パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

「細雪」と「ダウントン・アビー」ではなく、桐野夏生「デンジャラス」 

谷崎潤一郎の「細雪」がとてつもなく面白い小説である、ということに60歳を過ぎての初読で知った。芦屋市谷崎潤一郎記念館の元館長のT・Kさんに繰り返し薦められていたのに、文庫本で3.8㎝の厚さ(中公文庫)に腰が引けていた。映画も原作に誘う魅力はなかった。ただ、もっと若いころ読んでいたら退屈して、その後二度と手に取ることはなかったかも知れない。

細雪」に一層の「芸術的感興」を覚えたのは、NHKスターチャンネルで放送され、欠かさず観ていた英国TVドラマ「ダウントン・アビー」に通じるものがあったからだ。片や戦争の影が濃くなっていく1936年から41年にかけての大阪・船場の旧家4姉妹の物語、片や第一次世界大戦前から大戦後にかけての英国貴族3姉妹の物語。時代とともに黄昏れていく一家とその使用人たちのドラマが、いずれもくっきりとした人物像と日常生活の精緻な描写で鮮やかに描かれている。「ダウントン・アビー」が映像の美しさと会話のやりとりの面白さで堪能させるとしたら、「細雪」は読点でいったいどこまでつなぐのかと時に思うほど息の長い文章、話括弧と地の文の絶妙な組み合わせで、日本語を読む快感を味わわせてくれる(「ダウントン・アビー」の方が登場人物は多彩で群像劇色は強いけれど)。

桐野夏生さんの「デンジャラス」(中央公論新社)は、その「細雪」の主要人物、三女雪子のモデルとされる重子の視点で、谷崎潤一郎と周辺の女性たちのデンジャラスな関係が語られる。実在の人物を実名で書いた小説なので、どこまでが真実で、どこからが作家の想像かわからないところもデンジャラス?重子は谷﨑の三人目の妻松子の妹で、夫の死後谷崎夫婦と同居。これに松子の連れ子の嫁千萬子がからみ、嫉妬、自尊、疑惑、愛情、さまざまな感情が入り組みながら、小説のためなら周囲を傷つけることも平気なジコチュー&筆一本で大勢を養う王国の主人谷崎があぶりだされる。

谷崎は松子に霊感を得て「盲目物語」「春琴抄」を書き、松子、重子らの姉妹は「細雪」、千萬子は「瘋癲老人日記」のモデルになったとされ、「私ども姉妹が、兄さんの芸術的感興を刺激しているのだと言っても、過言ではありますまい」と重子は語る。アルコール依存症で朝から盗み酒をする重子は、冷えた白葡萄酒を飲みながら、亡くなった谷崎と会話を交わし、谷崎のこんな言葉を書き留める。

「夢と現(うつつ)のあわいを行ったり来たり。あなたほど、僕の書く小説の中に生きたひとはいませんね」

えっというクライマックスシーンも用意され、谷崎が目指した境地「虚実ないまぜになった妖しさ」も味わえる。

雑誌連載のせいか、章が変わって同じ表現が繰り返し出てくるところが、少し残念かな。