パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

スピルバーグ映画ではないけれど「ザイムショー・ペーパーズ/改ざんしまくり」

f:id:LOUVRE:20180314130657j:plain

300か所にわたる財務省の「森友文書」改ざんの詳細が、新聞各紙に一斉掲載された3月13日(火)のちょうど1週間前、朝日新聞朝刊に、映画監督スティーブン・スピルバーグのインタビュー記事が載った。

今年のアカデミー作品賞などにもノミネートされた最新作「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」にからみ、報道と権力、あるいは米国の状況についていろいろ話している。

映画は未見だが(公開前なもので)、ベトナム戦争を勝てないと知りながらずるずる続けた経緯をまとめた国防総省の機密文書の中身を、ニューヨーク・タイムズが報道し、ニクソン政権が記事掲載を差し止めようとする。報道の自由をめぐるせめぎあいの中で、ライバル紙のワシントン・ポストも女性社主の決断で掲載に踏み切るという話らしい。

のちにワシントン・ポストウォーターゲート事件ニクソン大統領を辞任に追い込み、それは映画「大統領の陰謀」(アラン・J・パクラ監督、76年)にもなった。

 

スピルバーグ監督は、トランプ大統領が報道機関を「フェイクニュース」と攻撃する今の状況に強い危機感を持ち、自己最速で完成させたとか。

巨大で得体の知れないものに脅かされる娯楽映画がお得意なのに、政権も巨大で得体の知れないものと言えないこともないとはいえ、超大型トレーラー、巨大サメ、宇宙からの冷酷無比な侵略者etcに比べて、政治家が敵ではハラハラドキドキの娯楽映画にはなりにくいのではなかろうか、アカデミー賞を取れなかったのはメーンキャストがあまりな国民的スターだったのが災いしたのか、と、観る前から余計なことをあれこれ考えてしまうが、本題はそこではありません。

 

インタビュアーへのリップサービスかと思うほど、監督は新聞に声援を送る。

「朝起きて新聞を手にすると、丸めてわきの下に抱え、地下鉄に向かうか、車に乗り込む。新聞はその日の『連れ』です。読み終わるまで連れ回す。そして翌朝、新しい新聞が届けば新しい連れができる。それが私にとっての新聞です」

「ただ静かに物事を伝えてくる。世界で何が起きているのかを提示してくれて、それを自分独自のフィルターにかけて消化していく。新聞の好きなところはそこだなあ」

紙の新聞どころか新聞というモデルそのものが危機にあるなかで、新聞業界で禄を食んだ者にとって感涙のお言葉。

 

同じ朝刊の文化欄には、今年の第90回アカデミー賞授賞式のレポート記事がある。作品賞、監督賞などを獲得したメキシコ出身監督ギレルモ・デル・トロの「シェイプ・オブ・ウォーター」が、ファンタジー(なにせアマゾンの半魚人との恋!)を通して60年代アメリカに巣食う差別を描いたように、米国映画はこのところ、骨太な社会派映画が目立つとしている。

2016年のアカデミー賞作品賞「スポットライト 世紀のスクープ」は、米国・ボストンの新聞社が多数の神父の児童への性的虐待カトリック教会の組織的隠ぺいを報じた実話に基づく話だった。超人ハルクマーク・ラファロ(「はじまりのうた」の名演)やバットマンマイケル・キートン(こちらは2015年の作品賞「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」)が、ともに変身もせず、渋くリアルに記者を演じていた。ラスト、長い取材の末、新聞に記事が掲載された日に「Me Too」の電話が鳴り止まない編集局のシーン、記事がきっかけで世界中の教会での犯罪が明るみに出たことを淡々と伝えるテロップが、スクープの重みを物語る。

 

こうした映画の評を見てみると、米国では権力の監視装置として、第四の権力として報道機関、ジャーナリズムは健在で、ひるがえって、日本のマスコミは…と比較されること往々にあり、確かに商業新聞の限界とか、上の顔色を忖度する編集方針とか、新聞が読まれなくなる理由はいろいろある。

米国の新聞も、フランスの新聞もしっかり読んだことがないし、内情は全く知らないので、日本と比較しようがないが、朝日新聞の「ザイムショー・ペーパーズ/改ざんしまくり」は、1年前の「森友学園国有地売却問題」に続き、ジャーナリズムの健全さを示した例だと思う。

テレビでこの問題を見ていると、1年前の映像がまた復活してデジャヴュ感、はなはだしい。安倍政権は、時に報道をフェイクニュース扱いするトランプ大統領ばりの横柄さだったことが、今見ればよくわかる。なぜ、ジャーナリズムはいつのまにか矛を納めてしまったのか、朝日の今回の報道がなければ(大阪地検の捜査は続いているとはいえ)、うやむやか、と思うと、報道にふたをして、結果、安倍政権を支え続けたに等しい新聞社その他のジャーナリズムこそ、わが身を検証してもらいたい。

 

 

*「シェイプ・オブ・ウォーター」は公開中だったのでシネコンに見に行った。エロ・グロシーンがあって15歳未満お断り。いろんな読み方ができる映画なのだろう。マイノリティー(究極が半魚人)や冷戦以外にも、しゃべる馬のミスター・エドの懐かしいテレビ画面も出てきて、テレビが映画を浸食していった時代だったことも思い起こさせる。政治的メーッセージはともかく、映画好きの監督が遊びまくっている感じがあって、映像も音楽も楽しい。ただ、悪党の描き方などがどうしてもコミック調になることと、少々色んなものを詰め込みすぎかな。レディースデーで平日の昼間ながら女性客が多く、両隣の女性はラスト、ハンカチで目を押さえていたので、純愛のテーマは伝わったのかもしれない。