パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

スペインの春⑨サグラダ・ファミリア昼間編及びサン・ジョルディの日にて幕

 スペイン旅行の観光最終日。

 太陽の下で細部までくっきり見えるサグラダ・ファミリアは、夜とはまた違うスケール感を持って迫ってくる。

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観光客の列が巡礼の列にも見える。

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1882年に着工し、翌年、アントニオ・ガウディ(1852~1926)が31歳で二代目の主任建築家に就任した。ガウディは「生誕」「受難」「栄光」の三つのファサードと18本の塔、後陣、聖堂で構成された建造物を構想し、1926年、73歳で路面電車にはねられて亡くなるまでの40年あまりを教会の建設に捧げた。

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4つの尖塔にはさまれるように「生命の木」がある。永遠の命の象徴ともされる糸杉と白いハトのオブジェ。動植物はガウディ建築の至る所に登場する。

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未完成部分をオレンジ色で表した模型。18本の塔はイエス聖母マリア、12使徒、4福音書家を表し、うち10本が未完成。中央部の最も高いイエスの塔が完成すれば170mの高さになる。設計図はスペイン内戦時に失われ、模型のみが残るとされる。

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教会入口の「生誕のファサード」は、イエス・キリストの誕生から青年期までを彫刻で表現する。ガウディが生きていたときから、50年がかりで造られたとか。

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 受胎告知

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エス誕生

日本の彫刻家外尾悦郎さんは、1978年、25歳の時にバルセロナに来て以来、サグラダ・ファミリアの彫刻にかかわっている。2005年に世界遺産になった「生誕のファサード」にある「音楽を奏でる天使」「歌う天使」計15体の彫刻は、スペイン内戦時に破壊されたが、ガウディが町の人々をモデルにして撮影した彫刻の元になる写真が残っていて、外尾さんと職人たちが再現した。

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ハープを奏でる天使

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ファゴットヴィオラ、チターを奏でる天使

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歌う天使

反対側の「受難のファサード」には、最後の晩餐からイエスの埋葬までのストーリーが彫刻で表現されている。「生誕」がアール・ヌーボーぽい草木のような背景に溶け込んだ丸みのあるリアルな彫刻なのに対し、「受難」は直線と平面、角度が際立ち、シンプルで現代的な形が特徴だ。遠目にも悲しみの表情がわかりやすい。

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鞭で打たれるイエス。痛々しい感じがでています

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エスを知っていることを否認したペテロのなんとも言えない表情

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捕えられ、荊の冠をつけたイエス(左から2人目)

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磔刑のイエス

教会内部に足を踏み入れると、想像を超える異空間、石の柱と彫刻、色彩まばゆいステンドグラスの宇宙が 広がっていた。

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ガウディは樹木の形状、構造を模倣した柱で教会を支え、柱は放射状に枝分かれして、森をイメージした現代美術の中にいるような気になる。天井からも光が降り注ぎ、ほかの教会に比べ、とにかく明るい。

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柱が集まる丸天井は、軟らかな有機体を想起させる

彫刻家の外尾さんは、「石の聖書」のサグラダ・ファミリアを構想したガウディについて、「天才性の一端は、機能とデザイン(構造)と象徴を常に一つの問題として同時に解決していること」(「ガウディの伝言」)と書いている。

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祭壇の天蓋と磔刑のキリストもアート風

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「受難のファサード」のステンドグラス

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小尖塔のてっぺんには麦穂やぶどうのオブジェとともに、聖杯が置かれている

パリにエッフェル塔ができたのは、フランス革命から100年の1889年。ニューヨークにエンパイアステートビルが建設されたのは1931年。今やバルセロナのシンボルのサグラダ・ファミリアは1882年から130年以上たってもまだできない。中世には200年、300年かけて建てた教会はざらだったのだろうが、20世紀のこととも思えない仕業ではある。工法、意匠がそれだけ手が込み、建設資金も寄付頼みで出発しているという理由もあるけれど、完成しないことが、ガウディの天才とともに神話化され、観光客を呼び寄せることになっているとも思える。IT技術、機械の発達や入場料収入の爆発的増加で、建設ピッチは上がり、ガウディ没後100年の2026年に完成する予定とか。

バスに乗り込み、ガウディ作のカサ・ミラカサ・バトリョを車窓から見学した。

この日は4月23日、「サン・ジョルディの日」で、カサ・バトリョにもバラの花が飾られていた。

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バスを降りて、旧市街・ボルン地区にある世界遺産カタルーニャ音楽堂に向かう。

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左に見える黒い塊は人の頭の路上アート。作者名は?

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カタルーニャ音楽堂。ガウディとともにバルセロナモデルニスモ建築(アール・ヌーボー)を代表する リュイス・ドメネク・イ・モンタネール(1850~1923)の作。1905~1908年に、カタルーニャルネッサンスの指導的役割を担った地元合唱団のために建設され、今もコンサートホールとして年間50万人が利用しているとか。

バルコニーに掲げられたのはカタルーニャ州の旗。この旗は至る所で見かけた。これに青に白の☆を付けると、カタルーニャの独立支持を表明する過激な旗になるが、ちかごろ独立運動が活発と聞いていたものの、残念ながら☆付にはお目にかからなかった。

たまたまツアー直前のTBSの「世界遺産」は、モンタネールの作品としてセットで世界遺産に指定されている音楽堂とサン・パウ病院の回だった。もとのカタルーニャ王国の首都だったバルセロナはスペイン内戦時、フランコ軍に対抗する人民戦線の最後の拠点となって、最後は負けてしまうのだが、独裁政権から音楽堂を守り抜いたとのことで、その自主独立の気性は今も続いているらしい。

謎多きガウディもカタルーニャ独立運動のシンパだったとされる。

バルセロナでは、デパートのフロア案内でもなんでも、スペイン語カタルーニャ語(国境が近いのでフランス語に近いらしい)が併記されているところも面白い。

音楽堂のホールやシャンデリアは、テレビ映像で見ても、茫然とするような美しさだったが、入場料一人18€必要!ということで、見学は遠慮させてもらった。f:id:LOUVRE:20180609181357j:plain

旧市街の狭い路地。

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昼食は海辺のレストラン「マリーナ・ベイ」で。クリントン米大統領のスナップ写真も店内にあった。

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イカスミとエビのパエリア。男前のウェイター

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バルセロナ凱旋門

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花束と本を持つ男性。花束を手に道行く女性たち。路上には本のスタンド。

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サン・ジョルディの日」は、ドラゴン退治の伝説を持つカタルーニャ守護聖人サン・ジョルディ(ゲオルギオス)が殉教した4月23日で、祝日となっている。ドラゴンの血がバラになった伝承から、男女が赤いバラを贈りあう風習が中世からあったらしい。1923年、「バラの日」は「本の日」ともなった。4月23日は「ドン・キホーテ」のセルバンテスシェイクスピアの命日だったことから、バルセロナの本屋さんたちが、本を贈る日にした。

スペイン内戦に勝利したフランコ独裁政権は、カタルーニャ語を禁止したが、バルセロナの人々は本をひそかに贈りあうことでカタルーニャ語と民族の文化を守り、団結を図った、という話もある。

男性は女性に赤いバラを、女性は男性に本を贈るとされるが、互いに本を贈ってもOK、家族同士でもOK。言語と本と民族のアイデンティティ、文化は一体、ということが歴史的に根付いているから、こんな盛大なイベントになるのでしょうか。

バラと本を手にした男女による、欧州名物路上キスもあちこちで。

ユネスコはこの日を「世界本の日」に、日本も「子ども読書の日」にしているらしい。日本ではバブル景気のころ、バルセロナにならって「サン・ジョルディの日」としてバラと本のイベントを仕掛けたが、定着しなかったという話をツアー仲間のWさんから聞いた。 

帰国後、その日前後の読売新聞、朝日新聞をめくったが、「本」「読書」の記事、広告は見当たらず。週刊誌と通信販売の広告が目立つばかりだった。

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 カタルーニャ広場前のデパート、エル・コルテ・イングレス前には、本のスタンドやらバラのスタンドやらが並び、行き交う人でごった返す。100m歩くのに5分以上かかる。

広場から南のメーンストリート・ランブラス通りでは2017年8月17日夕、車が歩道をジグザグ走行して13人が死亡、100人以上が負傷するテロがあり、イスラム国が犯行声明を出している。

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著者のサイン会もあるらしい。あちこちで行列ができていた

f:id:LOUVRE:20180613153817j:plain児童書、仏教本などスタンドごとにカテゴリーが分かれているようだった

 

最後の晩餐はWさん夫妻とSさん夫妻との6人で、スペイン名物ピンチョスの店へ。

人波をかき分けて「テキサペラ」という店に入る。観光客向けでもあるのだろう、テーブルのペーパーが写真入りのメニューになっていて、30種類あるピンチョスから選んで丸印をつければ、注文は事足りるようになっている。それでも、スペイン語を使いたいものだから、ウェイターにピンチョスの数をウーノとかドスとか言って喜んでいる。

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カニとエビのタルタルやイベリコ豚のコロッケ、フォアグラやスモークサーモン、アスパラの豚肉巻とかをフランスパンに乗せたもの。一皿2~2.7€で味はまあまあ。写真ではそうおいしそうにみえないけど。しかし、安い。それなりに飲んで食べて、一人1500円ほど。

旅トモになったWさんは乗馬をたしなみ、音楽にも造詣深く、趣味豊富にして座談の名手。Sさんは図書館活用術に長けた超読書家で、仕事も旅もマイペースにして、独自の視点からの話になんとも味わいが。よきご夫婦でもある。

ということで、いろんな人と知り合えたツアーでもありました。

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翌朝、バルセロナから乗り継ぎのフランクフルトに向かう機内から、真っ白いアルプス(だそうです)が見えた。

バルセロナではガウディのグエル公園にも行かず、カサ・バトリョの中にも入らず、モンタネールのもう一つの世界遺産サン・パウ病院にも行かず(ツアーメンバーにはそれらを精力的に回った人たちもいた)、さらに、友人から must go といわれていた市場も人出に気圧されて行けずじまいと、行ってないとこだらけになった。パリでも、ニューヨークでも、都市は細部の探検こそ面白いところもあるけれど、今回はお預け。

カタルーニャを語る-にゃ、バルセロナ2泊では無理無謀なので、いつか、ゆっくり再訪することにします。