パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

戦後72年の夏 NHKスペシャル、新聞そして映画

 

8月は戦争の記憶を呼び戻し、鎮魂する月だ。

NHKは8月12日から4夜連続のNHKスペシャル第二次世界大戦のドキュメンタリーを放送した。初日の「本土空襲 全記録」はたまたま家に来ていた小学1年生の孫と一緒に見た。40万人以上が死んだ空襲、米戦艦に突っ込んでいく特攻、米軍の本土上陸に備えた竹やり訓練など初めて見る映像に孫は興味津々の様子で、なぜ飛行機で体当たりしたのか、自分で死んだらだめではないか、竹やりで何と戦おうとしていたのか、などなど、素朴な疑問が孫の口から出た。特攻は少しでも敵の戦艦にダメージを与えようとしたのだけど、まあ上の人の命令に従わないといけなかったんだよね、でも死んだらだめだよね、とかなんとか答えて…。理不尽さだけは伝わったか。

その時、思ったのは、私は戦争を体験していない、戦争体験者はこれからどんどん少なくなっていき、子供たちに伝えるのはだれか、ということだった。15日放送の「戦慄の記録 インパール」は、内容もインパクトがあったが、証言する元日本軍将校、兵士の証言がほぼ95歳以上であることに、胸を衝かれた。戦後72年だから当たり前といえば、当たり前なのだが、かつて新聞記者時代に戦争取材をしたことを思い出しながら、取材対象者の恐るべき高齢化を改めて思った。

 

NHKは毎年、手間ひまのかかった戦争ドキュメンタリーを制作しているが、今年のNHKスペシャルはネット上での反響も大きかったようだ。

とくに「インパール」。「白骨街道」の名を残し、陸軍史上最悪の作戦とされるインパール作戦を指揮した司令官の直近にいた齋藤少尉の日記が新資料として紹介された。「失敗の本質」などの本でも危機管理の反面教師としてとりあげられ、戦力、補給を無視した、いかにとんでもない作戦だったかは過去繰り返し語られているが、絶対のヒエラルキーと名誉欲、場の空気に支配される議論、使い捨ての兵士、冷静な状況分析を欠いた精神主義の蔓延が、日記から具体的に知らされる。そして無残な敗走に関しての、兵士や現地の人たちの証言のすさまじさ。人肉食の証言もあった。驚きのラストに「砂の器」を思い浮かべた人もいるかもしれない。

「本土空襲」では、米軍がなぜ一般市民を焼き殺すような空襲、さらには原爆投下まで平気でできたのかという疑問に答えを出していた。軍需工場をはじめ、非戦闘員も戦闘員と同様に戦争に参加しているので、戦争終結のためには無差別爆撃もやむを得ない、との考え方がある。ドイツも無差別爆撃をやられている。番組では、日本は一般市民に至るまで全員が国防に動員され、軍隊の一員となっている、との当時の米国の報告書を示す。日本人は竹やり訓練を行ったりして、まさしく「一億総火の玉」で敵を迎え撃つつもりだから、非戦闘員として区別しないよ、と米軍は考えていたという説明だ。米軍が本当にそう思っていたのか、無差別爆撃を正当化するための理屈にすぎなかったのかはわからない。「正義のヒーロー」が大好きなアメリカが、女性、子供を目にしてなお攻撃したことは、それが戦争といってしまえばそうなのだが、腑におちないままだ(白人至上主義者もいたりして、アメリカという国はとてもややこしいことは間違いないし、ベトナム戦争の蛮行などをみても、決して正義の国とは思えないが)。

 

読売新聞は「語り継ぐ 受け継ぐ 戦後72年」のタイトルで、8回の連載をした。毎回1人に焦点を当て、そのインタビューを中心に構成した。こういう連載の場合、誰を取材対象にするかで、新聞社の意図も見えてくる。無難な選択、という感じがした。

印象的だったのは、製作、監督、編集すべて手掛け、自ら主演もした映画「野火」を2014年に完成させた塚本晋也さん(57)の話だった。大岡昇平の原作を高校生の時に読んで衝撃を受け、いつかは自分の手で映画化したいと思っていたそうだ。以前から見たいと思いながら見るチャンスがなかったが、今月、日本映画専門チャンネルで放映された。フィリピンのジャングルで、敵の攻撃と飢餓により極限に追い詰められ、生死の境をさまよう日本兵のボロボロの姿。モノクロの市川崑作品と異なり、カラーで血と肉と泥にまみれたむごい描写が遠慮なく続く。原作は人肉食が大きなテーマだけれど、むしろ日本映画ではあまり見たことがない戦争の無残な実相に目を奪われる(目をそむけたくなるというのが実感だが)。NHKの「インパール」、そして、水木しげるの「総員玉砕せよ!」に通じるものがある。

 

朝日新聞は連載「戦死と向き合う 戦後72年夏」で、市井の人たちの証言を丹念に掬い上げ、「戦死」の意味を問いかけた。不都合な事実をごまかす「玉砕」という言い換え、戦意高揚に使われた「軍神」という言葉。そして特攻、飢え、病死という日本特有の「戦死」。靖国神社の合祀問題も取り上げ、今の日本の状況と戦争の教訓をつなごうとする意図もうかがえた。当然ここに登場する戦争体験者の多くは90歳を超えている。繰り返し語られてきたテーマであるけれど、新聞は伝え続ける使命があり、生の証言を取材できる時間は限られている。

朝日の特徴は8月15日が過ぎてもしぶとく戦争の記事を掲載し続ける点だ。オピニオン&フォーラム欄のインタビュー連載「戦争を語る」もそうした記事だ。8月19日は「ホロコーストの記憶」としてユダヤ人虐殺を生き延びたノーベル化学賞受賞者ロアルド・ホフマンさん。意外なことに、「忘れよう」と語るのだ。「いつまでも過去の相手の罪にこだわり、思い出すことが、現代の世界で暴力や憎悪につながったり、その感情が政治に利用されたりするのは、とても危険です。矛盾するようですが、思い出すことが赦しへの道となり、最終的に忘れることにつながるのではないのでしょうか」。

日本の場合、忘れる境地にたどり着くまでにやらなければならないことがまだまだある、という気がする。