スペインの春①プラド美術館の一時間 上
スペインといえば、今もまだドン・キホーテの国!
4月19日、ホテルからバスで朝一番に連れて行ってもらったのが、スペイン広場。
ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像があり、二人を作者セルバンテスの像が見下ろしている。
前日深夜、マドリードのホテルに到着した。大阪空港-羽田空港-フランクフルト-マドリードという乗継2回の行程で、家を出発してからホテルまで24時間余りかかったことになる。やれやれ。
6泊8日の初スペインは駆け足旅行。睡眠2、3時間、時差ボケが…なんてことを言っている余裕はない。
かつてスペインの代名詞のようだったドン・キホーテはまた登場するので、ここでは記念撮影のみ。しかし、正面から撮ると、背景になにやら広告のようなものがしっかり写るようになっていて、マドリードの商魂を見たような。「驚安の殿堂」がキャッチコピーのチェーン店の広告ではなかったようだが。
H.I.Sの「世界遺産都市に泊まるスペインハイライト8日間」という6泊8日のツアー。参加者23人が女性添乗員Kさんに連れられ、行く先々で現地ガイドを加えながら主に大型バスで移動する。久々の団体ツアーは、個人旅行にはない面白さがいろいろあった。
プラド美術館へ行く。
ルーヴル、エルミタージュと合わせ世界三大美術館と呼ばれている。開館は1819年11月、来年が200周年に当たる。よく言われるのは、他の二館が、他国から略奪したり買い漁ったりした美術品だらけなのに対し、プラドは自国の宮廷や教会所有の美術品がほとんどということ。略奪、買い集めをしたくても、18、19世紀のスペインにはもう力がなかったという人もいますが。
作品の撮影は全面禁止。なので、ブログではプラド美術館のデジタルアーカイブhttps://www.museodelprado.es/coleccionを使わせていただく。
ツアーの時間割では、ここは1時間。必見を3時間で押さえる「プラド美術館の三時間」という本もあるが、それすら贅沢に思える時間しかない。現地女性ガイドのKさんが「スペイン三大画家に絞り、解説も早口でやります」とみんなの覚悟を促す。
ツアーガイド受信機が配られ、ガイドさんから少々離れても声がイヤホンで明確に聞き取れる。16年ほど前のヨーロッパの団体ツアーにはなかったと記憶する。文明の進歩で随分便利になったものだ。
まずはエル・グレコ(1541~1614)の部屋へ。
色鮮やかで、縦に引き伸ばされたような人物たちの大きな祭壇画が並ぶグレコ・ワールドに圧倒される。大原美術館(岡山県倉敷市)で日本人にもお馴染みの劇画タッチで、キリストも聖人も天使も頭が小さく超長身の「大谷翔平的プロポーション」(ガイドさん)。
「聖三位一体」
「受胎告知」
グレコは、ギリシャ・クレタ島出身で、ヴェネチア、ローマなどを経て、スペインへ。ミケランジェロの悪口を言ってイタリアにいられなくなったという説もある。本名はドメニコス・テオトコプーロス。
グレコが生きた時代のスペインは、ハプスブルグ家の家筋のフェリペ2世が国王としてナポリ、ミラノ、ネーデルランド、中南米、フィリピンにわたる世界帝国を支配し、熱烈なカトリック信者だった国王の手で反宗教改革が進められた。トレドからマドリッドに首都も移った。その一方で英国に無敵艦隊が敗れる(1588)など、凋落が始まった時期でもある。
祭壇画はあまりに人体をデフォルメし過ぎて、賛否あったという話だが、わかりやすくてダイナミックな絵はまさに元祖劇画で、ステンドグラスを思わせる色彩とともに、一度見たら忘れられないインパクトを当時の人びと(現代人もだが)に与えたのではないかと思う。
「羊飼いの礼拝」
祭壇画とは一転、繊細にして簡素、色調を抑えた肖像画は当時から評判だったようで、「胸に手を置く騎士」は館内案内の表紙にも使われている。こちらをまっすぐに見据えた表情と手が印象的だ。
胸に置いた右手は誓いか礼節か後悔か、謎とされ、研究者を悩ませてきたとか。中指と薬指を付け、他の指は開いている。「十字架を担ぐキリスト」(その顔は現代のハリウッド俳優にもありそうだし、阿部寛にも似ていなくもない。余談)で、十字架に添えた両手も同じような開き方だ。
手が気になって、ネットで調べると、10年以上も前、テレビ東京「美の巨人たち」のエル・グレコ「聖衣剥奪」で、イエズス会の創始者、イグナティウス・デ・ロヨラが著した「心霊修養」という本をグレコが愛読し、中に次の一節があると紹介されたらしい。
「 手の指を開き、中指と薬指だけを閉じなさい 罪が犯されるとき、困難に出会ったとき、絶望の淵に立たされたとき その手を、痛み続ける胸に当てなさい 困ったときには、この手の形、誰かがあなたを救ってくれる」
救いを求める祈り、だったようですね。
グレコは亡くなるまでの40年間、トレドに滞在して制作した。没後、一時忘れられた画家になっていたが、19世紀後半、フランスの詩人ゴーティエ、ボードレール、画家のドラクロア、マネらによって再評価された。トレドでの作品については改めて。
次に向かったのがディエゴ・ベラスケス(1599~1660)の部屋。
目当ては「ラス・メニーナス(女官たち)」で、宮廷画家ベラスケスがスペイン国王フェリペ4世の娘・マルガリータ王女と女官、侍女たちを描いた。画面奥の鏡に映った国王と女王、遠近法の消失点にある階段とそこにいる男。ベラスケスが好んで描いた宮廷の倭人もいる。そして縦長のカンバス前に絵筆を持つ、視点がはっきりしない画家本人。
画家が国王夫妻を描いているところへ、マルガリータ王女らがやってきた、その時を描いているといわれる。
何の予備知識も説明もなく見たら、心を揺さぶられるとか、眼福を感じるとかいう絵ではない。ファミリーのスナップショットのようでもあるが、この絵の技法と謎が画家たち、研究者たちを刺激し続けてきたらしい。ピカソはピカソ風にこの絵を数十回も繰り返し描いた。プラド所蔵2万点のうち、門外不出はこの絵のみ、というお宝。
Kさんのガイドに従い、至近から、少し離れて左から右からと、位置を変えながら見る。近くだと筆触が荒い、雑と見えたのが、離れると実にリアルだったり、左右からは3Dのように立体感、奥行きがくっきりしたりと、人物配置も含め、いろんな仕掛けがされた絵であることがわかってくる。
王女マルガリータの部分のアップ。筆触がわかる
ベラスケスのアップ
画家が描いていると思われる、鏡に映った国王夫妻
この筆触は、絵画にリアリズムを持ち込み、印象派の先駆者とされるエデュアール・マネ(1832~1883)にも通じるものだ。マネは1865年に、プラド美術館を訪れ、ベラスケスの絵に感銘を受け、「画家の中の画家」とまで言ったという。ベラスケスの「道化パブロ・ディ・パリャドリード」は消し去った背景が、マネの「笛を吹く少年」(1866)と同じ。ベラスケスには近代絵画の様々な萌芽があった、ということらしい。
ちょうど、日本ではプラド美術館展が開かれていて、ベラスケスの「皇太子バルタサール・カルロス騎馬像」「軍神マルス」などの作品は日本へ。ツアー直前にNHK日曜美術館で「静かな絵画革命―宮廷画家ベラスケスの実験」が放映され、上に書いたようなことが紹介されていた。「ジョジョの奇妙な冒険」の漫画家荒木登呂彦さんが、ベラスケスファンだと知りました。
ベラスケスは宮廷の人たちの遊び相手となる道化、倭人たちの絵も多く残したが、ガイドさんいわく、「目線はその人たちと同じ高さで、上からではなかった。スペイン人が外見や肩書ではなく、中身で人を判断することに通じます」。
「フェリペ4世」 この肖像画も背景は簡素で、ベラスケスには道化も国王も同じ扱い
17世紀、美術好きのフェリペ4世の治世下で、スペインはフランス、オランダ、イギリスと戦争をしては、没落の一途をたどるが、ベラスケスは宮廷内で、時にイタリアへ絵画修業に出かけながら、絵画を極めていく。
同じバロック美術の範疇に入れられているが、「動」のルーベンス、「静」のベラスケスとされる。ベラスケスで他にも面白いと思った絵、心残りながら一瞥して通り過ぎた絵を何点か紹介して、次なるゴヤの部屋へ。
「イザベル・デ・ボルボン騎馬像」 大画面の衣装の描きこみ方が半端ではなく、目を奪われる。人物はどうでもいい、この衣装を描きたかったんだ、といわんばかりの一作。
イタリア旅行の風景画「ローマのヴィラ・メディチの庭園」
「聖アントニウスと聖パウルス」 風景描写の比重が大きく、もう少しで山水画。
「酔っ払いたち」 バッカスと取り巻きの神話も、ベラスケスの手にかかると山賊のリアルな酒盛りに。
「皇太子バルタザール・カルロス騎馬像」 現在日本へ旅行中の夭折した王子。