげながらわかる気がする。絵画が、それまでと劇的に変わる。人間の表情、しぐさが肉付けされ、血が通い、よりリアルなものへと変わる。
「暗黒の中世」(異論を唱える人もいる)を過ぎて、15、16世紀に次々と現れた天才たちが、新たな人間観、自然観をもとに腕を競った結果だろうが、フレスコ、テンペラから油彩への技法の変化も背景にはあるようだ。聖書や神話をテーマにした絵画という制約から逃れて、本当にリアルな人間を描く絵画が登場するには、まだ時間が必要だったけれど。
レオナルドの「東方三博士の礼拝」。未完成のまま途中放棄
ヴェロッキオ「キリストの洗礼」。左端の天使を弟子だったレオナルドが描き、その技巧に衝撃を受けたヴェロッキオが以降、自ら筆を取るのをやめた、という逸話が残る
レオナルドの生誕から500年後の1952年は私の生まれた年。だから何?と言われれば、それまでですが。
ニオベの間の古代ローマ彫像
同上
レオナルドと並ぶルネッサンス3大巨匠、ラファエロ、ミケランジェロの作品もある。
ラファエロ「ヒワ鳥の聖母」
テラスからは隣のヴェッキオ宮が見える
デューラーの弟子、クラナッハ(1472-1553)の「アダムとイヴ」
こんな絵があると少しほっとする
スペイン画家のコーナーには、ベラスケスの「セビーリャの水売り」、エル・グレコにスパルバン。
ベラスケス「セビーリャの水売り」。グラスの水が超絶技巧といわれる作品だが、同じ題で3点描いたらしく、イギリスのアプスリー・ハウス(ウェリントン美術館)のものが最も知られている
エル・グレコ(推定)の「聖ペテロの涙」
ヴェネチア派では、ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」の影響を受け、マネの「オランピア」に影響を与えたとされるティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」。ここにあるティントレットもアングルが映画的だ。
ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」は寓意だらけの絵らしい
ティツィアーノ「フローラ」。以後、繰り返し描き継がれた娼婦像
画家でルネッサンスの「美術家列伝」も書いたヴァザーリの「ロレンツォ豪華王の肖像」。メディ家の盟主にして画家たちのパトロン。陰鬱な表情だが、ヴァザーリとは時代が違うので、後世に勝手に描いたようだ
パルミジャーノ(1504―1540)の「長い首の聖母」は、古典的な均整を壊して首の異様に長い聖母がマニエリスムとされ、記憶に残る一枚。
「長い首の聖母」
ヘリット・ヴァン・ホントルスト「幼子の礼拝」。カラヴァッジョの影響を受け、ろうそくと松明に照らされた夜景を得意としたらしい
レオナルドの真の後継者、という人もいる人気のカラヴァッジョ(1571―1610)は「若きバッカス」と「メドゥーサ」。
「若きバッカス」の前にはいつも多数の鑑賞者
「メドゥーサ」
バロック画家の先駆けに位置づけられ、聖書の世界を描いても、光と影のコントラストの中にリアルを追求した作品は、ローマの教会はじめ各地にあるが、ウフィツィーの2点もひと目見たら忘れがたい。
まあ、後者は「ただ気持ち悪い絵」と片付けられそうではあるが。この部屋には周辺画家のまさに「怖い絵」が集められ、ホラー絵画館。
アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスを斬首するユディット」
ここには、芸術家たちのさまざまな自画像、肖像画も収蔵されている。その中から2点を。
レンブラント「若き頃の自画像」
レンブラント「老人の肖像」
ルネッサンスは奥が深くて面白い、とウフィツィーの絵画を見て思う。
それにしても、写真撮影OKというのはいい。21年前もすでにOKだった。ヨーロッパの美術館で27年前初めて訪れたオランダ・アムステルダム国立美術館は、作品の質量に驚かされたのはともかく、写真撮影フリーだったことに感激した。ルーヴルはOK、オルセーはOK―NG―OKと変遷したが、パリは大概OKに。メトロポリタン、MOMAなどニューヨークもOKが主流。プラドはNGだった。スマホの普及で禁止しても無意味と思うようになったのか、撮影OKが広がる傾向にあり、これはイタリアも同様のようだった。
日本でも国立西洋美術館が常設展の撮影がOKだと最近知った。横尾忠則現代美術館(神戸市)も1点撮りしなければOKと、撮影できるところが増えつつある感じ。カメラは他の鑑賞者に迷惑な面もあるし、記憶に刷り込むほどじっくり鑑賞せずにカメラに収めることが目的化(風景でも同じことがいえる)してしまうことはあるけれど、ネットでシェアして、鑑賞を誘導するメリットはあるのだと思う。よそから作品を借りてきた特別展は無理と思いますが、せめて所蔵品だけでも可にすることを考えてもいい時期ではないでしょうか。
ウフィツィ、見尽くしたわけではないけれど、集中力の続く2時間半をめどに退場した。外は朝入った時以上に、人であふれていた。