ニューヨークの秋(4日目)マラソンのちステーキ
これが五番街
ニューヨーク・シティ・マラソン当日。といっても走るわけではないが、NYに来るまでは見られたら見るぐらいにしか思っていなかったのに、前日のプレイベントの雰囲気に圧されて、今日はゴール間近のホテル、ザ・プラザ前で見ることにした。曇り、霧雨。昼前にトップランナーが通過するまでの間、時間があるので五番街を歩く。
今や界隈では一番有名なスポットになり、記念撮影する人が後を絶たない(われわれもだが)トランプタワー。金ぴかにして厳重警戒。よく見ると「OPEN TO THE PUBLIC」とある。だれでも入っていいよ、ということだろうが、機関銃を持った警察官の横を通ってドアを開け、中にまで入る人はさすがに多くない。
隣はティファニーのビル。トランプさんのおかげで客が減ったとの話もある。帰国後のニュースでは、映画「ティファニーで朝食を」にちなんで、店内で朝食が食べられるようにしたとか。
(左がティファニーのビル)
通りを挟んで北側に画家シリーズを展開するルイ・ヴィトン。アヴェニュー向かいはプラダ、アバクロ、ハリー・ウインストン、デパートのヘンリ・ベンデル、ホテル・ペニンシュラ。名前を挙げるときりがないブランド街。その一角に真珠のミキモト、そしてユニクロのビルもある。自身の買物としてはユニクロあるいはアバクロぐらいしか縁はないが、ウインドウショッピングだけでも心は少し浮き立つから不思議だ。
厳戒のマラソン
ランナーを見守る沿道はバリケードが二重になっていて、その間に入るには持ち物のセキュリティチェックがある。かつてボストンマラソンでも爆発物のテロがあったし、お気楽な観光客と違って警備する側は気が抜けない。
(ザ・プラザ 下も)
そうこうするうちに車イスランナーが通過し、女性ランナーのトップが駆け抜けていった。沿道で中年のバンドと女性ボーカルがガンガン生演奏をして、ランナーを励ます。何人かの女性ランナーのあと、男性トップが通過した。優勝した女性は36歳のシャレーン・フラナガンさんで、なんと米国人女性の優勝は40年ぶりだったと、翌日、スタンドで買ったニューヨーク・タイムズで知った。男子はケニア選手。
(女性トップ選手)
(男性トップ選手)
5万人が参加するこの大会、ニューヨークタイムズによると参加できるのはエントリーしたうちの17%の人で、人気は相変わらずだけれど、全米でみると、マラソン人口はピークだった2013年の1900万人から2016年の1700万人へと減ってきているとか。大会参加料が高いとか、他のスポーツに押されてということらしい。
(翌日のニューヨーク・タイムズ。別刷りのマラソン特集もついている)
親切なニューヨーカー
マラソンの熱気を離れて、前々日しっかり近づけなかった自由の女神に再チャレンジすることにした。メトロでクルーズ乗り場のバッテリーパークまで行こうと、セントラル・パーク南西端の59丁目コロンバス・サークルという駅で階段を下りかけたら、テープで通行止めになっていた。マラソンの警備のためらしい。ではもう一駅南で、と50丁目駅までブロードウェイを歩いて行って、再び地下に降りようとしたら、ここにもテープ。困った、と思っていたら、通りがかりの男性が「今日はアップタウン方面へは走ってないよ」「ダウンタウン方面に乗りたいんですが」「じゃあ、通りの向こう側」と教えてくれた。ブルックリンで道を教えてくれた人に続いて、ニューヨーカーは親切です。
無事、1号線に乗ることができた。初メトロ体験。地上から改札、ホームまでがパリのメトロに比べ短く、とても機能的。本数が多く、スピーディで、ホームも車内もきれいという実に快適な乗り物だった。サウス・フェリー駅で降りて地上に上がったら、制服姿の案内係が何人も立っていて、「クルーズならあそこのチケット売り場」と教えてくれる。今日は天気がいまいちなので、日曜にも関わらず観光客は少ないようだったが、シーズンには道に不案内な人間があふれるのだろう。
自由の女神クルーズ
クルーズ乗船はセキュリティチェックが厳しく(自由の女神をテロの標的にされたくないというのはよくわかる)、ズボンのベルトまではずさされ、あやうく船に乗り遅れるところだった。われわれの前に並んでいた白人のカップルは乗り遅れた。
(移民局のあったエリス島。今は博物館になっている=下)
霧雨に煙る自由の女神は、映像で見たのとそのまんまだが、海の中に一人ポツンと立って、孤独な印象ではある。フランスから独立100周年の記念に贈られ、欧州から船でNYにやってきた移民の人たちは、入国前に必ず目にし、移民の特別な思いがこの像にはまとわりついている。クルーズの乗客は人種も言語もばらばらなようで、中には祖先や親類が移民でNYに来たという人もいるのだろう、と思いを巡らせる。しかし、自由の女神で最も印象的なイメージは映画「猿の惑星」のラストシーンで、海岸に打ち捨てられた像というのは、自分自身どうかという気もする。
ソーホー
ミッドタウンへの帰りにソーホーへ寄り、買い物をする。ブランド店やデパート、ギャラリーがあり、表通りは繁華なショッピング街だが、外階段のある古そうなブラウンストーンの建物や石畳の裏通りがあり、いい感じの街だった。
ステーキ店でランナーと交流した
夕食はこの旅行で唯一レストラン予約していたギャラガーズ・ステーキ・ハウスへ。数あるステーキの店からホテルに一番近いところ、歩いて数分の店を選んだ。午後8時の予約。ブロードウェイの劇場が周りにあり、店の入り口付近は人があふれ、店内も満席の状態で人気店のようだ。中には首からメダルを下げたマラソンランナーらしきグループも。1927年創業の熟成肉の店で、壁にはジャクリーン夫人やモハメッド・アリら著名人の写真が所せましと飾られている。フランク・シナトラやルイ・アームストロング、ナット・キング・コールらのオールデイズが流れる。NYの雰囲気、なかなかいいじゃない。
席の担当は金髪の大柄なジム。フィレミニヨン、エビとカニのグリル、シーザーサラダにグラス赤ワインを注文する。料理はシェア、ワインはアルゼンチンのマルベック。「いいチョイス」とジムがおだてる。パリの伝統あるレストランのギャルソンもなかなかだけど、NYのウェイターの方がくだけて、客を楽しませる術に長けているような感じだ。さすがエンタテイメントの街NY。
厨房がガラス張りで、年配のひげの料理人が薪のかまどで次から次へと、肉の塊を焼いていくのが見える。ミディアム・レアの肉は柔らかく、おいしかった。普通は200g食べれば十分だけれど、これなら300gは軽くいけそうな気がした。
食べていると、隣の席にメダルを下げた男性2人が座った。ジムが「コングラチュレーション」と二人を讃える。せっかくなので話しかけた。
「メダルは完走したらもらえるんですか」
「そうそう」
「メダルをみせると何か割引があるとか」
「いや、ディスカウントは何もないね」
「どこから?」
「スイスから。ニューヨーク・シティ・マラソンは、僕は2回目。連れは初めて」
終始、にこやか。完走してステーキ食べて、いい一日だったのだろうと思う。
パンが食べきれずたくさん余ったので、ジムに持ち帰りを頼んだら、新しいパンとナイフとフォークのセットを紙袋に入れてくれた。そして、ひらがなと英語で書いた「ありがとう From Jim」のメモ。サービス精神が気持ちいい。
店を出ると、午後10時になろうかというのに、席が空くのを待つ人たちがいる。中にやはりメダルをかけているグループがいたので、妻が「写真を撮らせて!」とシャッターを押すと、「あなたたちもどうだい」とメダルを我々夫婦の首にかけて、写真を撮ってくれた。国は聞きそびれたが、気さくなランナーたち。
世界中からマラソンを走りに来た人であふれ、普段に輪をかけて祝祭ムードのNYを楽しませてもらった夜だった。