イタリア旅行⑧ドーリア・パンフィーリのベラスケス
イタリア5日目の10月12日、最後の都市、ローマに入る。イタロでテルミニ駅に到着したのは正午過ぎだった。
駅前のタクシー乗り場の長い列に並ぶ。先頭で係の男らしい人が、乗客を並列停車のタクシーに誘導する。声をかけてくる運転手がいるが、「ぼったくりである」と予備知識が入っているので無視。あと二組で乗るところまで進んだ時、誘導係の横にいた男が、「英語話せるか」と聞くので、「少しだけ」というと、じゃあ、先にこっちへ、という感じで車へ。
「TAXI」の行燈もあるし、ボディに他のタクシー同様の文字もあるものの、順番を飛ばしたのと、なんとなくうさんくさい感じなので、「ほんとにタクシーか?」と何度も念を押すが、行燈を指さして「タクシー、タクシー」と言う。トランクにスーツケースを積み込み、発車する時、料金メーターが表示されていないのに気付いた。こら、あかん、ぼったくりやないか。こういう場合、何というかわからんので、「ノー・メーター!ノー・メーター!ストップ!」と2,3回叫んだところ、ぶつぶつ言いながら車を止めて、トランクからスーツケースを投げ出すように下した。
テルミニ駅のタクシーにはご用心、とはネットにも書かれていたので、注意していたつもりなのに引っ掛かりかけた。誘導・整理係らしき男も、目の前の客引きを黙って見過ごしているのが理解しがたい。タクシー組合はぼったくり一掃に取り組む気はないのか。観光都市ローマの恥と思わないのだろうか。ローマの玄関でツーリストに不快な思いをさせても、嫌なら来なくていいよ、次々と来るんだから、ぐらいに考えているとしか思えない。
別のタクシーでホテルに着いたが、この運転手もフィレンツェの運転手に比べると愛想悪く、ローマでは帰りの空港行以外、タクシーは使うまい、と決めた。
午後2時のチェックインまでの時間を使って、ホテルと同じコルソ通り沿いにあるドーリア・パンフィーリ美術館へ歩いて行く。コルソ通りはメーンストリートのひとつなので、人通りも車も多く、狭い歩道の行き違いに難儀する。
貴族の館の美術コレクション
貴族の館(今も居住しているらしい)の美術館入口をくぐると、一転静寂の世界。
ドーリア家、パンフィーリ家など4家が17世紀に合体して、ドーリア・パンフィーリ家となり、18世紀に完成したのが現在の建物(パラッツィオ)だとか。
階段を上がって2階へ。各部屋の壁も廊下も絵画で埋め尽くされている。3段重ねの一番上の絵画となると、写真も撮りにくいうえ、額縁にある画家名も判然としない。ただし、圧巻。イタリア貴族の財力とすさまじい美術収集癖を見せられた感じだ。
鏡の間
カラヴァッジョ、ティツィアーノ、ラファエロ、ブリューゲル、クロード・ロラン…というプライベートコレクションのラインナップには驚くが、一番見たかったのはベラスケスの「教皇インノケンティウス10世」(1650)。
ベラスケスの「教皇インノケンティウス10世」
ゴンブリッチは「美術の物語」で、スペインの宮廷画家ベラスケスについて、「彼のおもな仕事は、王とその一族の肖像を描くことだった。この王族には魅力的な顔をした人物は稀で、たいていはなんのおもしろ味もない顔といってもいいくらいだったが、そのくせ威厳にはひどくこだわり、堅苦しくて似合わない服装をしていた。およそ画家の気をそそるような人たちではない。しかしベラスケスは、まるで魔法でも使ったかのように、かつてだれも見たことがないほど魅惑的な肖像画を描いて見せた」と書く。
ベラスケスがイタリア旅行中に描いた教皇の肖像は、「物の光沢を出す筆使いや、教皇の表情をとらえる筆致の的確さなど、ティツィアーノの技法をよく使いこなしながら、それでもなお、彼の描いたのは教皇その人であって、たんなる定石の再現ではなかった」とし、「ローマに行くことがあったら、パラッツィオ・ドーリア・パンフィーリにあるこの傑作は、なんとしても見てほしい」と、テレビ番組「美の巨人たち」のナレーションのようなフレーズを使って薦めるので、見ないわけにはいかないではないか。
豪華な衣装をまとい、視線をこちらに向けた教皇の陰険そうな表情(インノケンティウスという名前に「インケン」が…、パンフィーリ家のみなさん、ごめんなさい)がなんとも印象的だ。筆致もリアルの極致。
インノケンティウス10世(1574―1655)はパンフィーリ家出身で、ローマ教皇に1644年から1655年まで在位した。バルベリーニ家出身の先代ウルバヌス8世の没後、スペイン、フランスもからんだ後継争いの中で選ばれた。バチカンのコンクラーベ(教皇選挙)というと、映画にもなったダン・ブラウン「天使と悪魔」を思い出しますね。教皇になると、バルベリーニ家を横領容疑で追放し、その一方で義姉の不品行で評判を落としたとの話がある。
美術史学者の三浦篤さんは著書「まなざしのレッスン」の中で、「ベラスケスの絵筆は猜疑心の強そうな目つきと狡猾そうな口元をした赤ら顔の教皇を、冷静に過不足なく表現」「権謀術数に長けていることが教皇庁で生き残る必要条件であることを、これくらいまざまざと感じさせてくれる肖像画は稀」とストレートに書いている。「やなやつ」に描かれたら、モデル本人は腹を立てそうなものだが、そうはならず、「逆に大いなる賞賛を得た」のは「画家の筆がけっして品格を失わないことと、絵画としての質の高さによるもの」だったという。
パンフィーリ家にとっては、この肖像画は他の絵とは別格のようで、バロックの彫刻家ベルリーニ(1598-1680)の彫像とともに、小部屋に並んでいる。
ベルリーニのインノケンティウス10世像
この絵は300年後の20世紀、フランシス・ベーコン(1909-1992)の「ベラスケス『教皇インノケンティウス10世像』による習作」(1953)によって新たな光を当てられる。
構図はベラスケスだが、口を大きく開けて叫んでいるように見える点が違う。ホラー映画・漫画を思わせる底知れない気味の悪さ。
「ベーコンの描く男は叫び続けています。叫び続け、もはや声も出なくなってしまってもひたすら声なき叫びを上げる男。(…)まるで発狂して王座のようなイスに座らされ、幽閉されたような恰好で叫び続けなくてはならない『心の闇』があるというのでしょうか」(千住博「名画は語る」)
千住さんは、神なき時代の現代人の不安をベーコンの絵に見て取る。
ベーコンは、映画「戦艦ポチョムキン」の撃たれて叫ぶ老女の顔を参照しつつ、「もう、何もかも嫌だ、ああ、叫びたい」というインノケンティウス10世の秘めた思いをベラスケスの絵から汲み取って表現した、という解釈もあるようだ。
実は、この日夜に訪問したバチカン美術館に、ベラスケスのこの肖像画に基づいたベーコンの別の絵があって驚いた。顔の形が崩れたその絵もまた謎めいて、不安を醸す。この肖像画がよほど気になっていたのか、バリエーションを多数描いている。ベーコン特有の不定形な人間は、デヴィッド・リンチの映画につながっていく。
バチカン美術館のベーコン作品
以下はベラスケス以外の作品。
カラヴァッジョ「エジプトへの逃避途上の休息」
半地下の部屋にカラヴァッジョの(右から)「洗礼者ヨハネ」「エジプトへの逃避途上の休息」「懺悔するマグダラのマリア」の3点が並ぶ
上の絵の額縁には「ラファエロ」とあるが…
フィリッポ・リッピの「受胎告知」
「ピーテル・ブリューゲル」と額縁にはある
上の絵は、廃墟を過去の理想郷のように描いたクロード・ローランの作品
古代ローマの遺跡らしきものを描いた絵はあちこちに
古代ローマの廃墟
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
美術館を出て、ホテル・レーニョにチェックイン。3階のベランダ付部屋。すぐに出て、歩いてヴェネツィア広場、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂を通り、フォロ・ロマーノに入場する。21年前は外から見ただけだったので、今回は古代ローマの廃墟を間近に見ることにした。日差しが強く、暑い。
政治、経済、宗教の中心として紀元前6世紀から建設が始まったとされるフォロ(公共広場=フォーラムの語源)は、紀元前1世紀のカエサル時代から全盛を迎えるが、ローマ帝国の衰退とともに荒廃し、神殿などもろもろの建物は建材に使われ、記憶の彼方に消えていたらしい。19世紀に遺跡が発掘され、現在の姿に至るが、紀元前のものはほとんど埋もれたままだという。発掘は今も続く。
セヴェルスの凱旋門(203年)
フォカスの記念柱(7世紀初め)
古代ローマのメーンストリート
サトゥルノの神殿(紀元前5世紀)の柱
アントニヌスとファウスティーナの神殿(元は141年ごろ建設)
よく残っているものもあれば、柱だけ、礎石のみとか、いろいろだが、遺跡の時代の差は素人目にわからない。廃墟に立って、2000年前の古代ローマ時代を想像できるかといえば、なかなかできない。修復、復元されているので、朽ち果てた感があまりないのも一因だが、ローマ時代の知識に乏しいという勉強不足にもよる。
映画の「スパルタカス」「ベン・ハー」「サティリコン」「グラディエーター」、そして「テルマエ・ロマエ」も!観た、大学受験で世界史も選択した、けれど、ローマ盛衰の一大叙事詩のイメージが廃墟から湧いてこない。やはり塩野七生さんの本ぐらいしっかり読んでこないとダメなのか。カエサル、アウグストゥス、ネロ、トラヤヌス、コンスタンチヌスの誰が何をやって、どういう人で、という人間模様が頭に入ってないと、この廃墟も映画のセットと変わらないことになってしまうようだ。
この日はスケジュールが詰まっていて、早々に隣のコロッセオに向かう。