パリ95番バス

映画と本とアートと遊歩

オルセー美術館(Musée d’Orsay)前篇

 

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  印象派の殿堂と称されるオルセーは、数あるパリの美術館のなかで、一番好きな美術館だ。ルーヴルが少々胃もたれする脂っこい伝統料理だとすると、こちらはヌーヴェルキュジーヌ。あるいは1950年代、それまでの映画に叛旗を翻し、リアルなテーマ、撮影と編集の技法、即興性などで革命をもたらしたヌーヴェル・ヴァーグ映画作家と比較してみたくなる19世紀末の強烈個性の画家たち。

 最初にオルセーを訪れた時、度胆を抜かれたのがギュスターヴ・クールベの「世界の起源」。入ってすぐのコーナーに「画家のアトリエ」などの大作とともに並ぶリアルな「わいせつ図画」で、鑑賞者は、アカデミズムに対抗したクールベという特異な画家を重要な位置に置くこの美術館の価値観、世界観をまず知らされることになる。 

 クロード・モネとヴァン・ゴッホという、日本で展覧会をやれば1時間、2時間待ちの行列ができてしまう人気画家は、オルセーが誇るコレクションでもあり、いつも人が滞留している。世界共通のポピュラリティ。

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 モネの光、ルノワールの幸福感 

  光の画家モネの所蔵品では、「サン・ラザール駅」の機関車の煙、「アルジャントゥイユのヨットレース」「セーヌ河の解氷 氷塊」の水面のきらめき、「庭の女たち」の木漏れ日、「ひなげし」「日傘の女」の風景に溶けこむ人物、「ルーアン大聖堂」「積み藁」の光の移ろいが素敵だ。晩年、蓮池をひたすら描き続けたモネの生涯を通じての光の変奏をここでは堪能できる。

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 モネとともに印象派を代表するピエール・オーギュスト・ルノワールも、代表作が数々展示されている。「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」「田舎のダンス」「都会のダンス」「習作 日のあたる女の上半身」。1919年に78歳で没するまで、やや太り気味の裸婦、女性、子供しか描かなかった爺さんというイメージが強いが、花瓶からあふれんばかりの花の絵も美しい。ルノワールの絵の幸福感はオルセーの空気には欠かせないものなのだろう。

マネの黒

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 印象派の先輩格のエドゥアール・マネは「草上の昼食」と「オランピア」で物議を醸し、ひんしゅくを買ったということで、二つの絵の革新性をいろいろ解釈されるのだが、なかなか良さがわからない。ヌーヴェル・ヴァーグの映画で、同時代のフランス人あるいは世界の映画人の受け止め方と、それから何十年も後の日本人の受け止め方に大きな違いがあるのと同じようなものか?ただ、マネの画布の底知れない黒と、雑にも見える筆触には強く魅かれる。「笛を吹く少年」やゾラ、モリゾの肖像の服の黒!「ステファン・マラルメの肖像」、遺作に近い「クリスタル瓶の中のカーネーションとクレマティス」の生々しくみずみずしい筆の跡!

 

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ドガの青 

 シニカルかつリアル、写真的に動画的にバレエの踊り子やカフェ風俗を描いたエドガー・ドガ、浮世絵の影響をいわれるキャバレーのポスターのイメージが強いトゥルーズ・ロートレックは、なぜかいつも対で扱われる。どちらも風俗画の絵描きとして軽く流して見てしまうのだが、オルセーに何回か行くうちに、たとえばドガの「青い衣装の踊り子たち」の、油絵なのにパステル画のような青色と飛び散る色彩に引き込まれる、ということが生じる。同じ画題でパステルもあり、使い分けたようだが、数々のパステル画は保存のためか、以前は薄暗い展示室だったので、ルドンのパステル画同様、本当の色彩がわかりづらいところがあり、損していたのではと思う。改装で照明はよくなったという話だけど。 

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セザンヌの余白

 ポスト(後期)印象派とされるポール・セザンヌ、ヴァン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン

 セザンヌはモネの前年の生まれで、エクス・アン・プロヴァンスからパリに出てきて印象派のメンバーと知り合いになるが、仲良しになることもなく、エクスに戻って独自の道を歩む。20世紀のキュビズム、フォービズム、抽象画の先駆者として、印象派のその先へ行ってしまったセザンヌは、オルセーにも多様な作品がある。テーマ別で好きな順は、「リンゴとオレンジ」などの静物、「サント・ヴィクトワール」を含む風景画、「トランプをする人々」などの人物、ということになるだろうか。静物にも、余白だらけの水彩画があって、これはオルセーではお目にかかった記憶がないが、懐が許せば(許すわけはないが)、1、2点持っておきたいと思う(絵葉書は持っている)。水浴図はいつまでたってもよさがわからない。

 カンディンスキーはこう評したという。

「彼は『静物』を、外面は『静かに死んでいる』が内面は生きているオブジェにまで高めたのだ。彼は人間を扱うようにオブジェを扱おうとした」

(「オルセー美術館 絵画鑑賞の手引き」から)

 

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 美術家の森村泰昌さんが西洋名画のモナリザゴッホの自画像に扮した作品の展覧会を以前見たが、セザンヌのリンゴやオレンジ一個一個に様々な表情の自分の顔を写しこみ描きこんだ作品は、気色悪くもインパクトがあった。カンディンスキーの言葉そのままですね。セザンヌもモネも、なぜ心揺さぶる絵なのか、じっくり考えてみたい画家です。(後篇に続く)

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