ニューヨークの秋(6日目、帰国)ウォーホル、サリンジャー、スティング
夢かうつつか、遠くから騎兵隊の突撃ラッパのような起床ラッパのような音が聞こえてくる。NY最後の朝の幻聴?長く長く続いて、しっかり目が覚めてやっと鳴りやんだ。変わり種のアラームだったのか。
23階のホテルの部屋。大きな窓のカーテンを開けると、明けたばかりの青い空に摩天楼がそびえている。
向かいのオフィスビルの各部屋は、夜通し、人がいないのに電気がついたままのところが多い。朝早くから人の動く部屋がある。見ればワイシャツ姿の男性が腕立て伏せをしている。終わると、机の前に座り早速お仕事のようだ。別の階の部屋ではコックスタイルの男性がフライパンで何かをつくっている。誰のための朝食なのだろう。また別の部屋では、大きなクリーナーで床を掃除する女性も見える。
ヒッチコックの映画「裏窓」の主人公のような気分。エドワード・ホッパーの絵画のような、窓から覗いたオフィスの光景。もろもろを想起させる。
目を転じると、はるか下の地上で道路が交差し、車、人が動き出している。モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」ほどカラフルではないけれど、格子状のNYの道路の一端が見える。別の角度には高層ビルの谷間というより、すき間と形容した方がいいような構図が目にはいる。
街の光景が多くの画家、作家にインスピレーションを与えてきた。
メトロポリタン・ミュージアムで買ったポストカード100枚のボックスセットは、所蔵する「NEW YORK」の絵画や写真をポストカードにしたものだ。一緒に買った「NEW YORK IS...」という本と合わせて見ると面白い。たとえばホッパーの絵画「ウイリアムズバーグ・ブリッジから」は、本で建物の窓に腰かけた女性の姿をクローズアップし、こんなコピーを。
New York is solitude.
作品に描かれた百態百様のNYに、広告の国アメリカらしく、キャッチコピーが付けられている。
New York is illusion(幻想)
New York is chaos(混沌)
New York is light(光)
New York is song(歌)
New York is night (夜)
メトロポリタン・ミュージアム(左)、ニューヨーク近代美術館(MoMA)(右)のガイド本。MoMAの方は、表紙がアンディ・ウォーホルのキャンベルスープの缶の絵だ。
ウォーホルの「とらわれない言葉」(夏目大訳)という本にあるウォーホルの語録は面白い。
「ポップアーチストが作品の題材にするのは、
ブロードウェイを歩いている人が
何気なく目にして、
一瞬で何だかわかるというものだ。
マンガや有名人、
冷蔵庫、コーラのビンなんかがそうだ。
どれも現代社会における偉大な存在だよ」
「アメリカという国は、
どんな人でも、
どんなものでもヒーローに仕立て上げようとする。
これは素晴らしいことだよ」
「『誰もが15分間なら有名人になれる、
いずれそんな時代が来るだろう』
僕は60年代にそう予言したけど、
それはすでに現実になった。
僕はもう、この言葉には飽き飽きして いるんだ。
もう二度と言わない。
これからはこう言う。
『誰もが15分以内に有名人になれる。
そんな時代が来るだろう』」
ネット時代を予言したような言葉。
J・D・サリンジャー(1919-2010)の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(1951年)にはNYの様々な場所が登場する。ブロードウェイ、ラジオ・ミュージック・シティ、セントラルパーク、グランドセントラル駅、五番街、ブルーミングディール百貨店...。
高校を放校された主人公ホールデン・コールフィールドは、あらゆる「インチキなもの」にうんざりしている。その一節。
「ブロードウェイの人混みはすさまじいものだった。日曜日のそれもまだ昼の12時だというのに、なにしろひどい混雑なんだ。みんな映画を見に行くところなんだよーーパラマウント、アスター、ストランド、キャピトル、その手の血迷ったような劇場にね。日曜日だから、みんなぱりっとした格好をしていて、おかげで気持ちは余計にすさんだ」(村上春樹訳)
ノルマンジー上陸作戦にも参加したマンハッタン生まれの作家は、小説の主人公同様、世間とのずれを抱えたまま、名作を何作か残して早くに田舎町に隠棲してしまった。同じNYでもウォーホルとはまた違う世界の住人。
イングランド出身のロック歌手スティングは、1980年代に活動拠点をロンドンからNYに移し、社会問題をテーマにした曲作りをする。NHKの今年1月の「SONGS」で、NYでの生活について、インタビューにこう答えていた。
「自宅はマンハッタンのセントラルパーク近く。毎日自宅からスタジオまで15~16ブロック歩く。
そこで信号が変わるのを待っている時間が、自分の作品や人生について考えるひとときになる」
番組でも歌った「Englishman in New York」は、NYとそりが合わないのかな、と思わせる歌詞ではあるけれど。
「コーヒーは飲まない 紅茶がいい」
「もし『礼節が人を作る』なら、時代の英雄になれるよ」
「誰が何といおうと自分を見失うな」
「僕はエイリアン・・・」
自分の過去を振り返ると、アメリカ文化にどれだけお世話になってきたことか。映画、テレビドラマ(スーパーマン、ララミー牧場、コンバット、逃亡者、刑事コロンボ…映画同様、数えあげたらきりがない)、音楽(とくにジャズ)、アート、ファッション(少しだけ)。本では古いところだけで、レイモンド・チャンドラー、リング・ラードナー、ジェームス・サーバー、ヘンリー・ミラー(パリのアメリカ人だけど)、サリンジャー、フィリップ・ロス(「素晴らしきアメリカ野球」!)、カート・ボネガット・Jr、レイ・ブラッドベリ、スタインベック、マーク・トゥエイン、メルビル、ポー、O・ヘンリーにフィッツジェラルドもいました。そして忘れていけないのは、モハメッド・アリ。NYからはずれてアメリカ全般になってしまいましたが、しばらくパリ、フランスにうつつを抜かしていたので、NYを通じてアメリカの面白さを再確認しました。
ストランド書店で買った写真集「NEW YORK THEN AND NOW」で、ニューヨークの1900年や1930年ごろと今の風景写真を比較して見ると、NYの人は「変わったなあ」と思うのかも知れないが、初NYの日本人にとっては、たいして変わっていないじゃん、という感想になる。メモリアルな高層ビル、建物、公園の歴史はそれだけ古く、保存もされているということなのだろうか。東京や大阪は空襲でいったん焼け野原になり、戦前戦後で風景が一変するのは当たり前だが、京都だって、寺社そのものは千年変わらないのかもしれないが、街並みは100年前とは大違いのはずだ。
とはいえ、NYの街、生活の本当の良いところは、もっと小さな所にあって、そうしたものは古びて再開発され、すっかりなくなってしまった、とする人たちもいる。治安はよくなり、クリーンになったけれど、独特の猥雑さが消えたともいわれる。
「アップタウンは
すでに何かを成し遂げた人のためにある。
今何かをしている人のためにあるんだ。
僕はアップタウンに住んでいるけど、
ダウンタウンを愛している」
(アンディ・ウォーホル、前掲書)
今回、ブルックリンは十分歩けなかったし、マンハッタン中心、といってもアッパーイースト、ウエスト、ハーレム、グリニッジ・ヴィレッジ、チェルシーもほぼ行けずじまい、他のところだって駆け足だから、不十分極まりない。ジャズクラブも入らなかったし、実はエンパイア・ステート・ビルも展望台に上っていない。行くとこはまだまだあるぞ、と心を残しつつ、昼前の飛行機でNYを発った。
旅の土産に買った自由の女神像と、以前にパリで買ったエッフェル塔、二つの都市のシンボルが部屋の机に並んでいる。写真背景の「パリ・ヴァーサス・ニューヨーク 二つの都市のヴィジュアル・マッチ」という本は、パリっ子でNYが大好きなグラフィック・アーティストが、「バゲットとベーグル」とか「グラン・パレとグランド・セントラル・ステーション」とか「ゴダールとアレン」とか、いろんなものを対比してイラスト化した洒落た本で、今回、また開いてみて、二つの都市の違いと共通性の妙を改めて感じた。
最後に、妻がついつい買ったニューヨーク市警のロゴ入りワンコの服を、我が家の犬、ルーヴル(ウエストハイランド・ホワイトテリア)に着せた写真を掲載して、NY旅ブログは終わります。